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葛西亜理沙

「卒婚」のいま――互いに束縛しない夫婦関係とはなにか

2019/09/27(金) 07:27 配信

オリジナル

国の2018年の人口動態調査(推計)によると、全国の婚姻数59万組に対し、離婚は20万7000組。一方では婚姻関係を維持しながら、夫婦関係を見直す人たちもいる。その選択肢は「卒婚」と呼ばれている。 主に 40 代から 60 代が選択する夫婦のあり方で、「お互いの生活時間を大切にしたい」などの理由から、別々に暮らすケースも少なくないという。実際に卒婚を果たした夫婦の話から、現状を取材した。(取材・文:樺山美夏、写真:葛西亜理沙/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「夫婦という概念」に縛られない「夫婦」

やましたひでこさん

東京で一人暮らしをしている作家・コンサルタントのやましたひでこさん(65)は、「卒婚」7年になる。石川県にある夫の実家で義理の両親と暮らしていた30代の頃、ストレスから白血球が減る病気になり、髪が抜けてやせ細った。モノを捨てられない義父母の散らかり放題の住空間と古い価値観に耐えきれず、同居をやめたのは30代後半。それから、自分の生き方を見つめ直し、18年ほど前から「断捨離」の提唱者として活動を始め、現在に至っている。

「夫の実家にいた時は、自営業で歯科技工士として長時間労働していた夫の経理の仕事を手伝ってお給料をもらっていたこともありました。でもお金の勘定が苦手で、こんな性分に合わないことは続けられないと、一度すべてを投げ出したんです」

一人息子も大学生になり、「親は親、自分には構わないでほしい」という思いが強くなってきた頃で、子育てが一段落ついたのも大きかった。

「これからは自分がやりたいことをやって生きていこう」と決めたやましたさんに対し、夫は意外にもあっさりと「好きなことをやればいい」と傍観者でいてくれた。その後、断捨離を広める活動やメディアの取材を受ける仕事が忙しくなり、東京でホテル暮らしをすることが増えたため、7年前に自分専用のマンションを借りた。これを機に「卒婚宣言」したのだ。

「私にとって卒婚は、断捨離の概念を自分の日常生活に取り入れるために模索してたどりついた結果です。社会的ニーズや精神的ニーズが夫婦だけでは満たされなくなった時、たとえ別々に暮らしてでもそれを満たしたい。そう思った時、卒婚が私たちにとってベストな選択だったんですね」

「結婚制度に縛られた『同居=夫婦』という思い込みを捨てれば、夫婦はもっと楽しく自由になる」。やましたさん自身、そう実感していると続ける。旅先で買い求めた置物やお気に入りの家具に囲まれた理想の住空間で語るやましたさんは、終始笑顔だ。

「夫のことは“ジュンちゃん”と呼んでいて、今も仲良しです。好奇心旺盛であちこち飛び回っているアクティブな私と、地元・石川県の落ち着いた暮らしが好きなジュンちゃんは、このくらいの距離感がちょうどいい。ジュンちゃんは自分で料理も覚えて、たまに友達を招いて“居酒屋やましたくん”を開いているんですよ。でも掃除洗濯は苦手だから、この前の誕生日プレゼントに全自動洗濯機を買ってあげました」

愛犬に夢中の夫は、やましたさんがたまに帰ると、「そろそろ飽きてきたから東京に戻っていいよ」と冗談を言うこともあるのだとか。

「会ってもよし、会わなくてもよし。縛らない、縛られない。私たちはそういう関係が理想なんです。だから卒婚は、結婚制度を超越した理想の夫婦のあり方だと思っています」

もともと「卒婚」は、2004年に出版された『卒婚のススメ』という本が提唱した夫婦のかたちだった。著者の杉山由美子さんはこう書いている。

「子育て後のカップルは、長い後半生をどうしたら、よりよく生きていくことができるのだろうか。そんなことを考えて中高年のひとたちの取材を始めたころ、出会ったのが『卒婚』という言葉だった」

(静山社文庫『卒婚のススメ』「エピローグ」より抜粋)

