男性が暴力で女性を支配する――。「ドメスティック・バイオレンス(DV)」と聞くと、ふつうはそんな光景を想像する。しかしだ、逆のケース、つまり男性が「被害者」となる届け出が増えているという。本来、「力」で劣るはずの女性が、男性にどんな攻撃を加えているというのだろうか。被害者の男性たちに会うと、いくつかの形が見えてきた。言葉による人格攻撃や人間性の否定、物の投げつけ、それらが休みなく続いて家で休息もできない......。自分の悩みを誰にも相談できず、じわじわ追い詰められ、苦しんでいる男たちが確かにいる。(Yahoo!ニュース編集部)
「Aさん」と、匿名でしか書けない。首都圏に住む50代の男性で、長年、メーカーに勤めていた。20年以上前に結婚し、2人の子供がいる。
その彼が家を出たのは、2013年のことだ。2人目の子供が生まれた後から始まった妻の攻撃に耐えきれなくなったからだという。
「もう絶望的な気持ちでしたね。最終的には、警察や市役所なんかにも行ったわけですけども、誰にも言えなくて。親しい友人とか、会社の友人とか誰にも言えずに、ただただ、定年を迎えて死んでいくしかないと考えていました」
最初の異変は自分への呼び方が変わったことだった。「おい」「お前」と乱暴になり、Aさんの両親が家に来るのを嫌がるようになる。
悪口も増えた。「態度が悪い」と妻に言えば、仕返しが何倍にもなったという。中でもショックだったのは、自分以外への罵倒だった、とAさんは言う。
妻が包丁を持ち出し、別居を決意
「子供のいる前で罵倒されたり、(自身の)親や親戚のことを罵倒されたりしたのが、非常に嫌でした。親が入院した時は、『お前の親なんか、死んだ方がいい』とか、『見舞いになんか行くもんか』とか。私が(内臓の)検査に行った時は『がんだったらよかったのに』みたいなことを言われ続けました。絶望的な気持ちと悲しい気持ち。精神的にどんどんダメージを受け、何をやってもしょうがない、と」
Aさんの独白によると、事態はさらに深刻になっていく。
当時は早朝に家を出て職場へ行き、深夜零時近くに戻る日々だった。夜、寝ていると、水をかけられて眠らせてもらえない。寒い夜、ベランダに締め出されたこともある。やがて、妻が包丁を持ち出すようになり、Aさんは家を出る決意を固めたという。それが3年前のこと。そのころ病院で「うつ病」と診断された。
別居後、裁判所に離婚調停を申し立てた。「今は友人の家に匿ってもらいながら、再就職した会社で働いています。DV加害者から離れるのは、たやすいことではないかもしれませんが、私は思い切って家を出てよかったと思っています」とAさんは言う。
男性のDV被害者にとって、Aさんのケースは特殊なのだろうか。それとも、これが男性被害者の一般的なケースなのだろうか。別の被害者にも取材してみた。
やはり匿名で「Bさん」としか書けない。その男性の埼玉県の実家に行き、リビングで話を聞いた。30代。結婚の翌年に子供が生まれたが、そのころから「妻の暴力」がひどくなったと言う。
「言葉に出さないんですよ。例えば、『起きて』って言わないで、暴力で起こす。最初は蹴っ飛ばすくらいだったのが、掃除機で殴るとか、リモコンを投げつけるとか。靴下の裏表を逆のまま洗濯機に入れたら、(何も言わずに)殴る。意味がわからない。今思うと育児ノイローゼもあったのかな、と思いますけど」
妻はやがて家を出て、離婚裁判になった。裁判では、妻が日常的なDVを認めたものの、裁判所はなかなか、それを重大な問題として受け止めてくれなかったという。法廷で反論を続け、最終的に和解離婚にこぎつけたBさんは振り返る。
「女性は言ったもの勝ち。『男性が暴力を受けても、我慢していればいい』という風潮があるのを強く感じました。こちらが暴言や暴力を受けているのに、お金を払って離婚してもらうっておかしな世の中ですよね」
男性の「DV被害」相談は年間7000件
家庭内の出来事だけに、DVの実態は外からなかなか見えにくい。ただ、統計は確かに「男性被害の急増」を物語っている。
