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平岩享

地方から世界へ 「先細り」転換で広がるビジネス

2016/04/27(水) 10:40 配信

オリジナル

新興国で国づくりを任される田舎の中小企業、欧米の高級ホテルやトップブランドから注文がくる小さな会社。どれも地方にある「時代遅れ」と見なされがちな斜陽産業の話である。なぜ海外で支持されるのか。「ガラパゴス」とは無縁の「日本製」から見えてくるものとは--。(Yahoo!ニュース編集部/Forbes JAPAN編集部 副編集長兼シニアライター 藤吉雅春、ライター 荒井香織)

富山県富山市のタイワ精機、高井芳樹会長。自社の無農薬試験田にて。写真:平岩享

タイやベトナムに持ち出される「カンボジア米」

「世界一のコメ」を決める「国際コメコンテスト」という大会がある。この大会で2014年まで3年連続優勝したのが、カンボジアの「ソマリー・ライス」だ。ところが、「世界一」の称号を勝ち取りながら、カンボジアの農家は貧困から脱することができない。カンボジアで生産された米が籾の状態でタイやベトナムの業者に安く買い叩かれて、密輸出されるからだ。土壌に恵まれ、せっかくおいしいコメをつくっても、籾の保管技術や精米技術、流通の仕組みが確立できていないため、非正規ルートで持ち出され「タイ米」「ベトナム米」として売られていく。

主だった産業がないカンボジアで、フン・セン首相はコメで国家再建ができないかと、2012年、一人の日本人をカンボジアの官邸に招き、こう依頼した。「カンボジア産のコメを輸出産業の大きな柱にしたい。協力してほしい」と。

富山県富山市。フン・セン首相の依頼を受けたのが精米機メーカー「タイワ精機」の創業者・髙井芳樹(81)だ。コイン精米機の市場を確立し、現在、年間販売台数で高いシェアを誇る。

過去にも髙井はフン・セン首相から協力を依頼されている。90年代はじめ、カンボジアが大量虐殺と内戦を終えた頃のことだ。1996年、髙井はカンボジアに精米プラントを寄贈。しかし、その寄贈式で、「カンボジアには二度と行くまい」と思うほどの失敗をした。精米機にかけたコメが次々と折れだしたのだ。

髙井が振り返る。
「カンボジアの米が日本の米とは違う細長い形状の長粒種米だったのです。そのことをすっかり忘れていたため、日本の精米機ではコメが砕けてしまった。砕けると、味が落ちます。私は "美味しいコメ"をつくる精米技術を追求してきただけに、恥ずかしさと情けなさで、もう逃げ出したくなりました」

独自の「低温精米」技術を用いたタイワ精機の業務用精米機。写真:平岩享

その後、15年もの間、髙井の足はカンボジアから遠のいてしまった。

髙井たちが開発した精米方法は「低温精米」という独自技術である。

低温精米とは、「機械による精米は短時間で行うため、摩擦熱による温度上昇でコメのうま味が逃げてしまう。そこで精米中の上昇温度を11度に抑える仕組みを開発したのです」

画期的な技術に加え、1993年からタイワ精機の精米機が爆発的にヒットした背景には、コメの流通市場の変化がある。93年当時は食糧管理法があり、コメの販売は政府の管理下にあった。しかし、髙井は「いずれ消費者は味でコメを買うようになる」と予見。食管法に批判的な、自主流通米を売る米穀店と組み、店頭で自主流通米を精米するために小型機を開発した。客の目の前で、独自の精米技術で「つきたてのおいしいコメ」をつくる手法があたり、その2年後の1995年に食管法は廃止され、民間の流通米を主体とする新食管法が制定されるとコイン精米機市場が一気に拡大した。

市場を制した94年、髙井はカンボジアでフン・セン首相を紹介されたのだが、寄贈式で失敗してしまう。

そんな髙井の心に再び火がついたのは、15年後の2010年のことだ。髙井が別の仕事の用事でカンボジアを訪れると、偶然にも94年にフン・セン首相の通訳をしてくれた男性と再会したのだ。長粒種米に合わない精米機を寄贈してから15年。カンボジアの農家の現状は以前と変わっていない。技術にこだわりを持つ者として無視できず、髙井は首都・プノンペン市郊外に「長粒種米研究試験所」を設立。本格的な精米機の研究に乗り出したのだ。

