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菊地健志

編集なし「完パケ」収録にかける情熱――超・長寿番組「テレビ体操」の現場

2019/02/14(木) 07:59 配信

オリジナル

「おはようございます! 朝の体操の時間です。体の冷えを防ぐためにも、大きい筋肉を中心に、すみずみまで意識的に動かしましょう」。さわやかな挨拶でお馴染みのテレビ番組「テレビ・ラジオ体操」の放送が始まったのは1957(昭和32)年10月だ。先に始まっていたラジオ番組の「ラジオ体操」(1928年放送開始)と併せて、見て分かりやすく体操をお茶の間に伝えるという趣旨だった。以来60年以上にわたって、日本人の健康や体力向上に多大な貢献を果たしてきた。5~10分のミニ番組には、出演者、制作者の創意工夫と情熱が込められている。(ライター・石原壮一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部)

NG連続10回の収録も ハードな現場

11月のある日、朝9時。東京都渋谷区にあるNHK放送センターの104スタジオで「テレビ・ラジオ体操」の収録が始まろうとしていた。体操をするスペースはバスケットボールのコートほどの広さ。入り口から見て左端にはグランドピアノが置かれ、その前には生花がある。造花ではなく季節に合わせた花を生けてもらうのがこだわりという。

準備運動やメイクを終えた出演者が集まってきた。

カメラはクレーンを入れて4台。小さな番組だが、関わるスタッフの数は思いのほか多い(撮影:菊地健志)

副調整室で全体に目を配っているのが、同番組のプロデューサー・岩崎吉高さん。以前はJリーグなどスポーツ中継のディレクターで、「テレビ・ラジオ体操」は2004(平成16)年からの担当だ。

「収録時には指導役の先生が考えてきたオリジナル体操がコンセプトに合っているか、動きが難し過ぎないか、アシスタントの動きは適切か、そういうことをチェックしています」

NHKでは毎日、体操番組をテレビ放送している。「テレビ体操」がEテレで月曜から日曜の午前6時25分から、総合テレビで月曜から金曜の午後2時55分から。「みんなの体操」が総合テレビで月曜から金曜午前9時55分から。合計で週に17本だ。おなじみの「ラジオ体操第1、第2」に加えて、番組独自に考案した「オリジナルの体操」などを織り交ぜている。「同じテープをずっと使い回しているのでは?」と思っている人もいるかもしれないが、季節に合わせて2カ月ごとに内容を変えている。

プロデューサーの岩崎吉高さん。身ぶり手ぶりを交えつつ、体操に対する熱い思いを語ってくれた。「テレビドラマやCMを見ていても『この動きは体操に使えそうかも』なんて、いつも『体操目線』になってしまいますね」(撮影:菊地健志)

収録は、あとから編集せずに収録時に音楽もタイトルも同時に入れる「スタジオ完パケ」という形式をとる。番組の特性上、途中で体操をやり直して編集でつなげるといった作業が難しいからだ。

「『スタジオ完パケ』で収録している番組は、今は珍しいと思います。10分のうち9分30秒まで来ても誰かがNGを出せば、また最初からやり直し。NGの中には出演者のミスだけでなく、スタジオに虫が飛んできたとか、いろいろなケースがあります。1度に10回連続でNGが出たこともあります」

リハーサル中も副調整室でモニターに釘付けの岩崎さん=手前(撮影:菊地健志)

ムードメーカーを担うのは体操指導者

かなりハードな収録だ。さぞや緊張感たっぷりかと思っていたら、「さあ、今日も張り切っていきますよー」と張りのある陽気な声が響いた。テレビ・ラジオ体操指導者の多胡肇さん(52)だ。腕を回して歩きながら、周囲のスタッフに声を掛けていく。ピアノ演奏者の幅しげみさんに「おっ、赤いお洋服、素敵ですね」とおどけると、幅さんも「あらそう。ありがとう」と笑顔で返す。