あれから15年。人生100年時代と言われるようになり、仕事や子育てが終わってからの長い人生の過ごし方を考える人が増えているのだろう。テレビやメディアでも「卒婚」がよく話題になり、自治体が主催するセミナーで「卒婚」をテーマにした講座も増えている。

例えば、川崎市男女共同参画センターは2019年6月に、「50代からの生き方講座」で「退職後の夫婦の向き合い方(卒婚・コミュニケーション)」をテーマにしたセミナーを開催した。講師を担当した日本メンタルアップ支援機構代表理事の大野萌子さんによると、夫婦での参加も含む聴講者で会場は満員だったという。大野さんが説明する。

「卒婚するのは50代から60代が多いような論調がメディアでは多くみられますが、私が関わる相談者で卒婚を希望される方は、40代から50代が多い傾向にあります。卒婚の決め手は、互いにある程度、経済的、精神的に自立していること。40~50代でまだお互いに働けるうちに準備を進めたい気持ちが強いんでしょうね」

離婚と卒婚はどう違うのか

岡野あつこさん

夫婦・離婚問題のカウンセラー、岡野あつこさん(65)も、「2、3年前から、卒婚に関するテレビのコメントや雑誌の取材が急に増えてきましたね」と話す。よく聞かれるのは、「離婚と卒婚の違い」についてだという。

2018年10月に、元貴乃花親方が河野恵子さんと離婚した際、卒婚という言い方をして話題になったこともあった。しかしこれは、離婚を美化して卒婚と言い換えただけで、「離婚と卒婚はまったく違うものです」と続ける。

「離婚はストレスフルで、人によってはお互い憎み合ったり、財産分与で争ったり、何かとトラブルが起きやすいものです。でも卒婚は、経済的にも精神的にも自立した夫婦が、お互いを認め合って尊重した上で、それぞれ自由に暮らすポジティブな選択なんですね。ですから、卒婚に憧れる女性はとても多いです」

しかし実際は、夫の生活態度や言動に我慢できず、かといって離婚する勇気もないことから、別居を考える女性も少なくないという。

「ネガティブな理由だと、失敗する可能性が高いです。一緒に暮らすのが嫌で別居するのは卒婚とは言えませんよ。別居から離婚に至るケースも多いですから」

また、当初はポジティブな理由で踏み切った卒婚でも、お互いの心の距離が離れてしまえば、離婚に発展する可能性がある。別居が長引くと、どちらかが離婚したくなった時に離婚しやすくなる。相手が不倫した場合も、法的に相手側の責任を追及しにくくなる。

「私も2回離婚しているので痛感していますが、離婚のダメージはとても大きいです。だから相談に来る方には、お金を渡さないなど経済的なトラブルがなければ、離婚よりも夫婦関係の修復を勧めることが多い。そのひとつの手段として、期間限定の別居を勧めることもあります。離れてみて初めて、相手の存在の大切さに気づく方もいますから」

卒婚で夫婦仲が改善した

「離れてみて初めて分かることがある」。そのことを実感したと語るのは、5年ほど前に卒婚した大手メーカー勤務の女性、橋本さん(仮名/51歳)だ。卒婚後は子ども2人と東京で暮らしている。

大手メーカー勤務の橋本さん

「夫と離れて暮らしてみたら良いことばかりでした。家事や子育てのことをいちいち『あれして、これして』というストレスもありませんし、仕事も夫に気兼ねしないで思う存分できる。自立して生活している夫のことが愛しくなりました。たまにお互いの家を行き来する時は、何かやってもらうたびに『ありがとう』って素直に言い合えるほど優しくなりましたね」

毎年、高校生と中学生の子どもたちの夏休みには、夫の家に1週間ほど滞在するという橋本さん。そこは整体師の夫が治療院として使用する仕事場兼自宅で、「家族が別荘としても過ごせる家を」と橋本さん夫妻が探した、東京から車で4時間の避暑地にある一軒家だ。