1年後に試作機第一号を完成させると、2012年、フン・セン首相は官邸に髙井を招き、コメの生産と輸出を基幹産業とする「ライス・ポリシー」への協力を要請した。

「課題は多い」と、髙井は言う。精米機製造のための部品の調達、機械のオペレーターの養成、輸出の仕組みづくり、性能は劣るが安価な海外製の精米機との競争。それでも彼は「お手伝いをしたい」と、工場を建設。2013年には「メイド・イン・カンボジア」の精米機製造が始まった。

「籾のまま安く買い叩かれるより、付加価値をつけたおいしいコメをカンボジア人の手によって輸出しないと、貧困からは抜け出せません」と、髙井は言う。

自社工場内での高井芳樹会長。写真:平岩享

日本人一人あたりのコメの年間消費量はピークだった1963年の117㎏から2014年は半分以下の55.2㎏まで減っている。国内市場だけに目を向けていれば、これまで培った技術が「先細り」になる恐れがある。だが、世界に目を向ければ、搾取され続けてきたカンボジアの農業の発展の兆しになるのだ。

技術移転が、てこの原理のように社会の仕組みにまで影響を与えるモデル。それは精米に限った話ではない。次に紹介するのはガソリンスタンドだ。

中小企業が「世界のメンター」になる

ガソリンスタンドの地下で、危険物を貯蔵する「SF二重殻タンク」で全国トップのシェアを誇るのが、金沢に本社がある玉田工業だ。「SF二重殻」のSはSTEEL(鉄)、FはFRP(繊維強化プラスチック)のことで、二重構造の危険物の貯蔵タンクである。漏れを感知するセンサーが備え付けられており、微少な漏れも検知する。

福島第一原発の事故でこのタンクの威力は発揮されている。2011年3月末、原子炉を冷やす際に生じる放射能汚染水を入れるタンクの継ぎ目から汚染水が地下に漏れた。そこで、東京電力に飛び込みで自社製品を説明し、370基の「漏れないタンク」の製造を受注したのが玉田工業だ。

玉田工業の「SF二重殻タンク」。栃木県鹿沼市の関東工場にて。写真:平岩享

SF二重殻タンクは、93年、玉田工業がまだ北陸のローカル企業だった時、会社存亡の危機に直面したことで開発された。常務の玉田善久が話す。

「消防法の改正で、FRPを使用したタンクが認可されることになりました。すると、ガソリンスタンドサイドから、FRPに対応できなければ、取引の継続はできないと伝えられたのです。慌てて社長らがアメリカにFRPの技術を習得に行きましたが、高額なライセンス使用料が必要となり、独自に工法を開発せざるをえなかったんです」

この時に見いだしたのが、鉄製のタンクを回転させながら、FRPをスプレーで吹き付けていく独自の「スプレーアップ工法」という技法だった。だが、FRPで国内シェアをとったものの、ガソリンスタンドの件数は減少。1994年に全国で6万421軒あった給油所は2012年には3万6349軒になっていた。

そこで、2012年に玉田工業が目指したのはベトナムである。ベトナムは急速に車社会に変貌する一方で、「咳やくしゃみが止まらない」(玉田)ほど大気は汚れ、給油所の粗末なタンクからガソリンが地中に漏れ、井戸水や土壌の汚染をもたらす問題が発生していた。

「コストや法律の問題がありました。そこで、まず2014年にJICAのプロジェクトに協力して、ベトナムの環境省、商工省、公安省に日本のガソリンスタンドなどを視察してもらい、研修を行いました」(同前)

また、玉田らがベトナムに常駐し、工場を設置。将来的にいつでもSF二重殻タンクを製造できるような設備にして、現在は防火水槽の製造輸出、地下タンクの委託製造を行い、事業を現地で継続できるようにした。

玉田はこう言う。
「日本発のスタンダードを世界基準にしたいと思っています」

FRPをスプレーで吹き付ける「スプレーアップ工法」。工場にはベトナムからの研修生も10人弱勤務している。写真:平岩享

今や国内の給油所は20年間で3万軒近くがなくなり3万3510軒にまで減少している。もし仮に玉田工業が日本市場だけを見ていたら、会社は再び存亡の危機を迎えていただろう。世界に目を向ければ商機は存在している。