警察庁のデータによると、DV被害の相談件数は2015年、男女合わせて過去最多の6万3141件に上った。もちろん、被害者は圧倒的に女性が多い。腕力ではかなわぬ男の「暴力」に苦しんでいる。実際、男性の被害は全体の12%にとどまっている。
しかし、男性の被害は伸びが著しい。2015年に男性が警察に相談したDV被害は7557件。5年前の2010年と比較すると、9.5倍にもなった。
なぜ、男性被害が増えてきたのか。DV被害者への支援を行う人たちは「男性の被害者が声を上げることができるようになった。その表れだ」と考えている。
横浜市に拠点を置くNPO法人「ステップ」は、DVの被害者と加害者の双方と関わる。それぞれに対する支援プログラムを持ち、さまざまな相談に乗ってきた。なぜ、男性は被害を訴えないのか。その現状について理事長の栗原加代美さんは、こう話す。
「男性は『人に悩みを相談するのが男らしくない』というジェンダー的な考えもあって、DVを受けていても人に打ち明けられないことが多い。シェルターや相談窓口もそう。女性用は増えていても、男性用はほとんどありません」
栗原さんによると、女性のDVは「言葉の暴力」が目立つ。言葉で男性を否定してゆき、男性がそれに耐えていると、DVはさらにエスカレートして、身体的な暴力に発展するケースが多いと打ち明ける。
男性のDV被害を「立証」するのは難しい
東京の証券街・茅場町の雑踏を離れ、しばらく歩くと、目指す看板が見えてきた。「森法律事務所」。この事務所の代表、森公任弁護士はDVに伴う離婚問題を数多く手掛けてきた。実は、現在受け持っているDV離婚相談の男女比はほぼ半々だという。
「昔から同じようなケースはあったと思います。ここ数年で男性の被害者が飛躍的に増えたのは、いろいろな情報をつかんで『自分は被害者なんだ』という意識を持つようになったからだと思います。助けを求めるのは恥ずかしいことではない、との意識が強くなってきました」
持ち込まれる男性の被害は多様だ。キャリアウーマンの妻から「能力がない」と罵られ続けてうつ病になった、物を投げつけられて3回も救急車で運ばれた......。そうして、精神的にも身体的にも深い傷を負った男性たちが事務所のドアを開ける。ほとんどが我慢に我慢を重ね、耐えきれなくなってから相談に来るという。
弁護士に相談すると、新たな難問にも突き当たる。森弁護士は、こう続けた。
「女性のDV被害はある程度、(裁判所に)信じてもらえるんです。女性の場合、疑わしきは認定するというのが原則になっている。しかし、男性が被害者の場合は、かなりの証拠がないと信じてもらえない。妻が怒鳴りまくっている動画や録音がないと、なかなか立証できない。それが実情です」
DV防止法に基づいて被害者が裁判所に保護命令の申し立てを行うときも、男性の場合は、なかなか保護命令が下りない。暴力を振るうとしたら男の方で、女性が男性に被害を与えることはない――。そんな認識が社会に広く残っている、と森弁護士は指摘する。行政などの相談窓口も、女性専用はあっても、男性向けはほとんどない。
「恥ずかしいという意識を捨てなさい」
男性が被害を受けたら、どうすればいいのか。女性が被害者となった場合と同じで、まずは相談することだ、と関係者は言う。
恥ずかしいという意識を捨てなさい、と話すのは森弁護士だ。
「男性には、暴力を受けているのが恥ずかしいという意識が働き、なかなか周囲に相談できない。そこは意識改革して、どんどん相談していけばいい。日常的な暴力で追い詰められていくと、冷静な判断ができなくなってしまって、男性自身が精神的に危うくなり、さらに女性に従ってしまう。だから、周囲に話すことで、正常に戻していく必要がある。話せば、自分の中で整理でき、冷静に判断できるようになります」
先に紹介したBさんは、こう振り返る。
「暴力を受けていたころは、あれが暴力ということすら分かっていなかった。何か自分が悪くて、我慢しなくちゃいけない、って思っていました。だから、本当に辛いと思ったら、誰かに冷静に客観的に聞いてもらうといい」
[制作協力]オルタスジャパン
[写真]
撮影:岡本裕志、長谷川美祈
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