「夫の家は自然豊かな場所でとても居心地が良くて、私たちがいる間は、食事も洗濯もすべて夫がやってくれるんです。『私ってなんて幸せなんだろう』って、夫の所へ行くたびに実感しますね。もちろん、彼がうちへ来た時は私が完璧におもてなしするんです。楽しいですよ」

誕生日やクリスマスにプレゼントを贈り合う習慣も、結婚以来ずっと変わらず続いている。

「今は本当に家族ラブラブなので、周りの人たちにも、『卒婚、最高よ!』って勧めているんですけど、男性には不評ですね。家のことは妻に任せきりとか、妻がいないとダメな人ほど、なんで離れて暮らさなきゃならないの? と考えてしまうようなんです」

夫からのプレゼントを手に

今はそう笑って話す橋本さんだが、別居のきっかけは離婚を回避するためだった。共働きだった夫が独立に向けて会社を辞めて無職になってから、顔を合わせれば言い合いするほど険悪な関係になったのだという。

「仕事を辞めてずっと家にいる夫に、洗濯してくれない、掃除もしてくれない、あれもこれもしてくれないと、不満だけがたまっていったんですね。働いてくれていた時は我慢できたのに、お金が入らなくなった途端にイライラする自分のことも嫌になって。夫は夫で、いつも仕事で帰りが遅い私のことを心配するのも限界に達したみたいで。ある日、『家を出て自分で生活したい』と話を切り出されたんです」

離婚だけが選択肢ではない

当時のことを、「あのギスギスした状況で、夫から別れ話を切り出されるのも当然」と振り返る。離婚に至らなかったのはなぜなのか。

「長女に反対されたんです。『別に憎しみ合っているわけでもなく、ご飯も一緒に食べているのに、なんで離婚しなきゃいけないのか意味わかんない』と。夫が他に好きな人ができたわけでもなかったので、『離婚する必要はないね、じゃあどうしようか?』と家族で話し合いました」

そこで選んだのが、お互いの生活を立て直すため、あえて離れた場所で暮らすことだった。

橋本さん夫婦のアルバムから

離れていると、お互い好きな人ができる可能性もゼロではない。その点についてはどう考えているのだろうか。

「私たちが卒婚を選んだのは、自由に楽しく生きるためなんです。だからもし他に好きな人ができても、それはそれで仕方がないですよね。その時は離婚したほうがいいと思っています。たった一度きりの人生を、夫婦だからといって束縛し合いたくないので」

もし、離婚することなく今の状況が続いたら――。最近は、そんなことを思い描くこともあるという。

「50代はまだまだ自分の時間を自由に楽しみたい時期です。でも、この生活は永遠でなくてもいい。定年して70歳くらいになったら、夫とまたひとつ屋根の下で暮らしてもいいかなってぼんやり考えています」

夫からのプレゼント

やむなく卒婚を選んだ人もいる

橋本さんのように夫婦合意のもとで卒婚を選ぶのではなく、やむを得ない事情から卒婚に向かうケースもある。長野県で一人暮らしをしている男性、工藤さん(仮名/60歳)は、30年前に結婚。10年前まで父親から受け継いだ建築会社を経営していた。しかし、長引く不況の影響で売り上げも従業員も激減して、経営が立ちゆかなくなったため会社を閉鎖し、東京にいる家族と離れて転職した。

「会社を経営していた頃は、月末になると、『給料が払えない』『あの支払いが間に合わない』とイライラすることもありました。そういう生活が続いて切羽詰まっていた時に、たまたま訪れた信州の田舎町の博物館が館長を公募していたんです。僕は美大出身で学芸員の資格も持っているから、今までの経験が生かせるかもしれないと。そう思って家族に内緒で応募したら、運良く受かったんですが、妻と娘にはなかなか言いづらかったですね」

しかし、2009年10月に採用が決まり、12月から出勤する条件だったため、迷っている暇はなかった。ある日の夕食の後、「ちょっとお話があります」と切り出した工藤さんは、「お父さんは今の仕事を辞めて、信州の小さな町にある博物館の館長になります」と宣言した。