ラルフローレンが注目したもの

次に、地方にいながら、海外から注文が殺到する事例を紹介したい。
関西でサラリーマンだった和田修一は、Uターンで故郷の高知県に戻ってきた。「都会生活から再び田舎に帰ってきた時、高知には都会にないものがたくさんあることに気がついたんです」

和田は「さめうらこむ」という会社を設立。汚れた切り株を山から集めてきて、木材加工の仕事を自営業として始めた。

「ゴミばかり積み上げて、あいつは頭がおかしくなったんじゃないか」。そんな陰口を叩かれたが、磨き上げた切り株をウェブサイトで宣伝し始めると、次第に注文が入り始めた。繰り返すが、表面をきれいに加工しているとはいえ、単なる「切り株」だ。だがそんな「切り株一つ」に世界的なアパレルブランドであるラルフローレンから依頼が舞い込んだ。

「『切り株=イス』は思い込みです。例えばラルフローレンは自然の素材そのままの切り株をショーウィンドウのディスプレイ用に使ったんです」

また、今や、グランドハイアット東京をはじめ、中国、ハワイ、フランス、ニュージーランドなど世界中の一流ホテルやレストランから木材の皿の注文がくる。さらに、厚さ2~3センチにカットした木材の輪切りに、レーザー加工で焼き印を入れられる大型機械を導入。パソコン上のデザインにしたがって、木材に文字や絵柄を精細に刻印できる。これが大当たりした。

ホテルでコース料理のプレートとして使われる「さめうらこむ」の切り株。写真提供:グランドハイアット東京

「翡翠(ひすい)を飾りたい。神様の像を上に乗せたい。木材の台ひとつとっても、人によってさまざまな用途がありますよね。僕は素材の魅力を最大限生かして、あとは自由に使ってもらう。保育園で運動会をやるときに、一つひとつ手作りした木のメダルを渡したらとても喜ばれるんですよ」

近年はウェディング関係の注文が急増した。ウェディングケーキを載せる台、署名入りの結婚誓約書、来客のテーブルに一つひとつ名前つきで置くゲストカード......。これらをすべて木材加工でオーダーメイドする。「何これ、すごい!」。驚いた来客の口コミがさらなる依頼を呼ぶ。

「さめうらこむ」には海外の一流ホテルやレストランからのオーダーが絶えない。写真提供:グランドハイアット東京

また還暦や古希、米寿のお祝いに祖父母の2ショット写真を刻印したり、赤ん坊の手形を記念に焼きつけたりと、客が次々に用途を広げていったのだ。同じ高知の杉材を使い、オーダーメイド犬小屋をネットで販売し、全国から注文が殺到している例もある。

和田は言う。


「よく『日本は資源がない国だ』なんて言う人がいるでしょ。ウチのまわりは資源だらけ。木は無尽蔵にあるわけですよ。高知県の森林面積は84%と、全国トップですから。なのに外国の木を輸入して買うなんて、こんなバカなことはない。すぐ近くに山ほどある木を、商売に活用すればいいんです」

和田にとっては、日本産の木でなければ付加価値を生み出せない理由がある。

「日本には四季がはっきりあるおかげで、きれいな年輪がつきます。冬は山の中でじっと眠り、温かい春になったら活動を始める。四季があるおかげで年輪が重ねられ、その年輪があるおかげで、海外の人たちが絶賛する味わいが生まれるのです」

シンガポールやドバイの富裕層など、顧客は世界に広がる。注目した高知県からの依頼もあり、雇用を増やしていく予定だ。

斜陽とはいえ、本質を極めた技術や素材である。ポイントは、それを何と掛け算していくか。

使う相手の立場に立てば、可能性は広がっていくのだ。  


Yahoo!ニュース編集部とForbes JAPAN編集部の共同企画として、「地方発"逆転"のビジネス」を企画しました。Forbes JAPANの3月25日発売号では「地方発 逆転のアイデア33選」では「地方発 逆転のアイデア」を取材、紹介しています。地方は疲弊していると思われがちですが、目の付け所によっては意外なチャンスもあります。下の動画では「地方の秘めた可能性」をモーショングラフィックでお届けします。

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