ヒマラヤの小国ブータンで、日本の伝統技術を使った仏教美術の修復が進んでいる。「幸せの国」としても知られるブータンは、急速に進む近代化によって、国民のアイデンティティー喪失に直面しているという。いま仏教美術を修復し、後世に伝える意義とは――。現地と日本で修復の現場を追った。(映像制作:岸田浩和/文・写真:田川基成/Yahoo!ニュース 特集編集部)
首都の「タンカ保存修復センター」で
ブータンの首都ティンプーは、ヒマラヤ山脈の南に位置する。標高は約2300メートル。中心街から車で10分も走れば、畑と森に囲まれたのどかな風景が広がる。「タンカ保存修復センター」は、そんな郊外の一角にある。
そこを訪ねると、あずき色の袈裟を着た僧侶たちが、針と糸を手に作業に勤しんでいた。テーブルの上に広がるのは、色あせた極彩色の布。生地には観世音菩薩や曼荼羅など、細密な仏教画が描かれている。「タンカ」と呼ばれる、チベット仏教に特有の掛け軸だ。巻物の布地を壁などに掛けて広げるもので、法要や宗教行事などで使われてきた。
タンカは、ブータンにある約2200もの寺院各所に所蔵され、その数は少なく見積もっても数万枚以上といわれる。同センターでは、ブータン全土から集められたタンカの保存と修復を手掛ける。
同センターの所長は、現ブータン国王のいとこに当たるケサン・チョデン王女。仏教美術を保存修復する意義をこう語ってくれた。
「ブータンでは、仏教が生活とともにあります。タンカを守り修復することは、ブータンの文化を守ること。急速に近代化が進むこの国で、仏教の歴史を後世に託し、私たちのアイデンティティーを見失うことがないようにと願っています」
近代化と伝統の狭間で
ブータンは長年にわたって、鎖国的な政策で独自文化を保護してきた。自国への入国者数は極端に制限。国内では21世紀に入るまで、インターネットはおろかテレビ放送もなく、ほとんどの国民はラジオの情報に頼って生活していたという。
しかし近年、政府は近代化に舵をきった。首都では今、若者がTシャツにジーンズ姿で普通に歩いている。スマートフォンを手にした様子は他のアジア諸国と変わりない。
農業と観光以外にこれといった産業がないブータンでは、国内に仕事がなく、国外に出稼ぎに行く若者が急増している。インターネットやSNSを通じて国外の情報を手に入れた若者が西洋化し、伝統文化を見失うことが危惧されているのだという。
取材の日、タンカ保存修復センターでは7人の僧侶が作業に当たっていた。
近くの王宮「タシチョ・ゾン」に隣接する僧院で暮らすウゲン・ドルジさん(30)は、その一人。ブータン東部の出身で、14歳の時に農業を営む実家から出家して僧侶となった。5年ほど前からセンターに勤務している。
「最初に入った僧院で、上僧から手先が器用だと言われました。それで自分からタンカの修復に関わりたいと志願しました。実際にやってみると、タンカはとても古いものなので、扱いがとても難しいです」
作業は朝8時ごろから始まる。タンカの修復は、破れた布地の縫製だけではない。裏地の糊付け、アイロン、裁断、筆と絵の具による色付けなど、工程は多種多様だ。作業の一つ一つをゆっくりと丁寧にこなしていく。1枚の修復に2カ月ほどかかることもあるという。
チベット仏教の僧侶であるウゲンさんにとって、修復にはどんな意味があるのだろうか。
「タンカの修復は、次の世代につながる道のようなものです。もっと修復の技術を学んで、それを若い人に伝えたいと思っています」
「修復では記録を残すことが大事」
実は、これらの修復作業には日本人が大きな役割を果たしてきた。
2018年秋までセンターの所長代理として駐在していた岩田侑利子さん。大学時代に仏教美術やチベット語を学び、卒業後にチベットに移住した。2014年からセンターのプロジェクトに関わり、ケサン王女の誘いで17年からブータンに移住し、センターで約1年半勤務した。
「紙を切る刀とか、糊を塗る刷毛も、日本製は質が良いのでここで使っています。生地の接着に使う膠(にかわ)や、和紙なども日本で買ってきています」
僧侶たちが使っている道具をのぞくと、見慣れた緑色のチューブがあった。日本の学校でも使われる「ヤマトのり」だ。それ以外にも、筆、刷毛、ハサミ、砥石、噴霧器と、日本の道具がたくさん並んでいる。
ブータンではもともと、古いものを修復して使うより、新しく作ったほうが功徳は高まるという考え方が強い。そのため修復技術がしっかりと確立されておらず、古くなって損傷したタンカの扱いが課題となっていた。
センターでは今、日本の伝統的な修復技術が採用されている。絵画や古美術品の修復が盛んな欧州ではなく、日本のそれを選んだ理由を、ケサン王女が説明してくれた。
