反社会的勢力との「闇営業」問題を発端として、芸人と事務所の関係に注目が集まっている。そんな中、所属する会社を自ら立ち上げ、精力的に活動を続けるコンビがいる。キングオブコント決勝常連の実力派コンビ「さらば青春の光」だ。メンバーの森田哲矢(38)が社長で、東ブクロ(33)が副社長。会社の売り上げは右肩上がりだという。大手事務所という後ろ盾がなくても、堅実な活動を続けられるのはなぜなのか。「フリー芸人」のサバイバル術を聞いた。(取材・文:Yahoo!ニュース 特集編集部/撮影:吉場正和)
(文中敬称略)
モルック、フジロック、そしてゴルフ
活動は多彩で話題に事欠かない。森田はこの夏、フィンランド生まれのスポーツ「モルック」の日本代表としてフランスでの世界大会に参加。渡航費など約300万円をクラウドファンディングで集めた。
森田「始めたきっかけはサンドウィッチマンの富澤(たけし)さんに勧められたことです。富澤さんに『趣味がないんです』と言ったら『前にロケでやったモルックが面白かったから、じゃあお前それやれよ』って。調べたら、日本モルック協会が練習会をやっているというので、行ったのが始まり。流れで日本代表になりました。協会のTwitterのフォロワーは220人くらいですけど」
7月にはプライベートでフジロックフェスティバルに行く様子をTwitterで“実況中継”。一般のユーザーと現地で交流しながらの珍道中が話題を呼んだ。翌週、フジロックをテーマにしたトークライブを急遽開き、チケットは即完売した。
森田「全部たまたまです。2日間、休みができたから一生に一度は行っときたいなと思ってたフジロックに行こうと。そしたらどんどんツイートがバズりだして、2日で1万人ぐらいフォロワーが増えました。『これライブやったら客入るんちゃう?』みたいな感じで、やっただけです。うちはマネジャーと直結してるので、思いついたらすぐできる。わずらわしい手続きがないんです」
相方の東ブクロは、ゴルフにのめり込んでいる。それも、仕事につながっているという。
東ブクロ「去年は1年間で125ラウンド行きました。月にゴルフで30万~40万円ぐらい使うので、貯金はゼロです。仕事になればええなと思って真剣にやりだしたら、ハマってハマって。それを面白がってくれる人もおるんでね。ゴルフ好き芸人って、上の年代の方が多いので、僕らぐらいの年代はあまりいないんですよ。雑誌の取材とか、ゴルフ番組とかの話もあります。あとは、企業の社長さんとかがゴルフするので、一緒に行って『じゃあ、この仕事どう?』みたいな」
東京に進出。でも移籍先は見つからず
松竹芸能の養成所で出会った2人は2008年にコンビを結成。松竹芸能所属の芸人として2012年のキングオブコントで準優勝を果たす。知名度が大きく向上した矢先の2013年、2人は事務所を離れ、東京に拠点を移す選択をした。当初は個人事務所を立ち上げるつもりはなく、移籍先を探していたという。
森田「もともとその1年前ぐらいから、辞めるという話を会社としていました。そろそろ、という時期にキングオブコントの決勝に行っちゃって。それでも将来のために辞めたほうがいいなということで辞めました。大阪ではメシが食えてなかったんです。東京にしか仕事がないと思っていました」
東ブクロ「東京に移るタイミングで事務所を変えようかという感じだったんです。まあなんとかなるやろって何も調べずに。東京にはいっぱい事務所あるし、と思っていて、行ってみたらどこも入るところがなかった。ちょっとおごりもあったと思うんですよ。キングオブコントで2位になって『ここからテレビに出ていけるんちゃう?』って思ってたら、もう一切なかった。あの時は焦りました」
思うようにいかない東京進出に追い打ちをかけるように、東ブクロの女性関係のトラブルが報じられる。学園祭の出演や営業がキャンセルになり、ネットで激しいバッシングに遭った。
森田「『やってくれたな、こいつ』と思いました。そんな時に(笑福亭)鶴瓶師匠がイベントに呼んでくれて、『おまえが見捨てたらもうこいつは終わるからな』って言われたんです。『おまえだけは味方でおったらなあかん』て。そうやなと思いながら聞いてました」
東ブクロ「芸人の先輩や仲間には本当に助けられました。テレビ出られへんし、ってことで営業に呼んでもらったり。助けてくれる人は多かったです」
ギャラ交渉は足元の見合い
望んでなったわけではなかった「フリー芸人」。その状況に目を付けた番組が転機になった。フリー芸人の実態をドキュメンタリータッチで追うTOKYO MXの冠番組「さらば青春の光 ふぁいなる」が2013年5月にスタート。番組内の企画として個人事務所を設立することになり、社名は「ザ・森東」に決めた。相撲で勝った森田が社長になった。
