幸田大地

ルポ 5年目のイチエフ 7千人が働く「防護服の職場」のいま

2016/3/11(金) 16:25 配信

 汗で曇ったレンズの向こうに、沈んだ群青色の海が見えた。はるか沖合を、一隻のタンカーが北に向かってゆっくりと進んでいる。全身をすっぽりと覆った防護服のせいだろうか、潮の匂いも浜に打ち寄せる波の音も聞こえない。

 視界を遮るのは4機の原子炉建屋だ。冷温停止状態にあるとはいえ、実際に、その巨大な建造物と至近距離で対峙すると緊張が走る。手元の線量計の値はおよそ170マイクロシーベルト。東京のおよそ5000倍の数値を示した。

 あの日、途方もない量の放射性物質を放出した巨大な排気筒が、虚空に向かってそそり立っている。重たく塞ぎ込んだ鉛色の空には粉雪が舞う。震災から5年。まだ「春」の足音はここまで届いていない。
(ノンフィクションライター中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)

時間が止まったままのJビレッジ

 2016年3月2日。Yahoo!ニュース取材班は、福島第一原子力発電所を取材した。東京電力の社員や全国から寄せ集められた作業員はここを「イチエフ」の通称で呼ぶ。「F」は福島、「イチ」は第一という意味だ。

 原発事故収束と廃炉作業の前線基地となっているのが、福島県双葉郡楢葉町にあるサッカーのナショナルトレーニングセンター、Jビレッジだ。働いている作業員はおよそ7千人。その全ての作業員が、いったん、ここに集合して専用バスでイチエフへと向かう。ある作業員は、午前7時に行われる朝礼に合わせ、毎朝5時に建設会社が借り上げているいわき市内のホテルを乗り合いバスで出発する。

当時のエースストライカー・中村俊輔が誇らしげに写真の中央で胸を張る。(撮影:幸田大地)

 Jビレッジの正面玄関には、南アフリカワールドカップをめざすサッカー日本代表の集合写真が掲げられていた。しかし、今となっては日本代表がベスト16入りを果たし、日本中が歓喜に沸いたあの震災以前の日本社会の空気を思い出すことは難しい。全国から寄贈された寄せ書きに混じって掲げられた「明るい日本の未来のために勇気と希望をもって頑張ってください」と書かれた横断幕が目をひく。

 ここで東京電力の社員の出迎えを受け、会議室へ通される。本人確認と引き替えに貸与されたのは「一時立ち入り者カード」。ピリピリとした警戒感はないが、持ち込むカメラの台数は厳しくチェックされた。7人の取材班に対し4人の社員が帯同する。午前9時15分。用意された10人乗りの小型マイクロバスに乗りこみ出発した。

 福島県の浜通りを南北に縦貫する国道6号線。車窓には廃墟となった家々や、除染作業で発生した土砂の入った真っ黒い土のうの山、人の背丈にまで雑草が生い茂る荒野となった田畑が続く。その一方、JAEA(日本原子力研究機構)が廃炉研究のために建設した原子力関係の真新しい施設なども立ち並ぶ。

イチエフ取材の前日に立ち寄った富岡町の仮設焼却施設。黒い袋に詰められた廃棄物が積み上げられていた(撮影:幸田大地)

 毎年、2月下旬から3月上旬にかけて国内外のメディアの視察が殺到する。イチエフまでの道中、東京電力の社員がノンストップで見事なガイドをこなす。その手慣れた的確な説明に、これまで多くのメディアを対応してきた苦労がにじむ。

車窓にはひっそりと静まりかえった無人の町が続く。(撮影:幸田大地)

 Jビレッジからおよそ35分。バスは点滅信号を左折し、イチエフへの進入路へ。福島に限らず、多くの原発施設は、通行量の多い国道から目視できない、小高い森や半島の向こう側に建設されている。そもそも原発が立地する大熊町、双葉町は、現在も放射線量が異常に高いため、帰還困難区域に指定され無人の状態だ。

