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ニシブマリエ

ルワンダ「女性活躍」の複雑な実情――“虐殺”から25年、様変わりした国の現実

2019/09/25(水) 07:43 配信

オリジナル

ルワンダの首都・キガリの朝は早い。午前6時になると、「モト」と呼ばれるバイクタクシーが営業を始め、午前7時には学校や仕事が始まる。通りは清潔で活気にあふれ、とても「虐殺」があった国とは思えない。「フツ族」と「ツチ族」の対立によって、1994年4月からの約100日にルワンダではおよそ80万人もの人々が命を奪われた。「ルワンダ虐殺」から25年。男たちが殺し合った日々を経て、ルワンダ社会は様変わりし、女性の社会進出が世界第6位と評されるようにもなった。虐殺から女性の進出へ――。日本ではいまだに「虐殺」のイメージが強い国の「いま」を知るため、女性たちを訪ね歩いた。(文・写真:ニシブマリエ/Yahoo!ニュース 特集編集部)

午後5時、首都キガリの帰宅ラッシュ。「モト」と呼ばれるバイクタクシーが大活躍

キガリの街は美しい。高層ビルやおしゃれな店も多く、道路は清潔でゴミもほとんど落ちていない。「アフリカのシンガポール」と呼ばれるほどだ。

その首都から東へ車で1時間ほど走ると、ルワマガナという郡都に着く。

ガヒマ・レジナさん(54)の自宅を訪ねた。土で造られた家も多いなか、レンガ造り。赤いバラの花が咲き誇っている。レジナさんは、ジャガイモを揚げた軽食を用意してくれていた。客を出迎えるときは手料理を振る舞うのがルワンダの礼節だ。

ガヒマ・レジナさん宅。庭にはバラが咲いている。水道はなく、汲んできた水で生活する

虐殺以降、ルワンダはどう変わってきたのだろうか。レジナさんは早速、これまでの人生を絡めて語ってくれた。

「私が小学生の頃は、フツ族とツチ族で教育が分かれていました。女性は家事をするための存在で、一般的に勉強は許されていませんでした。ただ、私の父は教師で、親戚も知識人だった。教育熱心な身内の意向で、私は中学から隣国のウガンダに留学しました」

94年のルワンダ虐殺では、フツ族系の政府と過激派フツ族が、ツチ族や穏健派のフツ族を次々と殺害し、人口の10〜20%が犠牲になったとされる。もともと隣人同士だった住民が、民族が違うだけで、鉈(なた)やこん棒を振り下ろした。なぜ、その悲劇を防げなかったのか。当時の出来事は「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」といった映画にもなり、日本にも衝撃を与えた。

「ルワンダ虐殺というと1994年のものが有名ですが、ずっと前から紛争は絶えなかったんです。ウガンダで勉強させてくれた両親や兄弟は、虐殺のときに亡くなりました」

虐殺が終わると、レジナさんはほどなくルワンダに戻った。虐殺で国は大打撃を受け、必要な働き手もいない。特に医療従事者がいない。ウガンダで看護学校に通い、英語も身に付けていたレジナさんは、故国の病院で外国人患者の担当をするようになったという。

そこで“変化”に気付いた。

レジナさん(右)と次男。「機会があったら、料理の仕事をしてみたい」とレジナさん

レジナさんの父親。1994年の虐殺で他界した

レジナさんは振り返る。

「ルワンダに戻ると、働く女性が増えていました。女性でも給料は悪くない。私は当時、月8万フラン(日本円で約1万円)ほどの収入がありました。病院から4万5000フラン、残りはNPOからのサポートです。1万5000フランの家賃を払っても、ギリギリではあるけれど、衣類や食費も賄えました」

さらにこう加えた。

「女性が政界に進出し、弱者に優しい社会になったと思います。女性だけでなく、高齢者、障がい者への配慮も広がった。女性たちがもたらした、一つの成果です」

レジナさんには23歳と17歳の息子がいる。結婚は一度もしておらず、シングルマザーとして2人を育ててきた。今は無職。暮らしぶりは楽ではなさそうだ。虐殺で両親や親族を失い、頼れる親類はいない。