「日本の修復は、伝統と科学のバランスが良いのが特徴です。西洋の修復は科学的で合理的なのですが、そこに仏教的な思想はありません。同じ仏教国で、職人の丁寧な技術をベースに、精神性も伴うのが日本の特徴だと感じています」
ブータンにおいて仏教美術は、生活の中で使い続けていくものだ。博物館用ではない。タンカの場合、掛け軸を巻き取って別の場所に運び、また壁に掛けて使う。そのため耐久性も必要。日本で博物館に収蔵する品より、さらに手を掛けて修復することがよくあるという。
岩田さんも付け加えた。
「修復で大切なのは、処置を最小限にとどめること、そして可逆性があること、の二つなんです。ブータンでは修復に必要な膠が手に入りにくくなり、以前は化学合成された安い接着剤を使っていました。そうすると、次世代の修復師がそれを外すことができなくなってしまいます」
「どういう処置をしたのか、しっかりと記録を取ることも大事です。単純に修理することと、次世代に託す修復の違いはそこにあると思います」
日本の技術で最古の寺院も丸ごと修復
ブータンと日本の交流には、50年以上の歴史がある。日本は隣国インドに次ぐブータンの援助国であり、農業やインフラ整備の分野で支援を続けてきた。そうした実績に加え、「同じ仏教国」とあって日本の修復技術が特別な信頼を得ているのだという。
ブータンで保存修復されているのは、タンカだけではない。
首都ティンプーから車で1時間ほど、ガードレールもない断崖絶壁の山道を走るとパロという町につく。ここには、寺院「ドゥンツェ・ラカン」がある。チベットの高僧タントン・ギャルポが15世紀に建立した寺院としては、唯一現存するものだ。
ドゥンツェ・ラカンの歴史は15世紀にさかのぼる。この地域の悪霊を閉じ込めるため、チベットの高僧によって建立されたとの言い伝えがあり、以来、約600年にわたって修復を繰り返してきた。今は内部の雨漏りがひどく、木の梁も弱っている。内部の壁画は水が染みて劣化している状態だ。外周の排水にも問題が起きているという。
ここでも、タンカ保存修復センターとブータン内務文化省、それに日本の会社も加わって修復が行われている。
ケサン王女は来日した際に、京都・妙心寺退蔵院の松山大耕副住職を訪ね、寺院の修復について相談した。そこで紹介されたのが、神社仏閣の設計施工と保存修復を手掛ける会社「アイチケン」(愛知県江南市)だったという。
ケサン王女は、日本の専門家に修復を依頼した理由をこう語る。
「日本には、優れた修復技術があり、一度修復すると20年、30年と長く保つことができます。ブータンでは、今までどのような修復が行われてきたか伝えられておらず、技術のある職人が不足しています。そこで日本に打診することになりました」
アイチケンの中島正雄社長は修復作業を快諾。すぐに現地へ向かい、初めてドゥンツェ・ラカンの状態を確かめた。
「一般建造物の感覚で傷んだ箇所を改修すると、数千万から数億円の費用になってしまう。ブータン側の要望は、新しく建て直すことではなく、現在の寺院をできるだけ長く保存することでした。発想を変え、雨漏りを止めて、建物を長持ちさせるための補強をすることにしました」
「それと、日本から職人が行くとブータンに技術が残らない。僕が伝えたのは、ブータンには古い建物がたくさんあるので、それを手掛けていける職人さんを、少し時間がかかっても育てたほうがいいということでした」
2018年秋にはアイチケンが現地で修復の指導を1週間ほど行い、現在、ブータン人の技術者たちによる作業がドゥンツェ・ラカンで進んでいる。2019年春には、修復が完成する予定だ。
岸田浩和(きしだ・ひろかず)
ドキュメンタリー監督、映像記者、株式会社ドキュメンタリー4代表。ニュースメディア向けの映像取材や短編ドキュメンタリーの企画制作を行う。シネマカメラを用いた撮影とナレーションを用いないノーナレ編集が特徴。近作の「SAKURADA Zen Chef」は、2016年のニューヨーク・フード映画祭で最優秀短編賞と観客賞を受賞した。関西学院大学、東京都市大学、大阪国際メディア図書館で講師を務める。
www.kishidahirokazu.com
田川基成(たがわ・もとなり)
写真家。1985年生まれ、長崎県出身。北海道大学農学部卒業。
移民や文化の変遷、宗教などをテーマに作品を撮る。写真展「ジャシム一家」で第20回(2018年)三木淳賞受賞。
motonaritagawa.com
[文・写真]田川基成
[映像制作]岸田浩和
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