「木々が生い茂る森などは除染が困難なので、今でも70マイクロシーベルトにもなるホットスポットが点在しています」

 ガイド役の東京電力の社員がそう話す。しばらくすると警備のチェックポイントにさしかかった。東京電力の委託を受けた警備会社、次は全国の都道府警から輪番で派遣される警察が2カ所で対応する。「最初のポイントを突破しても、次で御用になりますから」。緊張した車内のムードを和ませるように、東京電力の社員がそう小声で耳打ちした。

 午前10時。いよいよ福島第一原子力発電所に到着。この時点で外部との連絡のとれる携帯電話は一時没収された。まず最初に向かったのは地上3階建ての入退域管理棟だった。

見えない敵

 そこはSFの世界といえば大げさだが、人工的で無機質な空間だった。およそ7千人が働いているにも関わらず、現場特有の「土」と「汗」の臭いがしない。白で統一された施設は、ゴミはおろか塵ひとつ落ちていない。清潔というより潔癖。作業員への自由なインタビューは許可されていないため、風貌から推察するしかないが、働いているのは50代以上の中高年男性が多い。技術者と思われる白人の外国人の姿もまばらにある。構内で働く女性も増えたという報道があるが、取材班が遭遇したのは10人ほどだった。

7千人が働く「イチエフ」の入退域管理棟へ。ロッカーが整然と並ぶ(撮影:幸田大地)

靴やヘルメットが並ぶ。整理整頓は徹底されている(撮影:幸田大地)

マスクや防護服、手袋等、すべて置き場所は決まっている。鹿島建設や大成建設などのゼネコンが元請けとなり、日本各地の中小の建設会社に所属する作業員がその下請けとして従事している(撮影:幸田大地)

ロッカーに並ぶ靴。ビニールで覆い、作業員が出入りする度に取り替え、放射性物質の持ち込みを防ぐ(撮影:幸田大地)

イチエフに入域する者は全員、「WBC(ホールボディカウンター)」を受検しなければならない。体内に蓄積している放射性物質を測定し、作業の前後でその数値に異常がないか調べるためのものだ。また、一日、どれだけ被ばくしたかを管理するための「APD(線量計)」の携帯も義務づけられている。1年で50ミリシーベルト。5年で100ミリシーベルト。それ以上は、ここで働くことは許されていない。

 いよいよ装備を着用する。手渡された防護服は、拍子抜けするほど軽く、薄っぺらいものだった。恐らく、ここを初めて訪れた部外者は、その事実に少し戸惑いを見せるのだろう。東京電力の社員がこう説明をする。

「これは屋外での作業時に付着した放射性物質の持ち込みを防ぐものです。放射線から人体を守るものではありません」

主に医療や化学薬品などを扱う現場で使用され、タイベックススーツとも呼ばれている「化学防護服」(撮影:幸田大地)

 では、この「防護服」とは一体何なのか。後日、化学繊維を扱う国内最大のメーカーに取材すると、その答えが分かった。高密度ポリエチレン不織布と呼ばれる素材で作られた「化学防護服」。主に医療や化学薬品などを扱う現場で使用され、タイベックススーツとも呼ばれている。当然、放射線を遮断する能力はない。

 放射性物質が付着している可能性のある物体との接触は、極力、避けなければならない。そこで靴下と手袋は2重。いずれも最初の1枚の内側に防護服を織り込み、ケミカルテープでとめる処置が施される。

 最後に顔の全面がマスクによって覆われる。右の胸には「一時立ち入り者カード」。左胸には「APD」。専用の長靴とヘルメットをかぶり、準備完了だ。取材班は一連の準備に30分以上かかったが、熟練者の作業員は数分でこれをこなす。

防護服を着る筆者。準備に30分以上かかったが、熟練者の作業員は数分でこれをこなすという(撮影:幸田大地)

 装備をチェックする係の男性の、「はい、ご安全に」の声に送られて屋外へ。全身が防護服で覆われ、マスクで顔をしているので息苦しく、足元もおぼつかない。イチエフでの作業経験のある男性は、真夏の炎天下での過酷さをこう語る。

