製品の無資格検査やデータ改ざんなど日本企業での不正が引きも切らない。働く現場でそんな不正を知ったら、あなたはどうするだろうか。告発したら組織に報復される恐れはないのだろうか――。実は、内部通報者(内部告発者)をどう保護するかの重要な法案「公益通報者保護法」の改正案が今国会で4月から審議されようとしている。ところが、改正案には"報復に対する罰則"の規定がないため、「これでは報復に歯止めはかからない」「声を上げる人など出てこない」という声が根強い。不正や不祥事を見逃さず、社会正義を実現させるための内部通報。その先行きはどうなるのか。(文:本間誠也/Yahoo!ニュース 特集編集部)
内部告発経験者「これでは報復する側を守る法律です」
金沢大学医薬保健学域医学類の准教授・小川和宏さん(57)は内部告発の経験者であり、組織から報復された経験も持つ。その目からすれば、公益通報者保護法の改正案は「あきれました」という内容だという。
「内部通報者に報復した企業や行政機関などへの刑事罰はもちろん、(企業名公表などの)行政措置すらもスッポリ抜け落ちています。改正案は、自民党のプロジェクトチーム(PT)の提言を丸のみした内容ですが、これでは社会的正義のために声を上げる人は出てこない」
怒りのためか、小川さんの声は少し震えている。
「『森友学園問題』で近畿財務局の職員は公文書改ざんという不法行為を押し付けられました。こんな改正案では同じような立場の人は内部通報などできないでしょう」
研究室の上司に当たる「教授」の不正経理問題について、小川さんが大学本部に通報したのは2006年のこと。教授に不正をやめるよう進言したものの、聞き入れられなかった末の通報だった。ところが、通報を受けた大学側は、その内容や通報者が小川さんであることを当の教授に漏らし、2カ月後には「不正がなかった」という結論を出してしまう。
これを機に教授によるパワハラが本格化し、小川さんは研究室から締め出され、授業の機会も奪われた。大学側はこうした状況を容認し、小川さんは学内で完全に孤立した。
その後、地元紙による報道をきっかけに、大学側は教授による500万円以上もの不正経理を認定。小川さんは大学側などを相手取って損害賠償訴訟を起こし、裁判所は2017年に大学側の非を認め、賠償金約220万円の支払いを命じた。それでも全ては落着していない。
小川さんは訴える。
「不正経理を行った教授はすでに退職しましたが、私の授業数は削減されたままの状態です。最初の内部通報から既に14年です。なぜ私がこんな扱いを受けなければならないのか。告発者への報復を禁じてはいるものの、公益通報者保護法に肝心の罰則規定がないからです。『やり得』の構造になっている。刑事罰の導入を願っていましたが、まさか行政措置も見送られるとは......。これでは『通報者保護法』ではなく、報復する側を守る法律です」
「役所には内部告発者を守る気概がない」
首相の諮問機関である内閣府消費者委員会の公益通報者保護法専門調査会は2018年末、この法律の改正に当たっての報告書で、通報者に報復した企業などへの「行政措置」(企業名の公表など)を要求している。それなのに、なぜ、改正案に盛り込まれなかったのか。
この法律に詳しい中村雅人弁護士(東京)は言う。
「報告書の要望のうち、改正案の条文から唯一、すっぽりと欠落したものがある。それが報復企業に対する行政措置の導入です。専門調査会の報告書は答申ですから、法律は答申に沿って作られるべきなのに......。(通報者への)不利益取り扱いに関して、(法案は)答申を無視しています。政府は附則に3年後の見直しを記し、付帯決議に『不利益取り扱いの是正に向けた取り組みを進める』などと入れればいいと思っているのでしょう」
取材を進めていくと、その背景として日本経済団体連合会(経団連)をはじめとする経済界の意向に加え、同法を所管する消費者庁のマンパワー不足を指摘する声が複数の関係者から聞こえてきた。政府案ができる前の自民党PTでは「報復した企業に厳しいペナルティーを科さないと実効性のある法律にならない」と主張する議員もいたが、大きな流れにはならなかった。
中村弁護士は「消費者庁は本当に情けないし、気概がない」と前置きし、こう指摘する。
「消費者庁の幹部は、消費者団体や弁護士の集まりに来て、どう言ったと思います? 『自分たちには通報者に不利益取り扱いをした企業に対して行政処分できるだけの能力はない。スタッフもいない』と。『公益通報の対象となる法律は何百もあるし、不利益処分(報復)が通報したことを理由にしているかどうか、自分たちには事実認定する力がない』なんて言っているんですよ」