工藤さんのご自宅

「そしたら同じ美大出身の妻から返ってきた言葉は、『自分だけそんな面白そうな仕事をするの?』、『クッキー(愛犬)の散歩は誰がするの?』と、その二つだけ。やっぱり会社経営は大変でしたから、安定した仕事のほうがいいだろうと思ってくれたんでしょうね。一人娘は当時、高校受験を控えている大事な時期だったので申し訳ないと思いましたけど、12月から転職先の田舎に移住しました」

それまで家事は妻任せだった工藤さんだったが、自治体所有の3LDKの一軒家を安く借りて住み始めてから、自分なりの暮らしを見つけていった。

「引っ越した時は真冬で寒かったので、部屋にテントを張って寝袋で寝ていましたね。キッチンにはガスコンロも何もなかったので、キャンプ用のツーバーナーコンロや食器を使っています。今もキャンプのノリで生活していますよ」

工藤さん宅のキッチン

家族と離れてしばらくは、月2回東京の自宅へ戻っていた。しかし、「車で片道4時間かかるし、用事もないのにお金を使って帰る必要もない」と、だんだん足が遠のいていった。最近は年に6、7回ほど上京し、ファッション関係のデザイナーとして働いている妻の小さなアトリエで寝袋にくるまって愛犬と寝ている。

娘が社会人になり一人暮らしを始めたのを機に、妻もマンションで一人暮らしを始めた。だが、「そこにはまだ行ったことがありません」と工藤さん。結婚以来、お互いの仕事や生活に口出しすることがない2人は、東京で会っても一緒に過ごす時間はそれほど多くない。

「でも食事ぐらいは一緒にしますよ。仕事や友人知人の共通の話題もあるので、話していると楽しいです。離れて暮らしてしばらく経った頃、『私、白髪がなくなったの。ストレスがなくなったからね』と妻に言われて、『そんなにわしはストレスやったんかい?』と思ったこともありましたけど」

家族一緒に暮らすのが幸せだけど

妻は昔、イタリアの学校で学んだほど行動力も向上心も旺盛で、次々に新しい作品を生み出している。そんな妻のことを「作家としてはすごいなと思って尊敬しています。商売は下手ですけどね」と少し心配しながら見守り続けているようだ。

一方、サイクリングや演劇が趣味の工藤さんは、地元の遊び仲間も増え、田舎暮らしを満喫している。家賃も物価も安く、地元の農家から野菜をもらうことも多いため生活費も東京よりぐっと安く済む。そのぶん、妻には毎月決まった額の仕送りを続けているという。

「定年後は2000万円いるでしょ? 私たち夫婦の老後の課題は貯金ですから、妻に仕送りした分はしっかり貯め込んでくれていると思いますけど。定年後も非常勤でいいから、元気なうちはこっちで働き続けるつもりです。本当は、家族仲良く一緒に暮らすのが一番幸せなことだと思いますけどね」

工藤さん宅に張ってあるテント。気分は年中アウトドア生活だ

最後に、卒婚に向いている男性の条件を聞いてみた。

「家事が苦手でも、生活に多少不便があっても、自分なりに工夫して面白がれるかどうかですよね。何かと文句をつけたがる人には向いてないでしょう。あとは夫婦の信頼関係があってお互い干渉しないこと。どちらかが相手に依存していたら、こんな自由気ままな特殊な生活は成り立ちませんから」

工藤さんにとって家族とは「チーム」だという。それは、「誰がどこで何をしていても、それぞれが気持ち良く前向きに生きている同志のようなもの」。これは、やましたさん夫妻と橋本さん夫妻にも通じる考え方だ。

2018年の日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳で過去最長を更新した。長い結婚生活の中で、自分のために悔いなき人生を送るためのひとつの選択肢。それが卒婚なのかもしれない。


樺山 美夏(かばやま みか)
ライター・エディター。リクルート入社後、雑誌「ダ・ヴィンチ」編集部を経て独立。新聞、雑誌、WEBメディアで、ライフスタイル、ビジネス、教育、カルチャーのインタビュー記事を執筆。書籍のライターとしても活動している。

最終更新:2019年9月27日(金)22:25