多胡さんは3人いる体操指導者の中で最もベテラン。現場のムードメーカーでもある。明るく声を掛けて回るのも、「こっちが緊張してたら、それが画面に出ちゃいますからね」と説明する。

多胡肇さんがテレビ・ラジオ体操の指導者になったのは1998年。それまではプロ野球チームのトレーニングコーチをしていた(撮影:菊地健志)

リハーサルが始まった。多胡さんと3人の体操アシスタントが斜めに並んで、カメラを向く。まずは多胡さんの挨拶から。

「おはようございます! 朝の体操の時間です。体の冷えを防ぐためにも、大きい筋肉を中心に、すみずみまで意識的に動かしましょう」

ピアノ演奏が始まり、アシスタントの体操に合わせて、多胡さんが身体の動かし方のアドバイスや効果の説明を入れる。台本は持っていない。

「リハーサルと本番で言うことが変わるのはしょっちゅうですね。挨拶では季節感を入れるようにして、全体の流れでは『起承転結』を意識しています。この筋肉を動かすとこうなるから、今日はこう過ごせる、といった調子で。放送する時間が朝か午後かによって口調も変わりますね」

美しいチームワークと見事な身体能力を見せる3人の指導者。左から、多胡さん、岡本美佳さん(指導者は2003年~)、鈴木大輔さん(同2016年~)。語り口や体操のスタイルに、3人それぞれの個性が光る(撮影:菊地健志)

高齢化で内容に変化

多胡さんが指導者になって、今年で21年。社会の高齢化にともなって、番組に求められるものが変わってきた、という。

「最近はきつい運動を控えるようになりました。屈伸にしても、足を深く曲げる全屈伸ではなく半屈伸が多い。番組の最大のテーマは、今の自分の状態を維持して健康寿命を延ばすこと。トレーニングやリハビリではないので、無理は禁物です」

足が不自由な高齢者や車椅子を使う人に向けて、必ず一人のアシスタントが椅子に座って体操を行うのも番組の特徴である。立っているアシスタントも、一人が深く体を沈めたら、もう一人は浅く沈めるなど、必ずしも動きがそろっているわけではない。視聴者は自分ができる範囲で、体操を楽しむことができる。

視聴者のお手本として実際に体操を行う女性アシスタントは全部で6人。番組によって3~5人が交代で出演する(撮影:菊地健志)

アシスタントに必要なのは「まっすぐ立てること」

アシスタントは、体育系大学の学生を中心にオーディションで選ばれる。欠員が出たタイミングで補充するスタイルだ。プロデューサーの岩崎さんによると、アシスタントのイメージは「毎日見ても飽きがこない『ごはん』のような人」。そして「まっすぐ立てること」が重要となる。前にかがんだときや腕を横に伸ばしたときに、身体にゆがみがない人は意外に少ないという。合格者は半年にわたって、先輩や指導者による厳しいレッスンを重ねたのち、デビューの日を迎える。

収録の合間は次の出番に向けてそれぞれが入念に準備を重ねる。ほぼ毎日テレビに出ているが、街を歩いていても気付かれることはないという(撮影:菊地健志)

おばあちゃんに呼びかけるつもりで

収録の出番待ちをしている2人のアシスタントから話を聞いた。6人のなかでもっともキャリアが長いのが、五日市祐子さん。この春で9年目になる。

2011年からアシスタントを務める五日市祐子さん。小学校4年生から新体操を続けてきた(撮影:菊地健志)

「長く続けてこられたのは、一番は楽しいからですね。表に出る人としての責任感みたいなものも、少しずつ出てきて、OKが出ても自分が納得いかないときは、みなさんには申し訳ないけど『もう一回やらせてください』と言うこともあります」

カメラの前で体操をしているときにイメージしているのは「テレビの前でソファに寝転がっているお父さんたち」。心の中で「ほらほら、立っていっしょに動きましょ」と呼び掛けているという。