話しながら顔を覆うレジナさん。息子たちの大学の学費も心配だという

「いろんな家族を見てきたので、結婚にいいイメージはありませんでした。結婚をしていれば暮らしは楽だったかもしれません。でも、妊娠と結婚は直結しなかった。ルワンダにはシングルマザーがたくさんいます。虐殺で家族を失ったことによる賠償金を国に請求しているのですが、数が多すぎて私まで回ってきません」

女性の社会進出にも、やや複雑な思いがある。

「男女平等はいいことかもしれないけど、『子どもとの時間はどうするの』って思う。私はこれまで頑張って働いてきた。だいたい、うまくやってこられた。でも、これが正解だったかは分からないです」

国会議員の6割が女性 「世界一」の陰で

男女の社会的格差を測る指標の一つに、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」がある。この調査は「経済」「教育」「健康」「政治」の4項目から算出され、0は完全不平等、1は完全な平等を示す。その2018年版によると、ルワンダは「0.804」で6位。アイスランドやフィンランドといった北欧諸国などに続き、フランスや英国よりも高い。日本は「0.662」で世界110位だった。

同じく2017年版では、ルワンダは4位だった。

地域の集まり。母親や子どもたちでにぎやかだった

しかし、「虐殺」以前の女性軽視はひどかった、と現地の女性たちは口をそろえる。女性は銀行口座を持てず、遺産相続もできなかった。

それを変えたのは、2003年導入のクオータ制である。議会では、議席の3割以上を女性とするよう定め、その他の分野でも女性の進出が進んだ。世界経済フォーラムの指標でも、ルワンダは「政治」に強く、国会議員の女性比率は61%。近年は、女性の国会議員比率が世界で最も高い国であり続けている。

そうした「男女平等」「女性の社会進出」は本当なのだろうか。

レジナさんの町からさらに東へ向かった。カヨンザ郡のカボロンドという場所。そこにニヨンゼンガ姉妹は住んでいる。

姉のハディジャさん(27)と、妹のアイシャさん(23)。姉妹は、母が虐殺から逃れた先のタンザニアで生まれた。2人とも定職はない。近所の家事や農業を手伝い、小遣いをもらっている。「基本的に、その日暮らしだ」と姉妹は屈託がない。

ニヨンゼンガ姉妹。姉のハディジャさん(右から2番目)と妹のアイシャさん(右端)

ハディジャさんは事実婚だ。2人の子どもがいる。

「パートナーに結婚したいと言ったことはあるけど、賃貸住宅に住んでいるうちは結婚できません。そういう文化なんです。結婚は、男性が女性の人生に責任を持つことを意味するので、お金に余裕がある人たちしか結婚しません」

アイシャさんにも子どもが1人いる。妊娠は17歳のとき。ルワンダでは結婚は21歳以上しか認められないため、結婚は選択肢になかった。貧しいため、子どもを育てることができず、今は父方の実家に預けているという。

国民の9割以上がキリスト教徒のこの国では、中絶は法律で禁止されている。レイプによる妊娠など一部で例外が認められることはあるが、経済的・社会的な事情は考慮されない。中絶によって女性の健康が害された場合、中絶処置を行った人は3〜5年の禁錮刑に、女性が死亡した場合には終身刑だ。インターネットも車もない人たちが、中絶を扱う数少ないクリニックを探すことは至難だ。

農家の手伝いで食いつなぐ

妹のアイシャさんには“男女平等”がどう映っているのだろう。

「男たちは優しい言葉をかけてくるけど、子どもができたら『自分の子じゃない』と責任逃れです。女性はシングルマザーにならざるを得ない。そうなったら、それ以上は勉強することも働くこともできなくなる。お金がある人たちは男女平等な国だと思うかもしれないけど……。やっぱり女性の負担がまだまだ大きいです」