森田「ギャラ交渉も自分たちでやってました。オファーがあって『ギャラいくらですか』って聞くんですけど、『相場はいくらですか』って聞き返してくる。『予算はいくらですか』『ちなみにあれはいくらですか』ってお互い金額を言わずにずっと平行線。それで試しに『何万円です』と言ったら予算に合わないと断られる。いやいやそういうことじゃなくて、もうちょっと下げられますよ、と」
東ブクロ「足元の見合いしてね。芸人のギャラはこれくらい、というのは今になって分かりますけど、事務所に所属している時は分からなかった。『全部もらえな、おかしいやろ』って思っていましたね。営業ひとつでも大手事務所が窓口になっているのは大きい。『さらば青春の光』をわざわざ検索して依頼しようってなかなかならないでしょう。僕らのサイト開くと、電話番号がすごく目立つ枠にある。もう必死ですよ、それは」
森田「引っ越し屋ぐらい目立つ(笑)。舞台やテレビに出ると、横並びの芸人がいつも『ギャラなんぼやった?』って聞いてくる。『おまえらは(ギャラの取り分)10:0やろ』って言われるんですけど、会社の運営ってすごく金かかるんで。単独ライブの小屋代だけで相当かかるし、税理士さんに払うお金とか、家賃だとか消費税とか。だから10:0のわけがなくて、むしろ5:5より低いんじゃないかって思うくらいです」
個人事務所のフットワークの軽さでさまざまな企画を仕掛ける。依頼主の“言い値”でウェブCMを制作する「森東広告堂」も始めた。
森田「CMキングになりたかったんですよ。1年で一番CMに出てるタレントになりたくて。自分でCMを作って自分で出れば、ウェブならCMキングになれるんじゃないか、ということで始めました。言い値なのでYouTuberから『僕のチャンネルを1000円で宣伝してください』とか依頼が来たりする。鼻ほじりながらiPhoneで10秒ぐらいの動画にしましたけど。今進行中なのは1000万円の企画です」
東ブクロ「100万円の依頼が来ても、カナダで撮ろうってことになって渡航費だけで80万円使ってしまったり。その辺の計算が、素人やから全然できてないですね」
反社チェックは「一筆もらう」
会社設立の2年後、昔からの知人を誘って入社してもらった。マネジャー業務を任せ、現在は3人で会社を切り盛りする。
森田「マネジャーには『3人の事務所でギャラは3等分にしましょう。僕らが億稼いだらあなたも億稼げますよ』って口説きました。それが一番マネジャーって頑張ると思ったんですよ。ほかの事務所のマネジャーさんは、『このタレントが売れなくても自分は給料もらえるし』というサラリーマン的な感覚があると思います。だから3等分にして、仕事を取ってくれば自分にも入ってくるというのは、一番効率がいいんじゃないかと。今はもう、経理とかスケジュールも全部任せてます。あの人がほぼ社長っすから。僕は置物の社長です」
芸能界を揺るがせた一連の「闇営業」問題では、現場が反社会的勢力の宴会だったことが核心だった。個人事務所の体制で“反社チェック”はどうしているのか。
森田「全部、反社かどうかの確認は絶対にします。イベンターさんも含めて確認するし、どの営業でも一筆はもらっています。(個人事務所だと)闇が全部表になる」
東ブクロ「ゴルフでつながった社長のパーティーなんかに呼ばれることもありますけど、そこも絶対に一筆はもらう。社長側もやっぱり、これだけニュースになると気にしていて、たまに『俺は反社じゃないからな』って電話してくる人もいます」
森田「闇営業という言い方に悪い印象がありますけど、芸人の世界で直営業はやっぱりある。自分たちも大手事務所所属だったら行ってた可能性はあります。先輩に誘われて行った直営業で、一筆くださいというのは難しいですもんね」
多チャンネルの時代にパンチ打ち続ける
会社設立以来、売上高は右肩上がりだという。テレビ出演も増えてきた。単独ライブの動員数は、ここ数年、倍々ゲームで成長。今年、東京・名古屋・大阪で開いた単独公演『大三元』では、延べ4000人以上を動員した。コントは、職場や学校、商店街や駅前など、日常的な風景から始まる。2人の不条理なやり取りが笑いを誘う。