「ひとたび現場に出ると、水も口にできないし、トイレに行くこともできない。日射病で気分が悪くなっても、バスを待たないといけないし、作業に復帰するにもまた防護服を着なくてはならない」

 汗で全面マスクが曇ると作業できない。これを防ぐにはグラスの部分に台所用洗剤のママレモンを塗るのがいちばんいいと、その作業員はこっそり教えてくれた。この防護服を着て初めて、放射線という「見えない敵」とも対峙しなけれならない作業員の気持ちに、はじめて近づくことができたような気がした。

別の日に取材した元作業員によれば、「汗で全面マスクが曇る。これを防ぐにはママレモンを塗るのがいちばんいい」のだという(撮影:幸田大地)

桜並木と防護服

 イチエフは太平洋に向かってなだらかに沈み込む海岸段丘の上に建つ。

 発電所の正門から、原子炉建屋のある海側へと続く道は、関係者の間で「双葉通り」と呼ばれ、もっとも通行量の多い交差点は「ふれあい交差点」と呼ばれている。

 その交差点へと続く道路の脇には桜並木が続いている。事故が起きる前まで、ここで働く人々は、4月に入ると「桜の開花日」を予想し合い、その日を心待ちにしたという。今もその桜並木が残っている。以前と違うのは、それを愛でるには防護服に身を包まなければならないこと。そして、その桜の根元が、モルタルによって塗り固められていることだ。その理由は東京電力の担当者はこう語る。

「雨水を地中に浸透させないためです。水は大敵ですから」。

 廃炉作業に向けた喫緊の課題は、山側から流れてきた地下水を、建屋の上流で揚水、バイパスすることで、建屋内への地下水の流入量を減らすことだ。そのためには直接、地表にしみこむ雨水の浸透さえ遮断しなければならない。 

桜の根元が、モルタルによって塗り固められていた。雨水を地中に浸透させないためだ(撮影:幸田大地)

林立する汚染水タンクの群を横目に見ながらバスは海側へと進んだ(撮影:幸田大地)

 敷地内にはナンバーのない車が走っていた。ここではバスも除染しなければ、敷地外へと出すことはできない。汚染された物質を車内に持ち込まないため、乗車する時には長靴にビニールカバーをつける。

 林立する汚染水タンクの群を横目に見ながらバスは海側へと進む。そして、1号機から4号機が一望できる通称「1、2号機開閉所前」と呼ばれるポイントに到着した。眼前に現れたのは4機の原子炉建屋。水素爆発によって上部が吹き飛んだ建屋には、3号機以外、カバーがかけられている。1号機の周囲には瓦礫が散乱し、ところによってむき出した鉄筋が、水飴のようにグニャリと曲がっていた。

通称「1、2号機開閉所前」と呼ばれるポイントに向かって取材陣が階段を下りていく(撮影:幸田大地)

水素爆発によって原子炉建屋の上部が吹き飛んだ3号機(撮影:幸田大地)

手元の線量計は2号機の前で高い数値を示す(この日の最大値は170マイクロシーベルト)(撮影:幸田大地)

下車して6分。一斉にその場にいたメンバーの線量計が鋭い音を発した。東京電力によると、一時立ち入り者のAPDの警報設定値は、100マイクロシーベルトで、その20%に達するごとに警告音が鳴るそうだ。

 「今日の取材の中で最も線量が高いポイントです。恐らくここで一日に許される被ばく量の半分を使い切ってしまうでしょう」

1号機、2号機を眼下に見下ろす。「今日の取材の中で最も線量が高いポイントです」と東電のガイドは説明した(撮影:幸田大地)

 その説明に追い立てられるようにしてバスへと戻る。気がつくと指先がぐっちょりと汗に濡れていた。その後、バスで海側まで移動して4号機原子炉建屋や、凍土式陸側遮水壁などを視察。あっという間に、2時間の取材が終了した。