マンパワー不足という"言い訳"に対し、中村弁護士はこう言う。
「そんなのは消費者庁が司令塔の役目を果たして、他省庁の協力を仰げばいいだけの話です。特に労働紛争では、厚生労働省が全国に労働局を持っていて紛争処理をいっぱいやっているわけですよ。『そうしたものを活用すればいい』と言うと、消費者庁の幹部は『厚労省が協力してくれない』とこぼす。厚労省に向かって『バシッと司令塔機能を発揮して、やってくれ』となぜ言えないのか。国会審議の中心は報復企業に行政措置を導入するか、否かになるでしょう」
スルガ銀行不正 「行員は報復を恐れて内部通報しなかった」
企業自らが不正に対し自浄能力を発揮しやすくする――。こうした狙いのもと、消費者庁は改正案の大きなポイントに「従業員や職員300人超の企業・行政機関に、内部通報の体制整備を義務付ける」ことを据えている。体制整備とは、通報窓口を設置し、通報内容を調査して、不正を是正することを指す。
だが、大企業の大半は2006年の同法施行時から通報窓口などを既に設けている。日産自動車の不正検査(2017年9月発覚)、神戸製鋼所の品質データ改ざん(同年10月発覚)、航空エンジン製造大手IHIの無資格検査(2019年3月発覚)......。多発する企業ぐるみの不正は、そうしたなかで発覚してきた。
これらの事実を前に、志水芙美代弁護士(東京)は「通報窓口などの内部通報体制が形式的に存在するだけでは、早期に不正の芽を摘むといった、制度本来の役割は果たせないでしょう」と指摘する。
志水弁護士は2019年までの過去5年間を対象に、上場企業などで発覚した約120件の不祥事案件について、第三者委員会の報告書をもとに分析・調査した経験を持つ。
「過去のケースを分析すると、内部通報制度が社内にあるのに不正防止が機能しなかった理由として、最も多かったのは社員に対する制度の周知不足です。続いて、通報者側の不安や通報制度自体への不信が2割に上りました」
2018年2月に発覚したスルガ銀行の融資不正をめぐっては、その後、同行が設置した第三者委員会が行員約3600人からアンケートを取った。それによると、行員約200人は内部通報制度を利用して不正の実態を知らせようとしたが、断念した。「どうせ無駄」「取り合ってもらえない」「通報したことが社内に知られることを恐れた」「報復の恐れがある」といった理由が多くを占めたという。
労働者3000人を対象とした消費者庁の2016年度調査でも、不正を知った労働者のうち48.4%は組織内部や報道機関などに「通報・相談しない」と答えている。理由の多くは、やはり、「通報しても改善の見込みがない」「解雇や降格、配置転換などの不利益取り扱いを受けるおそれがある」「職場内でいやがらせを受けるおそれがある」などだった。
スルガ銀行などの実例を踏まえ、志水弁護士は言う。
「内部通報制度を実効性あるものにするためにも、企業が取るべき体制整備について改正案の条文にどれだけ具体的に書かれるか、注目していました。ところが、政府案は自民党の提言を受けてなのか、別に定める『指針』にすべて委ねることにしてしまった。やはり重要な部分は条文に明記しないといけない。現状では『指針』の内容がどうなるかすら不透明です」
続けてこう指摘した。
「公益通報制度に対する社員の不安や不信を払うため最も望まれるのは、通報者への報復に対する罰則規定です。これがないと、内部通報など安心してできません。(改正案の前提になった内閣府の)専門調査会の報告書は、日弁連(日本弁護士連合会)が主張する刑事罰より一歩後退し、行政措置を導入すべしという内容でした。それも見送られてしまいました」
通報の漏洩には罰則 「あのとき、その条文があれば」
精密機器大手「オリンパス」に勤務する浜田正晴さん(59)は、内部告発者としては、おそらく日本でも指折りの有名人だ。2019年11月には、NHKのドキュメンタリー番組「逆転人生」で主人公にもなった。改正案への批判が根強いなか、浜田さんは高く評価している部分があるという。
「それは罰則付き守秘義務の新設です。内部告発した当時、これがあったなら、私も(配置転換などの)被害を受けなかったかもしれませんね」
この罰則付き守秘義務は、企業の内部通報担当者などを対象としたもので、違反すれば、30万円以下の罰金刑になる。自民党PTで大議論になった末、「このままでは誰も不正を訴えることができない」との主張が消極派を押し切り、改正案に盛り込まれたという。
浜田さんの内部告発とは、どんなものだったか。