森田「ネタ作りは僕がひたすら設定を挙げて、ブクロや作家陣に響いたやつを形にしていきます。たまたま町で見かけたこととか、ニュースを見た時とかに思った『これこうなったらオモロイんちゃうん?』ってところから設定をつくる。例えば、去年の甲子園で金足農業の吉田輝星選手がヒーローになった。その時に『プロになるより地元で居酒屋やったほうが儲かるんじゃないか』って思ったんです。そこからもっと笑いにするためにはって考えて、『NHKの受信料回収業者が甲子園のスターを勧誘する』という設定を思いついた。今回のライブでも好評だったコント『スカウト』は、こんな感じで作っていきました」
東ブクロ「台本渡されて『これは面白くなるのか?』って思うこともあります。やってみないと分からないところがあるので、結構、客前に出るまで怖かったりすることは多いです。予想がつかへんっていうか、こんなところで笑いがくんねやっていうのもある。でも、そこまで何も考えてない。まず覚えなあかんなって」
森田「こいつはほんとに何も考えてないですからね。コンビ組む時に何考えてるのか分からんミステリアスな部分に惹かれたんですけど、実際組んだら本当に何にも考えてなかった。でもそのほうがいいんでしょうね。狂気じみていて、ツボにはまった時はめちゃめちゃオモロイ」
単独ライブは、回を重ねるごとに音や照明などの細部にもこだわるようになった。演出は元芸人で演出家の家城啓之が務め、オープニングの楽曲はゲスの極み乙女。の川谷絵音がノーギャラで制作したものだという。
森田「周りの技術陣たちが、お金払って見に来る価値がある演出にしてくれている。ネタの質も変わってきた気がします。絵音さんは天才なので、一瞬で曲が作れるんですよ。お笑い好きなんですよね。僕らのことを好きでいてくれて、ライブにも一度ゲストで出てくれた。僕らが出た時の100倍ぐらいの歓声が上がりましたよ。本当に感謝です」
東ブクロ「単独ライブに来てくれるお客さんは、その日1日費やして、お金を払って見に来てくれる。僕もお笑い好きですけど、この世界に入るまでお金払って見に行ったことはなかった。そのお客さんは一番大事にしたい。ここから売れ続けてテレビにバンバン出たとしても、ライブに足を運んでくれる人を大事にしていきたいですね」
賞レースで王者となり、テレビで冠番組を持つ。そんな典型的な「売れっ子芸人」のルートだけでなく、多様な道が広がっていることを2人は感じているという。最多となる6回の決勝進出を果たしたキングオブコントは、昨年で「卒業」することにした。
森田「ずっとそこに固執するわけにもいかないですから。主催者側の都合で『来年ないです』と言われたらもう終わり。1年間そのために芸人は時間を費やすんですよ。1年で2本、テレビでやれるいいネタを作るってしんどいこと。費用対効果を考えると、賞レースに情熱を燃やすのも何年かにしといたほうがええよねって思います。今は『天下取ったる』とかそういう時代じゃない。多チャンネルの時代で、何をやっても間違いじゃないし、むしろ間違いが1年後に正解になったりする。自分がオモロイと思うことをやっていくしかない。自家発電で、パンチだけは打ち続けとかなあかんって思いますね」
東ブクロ「ほんま芸人始めた頃は冠番組持ってとか、1億稼いでみたいなことを思ってましたけど、あんまり将来を見てもしゃあないなって。5年後も見えてない状態なんで。今、この右肩上がりの状態でいけたらなって思ってます」
森田「クズが入る世界なんで、お笑いの世界って。真面目に働けないやつが入って、なんとか金儲け頑張るって世界。芸人じゃなかったら、今も借金から逃げてたやろな、たぶん。もう名前は変えてんじゃないですかね(笑)。昔は彼女のヒモでしたけど、振られてからはヒモじゃなくなりました。こいつは、いまだに仕送りもらってると思いますよ」
東ブクロ「貯金ゼロなんですよ、本当に。全部、ゴルフに使ってしまうので。ほんまに綱渡りの生活で。3年ぐらい前まではちょっとお金足らなくなったら親に電話してました。周り見てたら、自分はちゃんと働かれへんなって。普通に働かれへんからまだ芸人続けてるんやろうし。芸人じゃなかったら、もう野垂れ死んでたと思いますよ」
森田「こいつのゴルフ代のために働いてるんちゃうかなって思う時もあります。ネタは僕が作って、自分のピンの仕事もギャラは等分。でも、これは投資なんで。今、折半してるギャラなんて微々たるもので、彼は絶対にいつかビッグマネーを連れてくる。期待してます。僕らはやっぱり年商何兆円を目指してるんで」
さらば青春の光
2008年、「キングオブコント2008」への参加を目指して結成。「キングオブコント2012」で準優勝。以降、2015年まで4年連続ファイナリストに選出された。2013年に上京し、個人事務所「ザ・森東」を設立。単独ライブを収録したDVD『大三元』が9月18日に発売。