 入退域管理棟に戻り、防護服とマスクを脱いだときの「爽快感」は忘れられない。その後、身体に付着した放射性物質の有無を確認する測定器を通過して、入退域管理棟の屋内に入った。控え室に戻ると、セキュリティー対策ということで、東京電力による写真と動画のチェックがその場で行われた。

メルトダウンを免れた4号機はプールにあった使用済み核燃料の取り出しが終っており、取材陣も入る事ができた(撮影:幸田大地)

1・2号機の取水口間の護岸における工事。海に汚染水を流さない対策だ(撮影:幸田大地)

鹿島建設の阿部功氏は「凍土遮水壁」建設の主任技術者。動画インタビューでは工事の狙いを語ってくれた(撮影:幸田大地)

なぜ被ばくのリスクを負ってまで作業をするのか

 一般的にイチエフで働く作業員の労働時間は、他の公共事業などの現場と比べると短い。その対価として、年齢に関係なく1万円程度を手にすることができるのだから、仕事としては悪くないと考えている人が多い。もちろん、重層下請け構造による賃金のピンハネなど問題点は確かに存在する。しかし、60代を過ぎて単身、非正規、無年金など、寿命を全うする直前まで、働くことを余儀なくされている高齢者にとって、ここは比較的安定した収入が約束された「安全地帯」なのだそうだ。

取材前日の3月1日、原発の正門近くの敷地内の一角に、「ローソン東電福島大型休憩所店」が開業。「作業環境が改善」と多くのメディアに報じられた(撮影:幸田大地)

構内にある食堂では380円の日替わり定食の他に、麺類やカレーライスなどの献立が登場する(撮影:幸田大地)

 東京電力がイチエフで働く作業員6500人を対象に行ったアンケートの結果が、Jビレッジに張り出されていた。「イチエフで働くことに不安を感じていますか?」という質問に、53.2%が「不安を感じていない」。37.2%が「不安を感じる」と回答。「不安を感じる」と答えた人のうちの6割が、やはり内部被ばくを恐れている。また「家族がイチエフで働くことに不安を感じているか」の質問には、47.8%が不安と回答し、その8割がやはり被ばくを理由にあげている。その一方、「イチエフで働くことにやりがいを感じていますか?」という質問に対しては、その過半数が「感じている・まあ感じている」と回答し、福島の復興、廃炉に貢献していることを、その理由にあげている。

 震災から5年が経過し、敷地内の除染活動が進んだことで、全体として線量が低下しつつあるのは事実だ。また作業員の被ばくを最小限度にするために徹底される「WBC」「APD」による管理体制は、震災直後と比べると格段に厳格になった。この先、40年とも言われる廃炉作業を見据えると、作業員の確保のためには必要不可欠な対策だったのだろう。

今回の取材を引率した東京電力の原子力・立地本部長代理の白井功さん(撮影:幸田大地)

 実際、2時間という限られた時間内での取材で、何か新しい事実が浮かびあがったわけではない。そもそも、メルトダウンを引き起こした1号機は、溶け落ちた核燃料の状況も分からず、人力で調査するにも1時間で致死に至る高線量がそれを阻む。事故の完全収束を意味する「廃炉」が、いつ、どのように実現できるか分からない以上、現在のイチエフの状況を評価するのは難しい。ましてや、福島県災害対策本部によれば、現在も9万7千人(うち県外への避難者は4万3千人)が故郷を追われ、各地で避難生活を強いられている状況ではなおさらだ。

 今回、取材を引率した東京電力の原子力・立地本部長代理の白井功さんは、事故を引き起こした当事者としての責任を認めながらもこう語る。

「避難されている皆さんが地元に戻ってこれるよう、現状を分かりやすくお伝えしたいと思っています。でも、メディアに、これだけ進んだと説明しても、報道では、まだこれだけ進んでいないと報じられてしまうんです」

視察で利用した小型バスから2号機をのぞむ。夕方から雪がちらついた取材は、2時間と少しで終了した(撮影:幸田大地)


中原一歩(なかはらいっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌を中心に活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。

※冒頭と同じ動画

[制作協力]オルタスジャパン
[写真]
撮影:幸田大地
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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