それは2007年、当時の上司が取引先の社員を引き抜こうとしているのを知ったことから始まる。引き抜きをやめるよう上司に直接伝えたところ、上司は受け入れない。そのため、社内のコンプライアンス室に相談した。すると、相談を受けた社員は、浜田さんの名前や相談内容を当の上司や人事部長らに伝えてしまったのだ。
それ以後、組織ぐるみの報復が始まった。営業の第一線から仕事のない職場に配置転換。人事評価は最低水準となり、上司からの恫喝も頻繁になった。それでもひるまなかった浜田さんは、2008年に配置転換の無効確認などを訴えて提訴し、2012年6月に最高裁で勝訴が確定した。ところが会社側の冷遇は変わらず、今度は損害賠償などを求めて提訴。2016年2月にオリンパス側がようやく非を認め、解決金を支払うかたちで和解決着した。
浜田さんは言う。
「全てのきっかけは、通報窓口担当者による承諾なしの情報漏洩です。私の8年間の裁判闘争、その前後を合わせると約10年もの闘いは、無断漏洩によって引き起こされた。漏洩の承諾があったか、なかったかを長年、法廷で争わなければならなかったんです。公益通報者保護法に初めて罰則ができる。しかも守秘義務に関して、です。組織内外の通報受付担当者は緊張感を持たざるを得なくなるでしょう。漏洩のリスクが大きく低減され、報復される恐れも減ると思います」
浜田さんはそう言うと、ファイルからA4判の書類を取り出した。2013年9月に浜田さんら内部通報経験者4人が内閣府特命担当大臣、消費者庁長官宛てに出した公開質問状と、その回答書だ。質問状で浜田さんらは「公益通報者保護法の条項に通報者の秘密を守る義務を明記した条項がないのはなぜか。重大な欠陥だ」と指摘している。回答は、もちろん、満足のいくものではなかった。
「守秘義務の条文化を否定していた消費者庁が、罰則付きの守秘義務を条文として明記しようとしているんです。やっと私の裁判での判例が法改正に生かされたか、という思いです」
「EUの条文は具体的で実効性がある」
大阪市北区の天満地区。ビル4階の事務所に林尚美弁護士(大阪)を訪ねた。
林弁護士は法改正に向けた消費者委員会の専門調査会委員だった。2018年の1年間、計16回の会議に出席。改正案のたたき台をつくる議論に、当事者としてじっくりと向き合っていた。
「改正案は60点です。赤点でも合格点でもない。法律の施行から14年、見直されないままずっと放置されていたので、改正にこぎ着けつつあることは一歩前進です」
100点から60点を引いた、残り40点分の問題点はどこにあるのか。その一つは内部通報の守秘義務に関して、罰則の対象が通報窓口の担当者だけとなり、事業者そのものは罰則対象から外れている点にあるという。
「事業者にも責任を負わす形にしないといけないと思います。企業のシステムとして、通報受け付けや調査などの各段階で公益通報者をどう守っていくか。そこを事業者に考えてもらわなければいけないのに、政府案にはその視点が欠けています」
最も重要な"報復をどう防止するか"についてはどうか。
「専門調査会の報告書から後退しましたね。反対する委員を座長がこんこんと説得していただけに、取り入れてほしかった。経済界の反対もあるでしょうが、消費者庁の及び腰が過ぎるのでは。『行政措置なんて権限がないのにできるはずがない』『行政訴訟されたらどうするのか』とか。こうした姿勢では、今後もずっとできないことになってしまいます」
林弁護士は欧州連合(EU)の公益通報者保護法に詳しい。
「EU加盟国の国内法の基になるEU指令(法令の一種)では『内部通報の窓口担当者は7日以内に通報を受けたことの通知を出す』『調査開始から3カ月以内に結果をフィードバックする』といったように条文が具体的です。27カ国(英国を除く)もあるので細かく規定しなければ、という背景はありますが、(条文が詳細で具体的なため)内部通報体制整備の実効性は高いはずです」
林弁護士によると、今回の改正案には、公益通報者の範囲に「取引業者」が入っていない、といった問題もある。「内部通報者が解雇などの不利益な扱いを受けて提訴して争う場合、企業側が通報と不利益扱いに因果関係がないことの立証責任を負う」ことなど、「条文に書いてほしかった」との思いを残す論点も多いという。
内部告発者に不利益を与えず、不正をなくして社会正義を実現する――。今の改正案は、本当にそれを後押しする内容なのか。改正案をめぐる国会審議は間もなく本格化する。
本間誠也(ほんま・せいや)
北海道新聞記者を経てフリー記者。フロントラインプレス(Frontline Press)所属。