少数民族には教育も届かず

ルワンダにはフツ族やツチ族のほかに、「トゥワ」という少数民族がいる。「ピグミー」とも呼ばれる彼らは、長く偏見にさらされてきた。虐殺では、トゥワの約30%が殺害されたという。ニヨンゼンガ姉妹の母であるムカヤカレミェ・ソフィアさん(49)は、トゥワだった。教育を受けられず、今も字を書けない。

「虐殺以前は名前で呼ばれず、『ほら、トゥワだぞ』と指をさされる人生を送ってきました。働いても給料はわずかで、何をするにも差別があったんです」

少数民族「トゥワ」として差別を受けてきたムカヤカレミェ・ソフィアさん。ニヨンゼンガ姉妹の母

ソフィアさんもまた、シングルマザーだった。子どもは6人いて、一番下は9歳。ニヨンゼンガ姉妹にも子どもがいるので、ソフィアさんはおばあちゃんでありながら、子育て中のお母さんでもある。9歳の子どもは、姉妹の父とは別の男性との子だという。「結婚」という形態をとる人ばかりでないルワンダでは、異母きょうだい・異父きょうだいは普通のことだ。

「私からすると、ここら辺りでの結婚観は昔から変わらないですよ。変わったのは、社会のほうです」

現職のカガメ大統領は1994年に副大統領、2000年に大統領に就任し、独裁ともとれる指導力をもってさまざまな改革を進めた。女性の権利保障もさることながら、出身部族を示す身分証明書の廃止も大きい。「フツ」「ツチ」「トゥワ」ではなく「ルワンダ人」としてのアイデンティティーを掲げ、国民の融和を目指した。国民の信頼は厚く、2017年の選挙では98.8%の得票率で勝利している。

ハディジャさん。着ているのは大統領選のときに配られた「カガメTシャツ」

首都でキャリアを重ねる女性たちは

農村部から首都キガリに戻ると、「デジタル」が際立っていた。

多くの人がスマホを持ち歩き、道端にはプリペイド式のSIMカードを売り歩く人々。タクシーに乗ると、運転手から携帯番号を求められ、走行距離や料金のレシートはスマホに届く。女性たちは着飾り、華やかだ。

美しい指先でスマホを操作する女性

この都会でキャリアを重ねる女性たちも訪ねた。

イリホ・テオフィーラさん(31)は水衛生公社「WASAC」でエンジニアとして働いている。この春、オランダで環境エンジニアリングの修士号を取得したという。

テオフィーラさんには「虐殺」の記憶がかすかに残っている。だが、何が起こっているかは分からなかった。自分が属する民族も知らなかった。

「私たちが子どもの頃は、10人きょうだいも珍しくありませんでした。今、私の周囲は多くて4人くらい。子どもを産んだら養育費がかかることが浸透してきたから、子どもの出生率も下がっています」

イリホ・テオフィーラさん

子どもは「できたら産むもの」――。

そう考えることが常識だったルワンダ人に対し、医療関係者やNPOなどが避妊の方法や子どもを育てるのにどれくらいのお金が必要かといった啓蒙活動を続けている。ルワンダの合計特殊出生率は、1985年に8.18、2000年に5.64、2016年でも3.88もあったが、30年で半分以下になった。啓蒙の成果で「出産や子育てについては『男性も考えるべきことだ』と社会の認識も変わってきた」と言う。

4人の子どもを育てているクィゼーラ・アスンプタさん(47)によると、女性の進出が目覚ましい都会では、家政婦・家政夫たちが働く母親を支えているという。

農村部から仕事を求めて首都に来た人たちにとって、家事代行や育児代行は手軽な職だ。住み込みが一般的で、住居費の心配もない。アスンプタさんも仕事と子育てを両立させるため、月額2万フラン(約2300円)で18歳の女性を家政婦として雇っている。