今年3年目になる最年少の今井菜津美さんは、1年目に初めてもらったファンレターが忘れられない。

2017年春にアシスタントになった今井菜津美さん。「せっかくチャンスをいただいているので、体操で何かをつかみたいと思っています」(撮影:菊地健志)

「小学生の女の子からで『私もなつみなんです。いつも見てます』って書かれていて、体操のおねえさんの絵もありました。自分の体操ができなくて悩んでいた時期だったので、めっちゃ泣きましたね。この仕事をしてよかったと心から思いました」

最近工夫しているのが、最後に出演者が並んで手を振るときの表情だ。

「ニヤニヤしてもいけないし、ムスッとしていてもいけない。あるときから、実家のおばあちゃんに話しているつもりで、カメラに向かうことにしたんです。おばあちゃんは90歳ぐらいでなかなか家から出られないんですが、私が番組に出るのをいつも楽しみにしてくれてます。心の中で『おばあちゃん、また遊びに行くからね』と呼びかけています」

ピアノ演奏は収録ごとの「即興」

指導者、アシスタントと並び、番組に欠かせないのがピアノ演奏者である。収録済みの音楽を流すのではなく、生演奏することに大きな意味がある。4人いるピアノ演奏者のうち、1981(昭和56)年から務めているのが幅しげみさんだ。出演者だけでなくスタッフも含めて最古参であり、アシスタントたちの頼れる姉御的存在だ。

ピアノ演奏者の幅しげみさん。現役のジャズピアニストでもある(撮影:菊地健志)

幅さんがこの仕事を始めるとき、第一条件として求められたのが「即興ができること」だった。「完パケ」が必要な収録のなかで、体操の実演やトークがきっちり予定通りに終わるとは限らない。秒単位のズレは日常茶飯事だ。たとえば指導者の話が長引き、体操の時間が3秒足りなくなりそうとなれば、本来は3分10秒のラジオ体操第1を3分7秒のペースで弾かなければならない。だから収録済みの音楽で済ますことはできないのだ。

「時間の配分も大事だし、リハーサルでは肩を回す運動だったのに、急に肩をゆする運動になったら、それに合わせた音楽を作らなきゃいけない。同じ体操でも、もっときびきび動いたほうがいいんじゃないかと思ったときには、弾き方で鼓舞することもあります」

オリジナル体操に合わせて弾く曲を考えるのも演奏者の役割だ。リハーサルの日に「今日はこういう体操」と説明されて、その場で音楽をつける。演奏者によって違うが、幅さんは譜面をいっさい使わない。

幅さんの目下の目標は「同一番組で最も長いレギュラー出演者」としてギネスブックに載ること。「ライバルは黒柳徹子さん。私が勝手に言ってるだけですが」(撮影:菊地健志)

「子どものころから譜面通りに弾くのは好きじゃなかったの。街を歩いていて音楽や音が聞こえてくると、これはこうアレンジしたら足踏みに合うかな、なんて思ってコード進行が思い浮かんじゃう。スーパーで買い物していても落ち着かなくって」

この日の収録がすべて終わったのは、夕方5時過ぎ。最高で5回のNGが出たという。

日本人の健康向上に貢献

「テレビ体操」は「畳一畳のスペースで家庭でできる体操」を広める趣旨で1957(昭和32)年10月にスタートした。ラジオ体操は1920年代にアメリカの生命保険会社が行っていたものを当時の逓信省が取り入れ、簡易保険局を中心に普及を図ってきた。戦後の一時期、GHQが「全体主義的だ」と禁止したことがあったが、ほどなく復活。学校教育や職場での朝礼など、日本人は折に触れて「腕を前から上に上げて」きた。