クィゼーラ・アスンプタさん

もちろん、大学や大学院を出た彼女たちのような女性が、首都キガリの主流かどうかは明確ではない。ルワンダの男女の社会的格差や女性の社会進出は、一言で表現できるほど簡単な話ではない。その一端は、日本人が集まる場所で見えてきた。

日本人コミュニティーの周囲で見える“貧困”

キガリの高級住宅街・キミハーウラに、日本人コミュニティーの「KISEKI」はある。和食レストランであり、宿であり……。訪れた日も、駐在員やその家族、起業家、画家などの日本人が集まっていた。子どもたちは日本語と英語を使い分けながら、はしゃいでいる。

ここのオーナーは山田美緒さん(36)。日本人の夫がルワンダに赴任するのと同時に、自身もルワンダで起業しようと2017年1月に「KISEKI」を立ち上げた。

「KISEKI」の庭。日本の子どもたちがはしゃいでいた

「KISEKI」はシングルマザーを雇用する場でもある。2〜3人のスタッフ募集に対し、50人ほども応募してきたことがあるという。

山田さんは「ルワンダって見せ方が上手な国。データと実態がかけ離れているんですよ」と話した。例えば、公表データでは小学校の入学率は95%を超えているが……。

「うちのママたちの子ども、10人いて10人とも、学校行けてなかったですから。KISEKIで働くまで。『教育を受けて、就職して』というロールモデルが周りにいないから、親も教育に熱を注がなくなるんです。ママたちも16や18で妊娠して、学校もドロップアウトしてるので」

職歴のないシングルマザーには、とにかく職がない。そのことが山田さんの頭を離れない。

「彼女たちは支え合っている。貧乏だが貧困じゃない」と山田美緒さん

KISEKIのスタッフと山田さん(前列右端)

山田さんは言う。

「KISEKIの給料は正直少ないです。でも、ここで働き方を学んで、職歴を作って、どんどん卒業していってほしい。お金をあげることは本質的な解決にならないと思っていて。(シングルマザーたちは)借金もあるし、みんな、すぐに使っちゃうから。それよりも自立の機会とか、どうやったら稼げるかを教える職業訓練所みたいな場所でありたいと思ってます」

あふれる自信「将来は何らかのリーダーになっている」

ルワンダでは結婚は21歳から可能なのに、「25歳までに結婚をしないと、行き遅れた女性という烙印を押される」と言われる。その一方、社会での活躍の場が増えるに伴い、女性の結婚年齢は遅くなってきた。1991年に22.9歳だった平均初婚年齢は、2012年には25歳にまで上昇している。

古い価値観と社会進出との狭間で、結婚可能な年齢から「烙印」まで4年しかないとしたら――。

首都で働くナタンバ・バニスさん(28)はそんな疑問を打ち消すように「ルワンダに生まれてよかった」と自信に満ちていた。

環境調査を職とする正社員。25年前の「虐殺」はほとんど記憶にない。

「他のアフリカ諸国と比べても、ここは女性が強い国。女性の政治家も経営者も珍しくありません。むしろ女性のほうがリーダーに向いていると考える人もいます」

まっすぐに前を見て、問いの答えも間髪をいれずに戻ってくる。

「ルワンダは男女平等な国。私も将来は何らかの形でリーダーをしていると思います」

ナタンバ・バニスさん

男女平等は世界6位――。世界経済フォーラムがそう示したルワンダの実情について、バニスさんは皮肉を交えてこう言った。

「確かに、都市部と農村部とでは格差があります。教育を受けた人、受けなかった人の間にも格差があります。でも、田舎に行けば男性も女性も等しく貧困だし、首都キガリでは男性も女性も働いている。そういう意味で、確かにルワンダはジェンダーギャップのない国ではあるのです」


ニシブマリエ
青山学院大学英米文学科卒業。人材情報会社を経て、2017年からフリーランスとして活動。主に、ジェンダーや多様性の分野で取材・執筆を行う。

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