神奈川県立保健福祉大学元教授で健康サポート研究会代表の渡部鐐二さんは、ラジオ体操が日本国民の健康向上に果たしてきた役割は大きいと語る。

「日本人の平均寿命が延びたのは、食べ物が変化した影響もありますが、国民全体がラジオ体操で基礎的な身体づくりをしたことも大きいでしょう。最近の研究では中軽度の強度で身体を動かすことによってセロトニンが分泌され、うつを防げることが証明されています。ラジオ体操によって救われる人は、たくさんいるはずです」

本番前にポイントを確認する多胡さんとアシスタントたち。座って体操するためのパイプ椅子は4色あり、収録で椅子に座るアシスタントが色を決める(撮影:菊地健志)

2013年に、渡部さんらの研究グループは「ラジオ体操の実施効果に関する調査研究」を実施した。55歳以上でラジオ体操を3年間以上実施している男女500人を対象に調査したところ、体内年齢は同年代に比べて、10~20歳ぐらい若く、柔軟性は60代、70代になっても30代の水準をキープしている人の割合が高いことが分かったという。

「最近は海外からも、体操による健康維持や医療費抑制の効果が注目されています。どこでも誰とでも一緒にできるラジオ体操は、私たち日本人にとっての大切な共有財産なんです」

体操講習会に詰めかける人たち

実際にラジオ体操を続けている人の気持ちを聞いてみようと、東京都墨田区総合体育館に足を向けた。この日、NPO法人東京都ラジオ体操連盟が主催する「ラジオ体操指導者講習会」が行われていた。広い体育館に、およそ400人の熱心なラジオ体操ファンが集結している。高齢者が目立つが、壮年世代や子どもの姿も少なくない。

講習会に一定の回数参加すると「ラジオ体操指導員」になれる。さらに研鑽を重ねて「1級ラジオ体操指導士」や「2級ラジオ体操指導士」といったラジオ体操界の“頂点”を目指す人も(撮影:菊地健志)

「近所の人に誘われて毎朝のラジオ体操に行き始めたら、すっかりはまっちゃって。身体はもちろん、気持ちも変わりましたね。家族にも優しく接することができるようになりました」(60代、女性)

「今日は妻と10歳の娘と3人で来ました。夏休みなんかに子どもたちの前で体操することもあるから、正しいやり方を身に付けておきたいと思って。家族みんなで無理せず続けられるし、地域のコミュニティーとのつながりを作るきっかけにもなるのが、ラジオ体操のいいところですね」(40代、男性)

「この講習会には15年ぐらい来ています。3食食べるごはんと同じで、毎日体操しないと落ち着きませんね」(70代、女性)

講習会では多胡さんら指導者とアシスタントたちが「模範体操」を披露し、動きについて細かく説明する。

筆者もラジオ体操を久しぶりにやってみた。お手本通りに伸ばすところをきちんと伸ばし、屈伸もしっかりと。気がつけばもう汗だくだ。子どものころにやったラジオ体操とだいぶ感覚が違う。

毎回ラジオ体操の中から、いくつかのパートにスポットを当て、動き方のポイントや意味を実演を交えながら徹底的にレクチャー。1時間半の講習を終えたあとは、どの顔にも達成感や満足感が浮かんでいる(撮影:菊地健志)

番組プロデューサーの岩崎さんが、しみじみと語る。

「毎日の番組を見たり聴いたりして、全国で多くの視聴者、聴取者のみなさんが体操をしてくれています。華やかな脚光を浴びる番組ではありませんが、空気や水と同じように『あって当たり前』『なくなって初めて大切さに気づく』といったものなのかなと思っています」

明日もまた、新しい朝が来る。日本全国でテレビやラジオから「ラジオ体操」のメロディーが流れる。人生はいろいろあるけれど、新しい朝はきっと希望の朝だ。


石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年、三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。以来、『大人力検定』『大人の言葉の選び方』『大人の人間関係』など、大人をテーマにした著書多数。最近は、東京のまったく知らない街をスマホに頼らずぶらぶら歩いて、ピンときた店に入ってみたり、見つけた銭湯に入ったりする“大人の迷子旅”にはまっている。