菊地健志

「自信のない子の集まり」だった過疎地の野球部――奇跡の甲子園出場が地域を変えた

12/6(木) 7:04 配信

高校野球「夏の甲子園」に出場した三重県立白山高校。三重大会では2007年から10年連続で初戦敗退だった弱小チームが起こした快進撃は、全国的に話題になった。白山高校がある津市白山町は、人口約1万1000人の過疎地でもある。ひと夏の「甲子園フィーバー」に沸いた廃れゆく町と、「自分に自信のない生徒の集まり」と評された白山高校の生徒たちの変化を追った。(ライター・菊地高弘/写真・菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「あれは夢やったんかな……」

周りに音がないからか、金属バットが硬球を叩く音が余計に響く。四方を見回すと、視界をさえぎるものは白い校舎と小高い山くらい。この町で生まれ育った野球部コーチの諸木康真さん(37)は、赤く染まりつつある広い空を見上げてこう言った。

「夜になってこの辺りの明かりが消えると、星がブワ~ッと広がってきれいですよ。これだけは自慢できますね」

部員らに指示を出す野球部コーチの諸木康真さん(左から3人目)。32歳まで社会人野球チームを渡り歩いた後に教職の道に進んだ(撮影:菊地健志)

ここは三重県立白山高校野球部グラウンド。10月下旬に訪れると、41人の1、2年生部員がバッティングやランメニューに励んでいた。この夏、前評判はけっして高くなかった白山高校が奇跡の甲子園出場を果たしたことは、大いに話題になった。

諸木コーチは甲子園から戻った後、学校で野球部部長の川本牧子さん(40)とこんな会話を交わしたという。

「甲子園の写真を見ながら『あれは夢やったんかな……』と言っとったんですよ」

白山高校の校舎。取材した10月時点でも甲子園出場の幕がかかっていた(撮影:菊地健志)

「夢」というのも無理はない。野球部の東拓司監督(41)が今から5年前、2013年に赴任したとき、野球部員は5人。試合を組むこともままならず、グラウンドは雑草で荒れ放題だった。東監督が当時を振り返る。

「外野にはスネくらいの高さまで草が生い茂っていたので、まずは草取りから始めました。雨が降って土が軟らかくなる日に耕運機で地面を耕して、鉄のレーキ(土を整備する器具)でならして。ゼロどころか、マイナスからのスタートですよ。(ピッチング)マシンも壊れて使えないから、コーチがバッティングピッチャーをやって練習をしていました」

白山高校野球部の東拓司監督。大阪体育大では上原浩治投手(前巨人)の2学年後輩で、甲子園出場時には、上原投手から学校に花が届けられた(撮影:菊地健志)

地元中学生が行きたがらない学校

白山町は、山林と田畑に囲まれた人口約1万1000人の小さな町だ。町を走るJR名松線は、2時間に1本しか電車が来ない。かつては映画館や数々の商店でにぎわったという高校周辺も、今や洋品店やクリーニング店など店は数えるほど。外から様子をうかがうと薄暗く、店員の姿も見えないため営業しているのか分からない商店もいくつかある。通りの人影もまばらだ。

そもそも白山高校は、地元中学生が行きたがらない学校として有名だった。

正門を出てすぐのところでクリーニング店を営む畑公之さん(41)が苦笑交じりで思い出を語る。

「10~15年くらい前はダラッと制服を着て、ゴミは散らかすし、田んぼの裏や物陰に隠れてたばこを吸う子がたくさんいましたよ。毎朝、先生が校門の前で『遅刻やから早く行け行け!』って生徒を押し込むようにして連れていっていました」

JR名松線・家城駅のホーム。この日は中間テストのため、生徒たちは昼過ぎに下校し、電車で家路についた。乗客の多くを白山高校の生徒が占め、朝と夕方の登下校ラッシュ時には2両編成となる(撮影:菊地健志)

「素朴で自分に自信のない子の集まり」

名松線沿いの高校は白山高校しかないため、「(悪いうわさを気にしてか)制服で名松線に乗ること自体に劣等感を覚える生徒もいた」と東監督は言う。コンプレックスを抱え、途中で退学する生徒も少なくなかった。

夏の甲子園でキャプテンを務めた辻宏樹君(18)は、第1志望の甲子園出場経験がある県立の商業高校の受験に失敗、2次募集で定員割れの白山高校へと入学した。

「中学のころから白山の良いうわさは聞かないし、商業高校に落ちた時点でちょっと投げやりになったところもありました」

辻宏樹君は「(白山高校に)来てみたら意外と同期の人数が多くて(現在3年生部員は13人)、うまい選手もいる。『これは(甲子園出場に)ワンチャンスあるな』と思いました」と、入学当時を振り返る(撮影:菊地健志)

辻君以外の野球部の3年生のほぼ全員が第1志望校の受験に失敗し、白山高校に進んだ経緯がある。東監督はそうした選手たちを「素朴で自分に自信のない子の集まり」と評する。

「この学校に来たくて来ている生徒は少ないというのが現実です。野球部でも中学までは表に出てこられなかった生徒がほとんどです。チームで控えだったり、『なんやねん、あいつ』と言われていたような子ばかり」

東監督自身、白山高校に異動した当初は「落ち込んだ」という。前任校の野球部では三重大会ベスト4までチームを引き上げていた。甲子園出場まであとひと息、というところで野球部員5人の学校に異動である。

「野球部を立て直す相談を他の学校の野球部の先生たちに相談したら、99%の先生から『諦めろ』と言われたんです。心が折れそうになりました」

練習球は、赤や黄色、白などのビニールテープでぐるぐる巻きに補強されている。東監督が練習試合の相手に頼んで譲り受けるなど、苦労して集めただけに大事に使用している(撮影:菊地健志)

部活動は生徒たちの居場所

赴任して2年目、東監督は白山高校に入学したばかりの生徒を前に、「とにかく何でもいいからクラブに入れ!」と勧めて回ったという。その後も3年連続で1年生の担任になるたびに、生徒たちに部活への加入を根気強く説いた。

「来たくて来ている生徒が少ないと、どうしても自分たちだけの空気になりやすい。部活動をして他から刺激をもらうなかで成長できることがあると思ったんです」

野球部部長の川本さんも、「部活動は学校に生徒たちの居場所をつくること」とうなずく。

東監督(左)と野球部部長の川本牧子さん。川本さんは家庭科教諭で、野球部の他に「家庭部」の顧問も務める(撮影:菊地健志)

「学校に来る目的をつくってあげたかったんです。中学時代は学校が楽しくなくて、ただ給食を食べに行っていたという子もいます。たとえ教室には居場所がない子でも、部活のような居心地のいい空間があれば学校を辞めずに来るんです」

変わり始めた生徒たち

当時の部活動加入率は10%程度。東監督をはじめ、教員たちの声掛けで今では80%を超えるまでに増えた。加入率が高まるとともに、生徒たちにも変化が見られた、と川本さんは続ける。

「当初は先生が動かないと生徒も動かないようなところがありました。でも、今は例えば行事中に整列するような場面でも、部活に入っている生徒を中心にパッと動ける。生徒主導でいろんなことができるようになりました」

中でも野球部の変化は顕著だった。前出のクリーニング店の畑さんはこう続ける。

高校近くでクリーニング店を営む畑公之さん。野球部の熱烈なファンで、練習試合があると聞けばグラウンドに駆けつける。今夏の三重大会は6試合すべてを球場で観戦したという(撮影:菊地健志)

「今まで白山高校のほうから何も聞こえなかったのに、冬でもバットの『キーン!』と抜ける音が聞こえてくるようになった。東監督になってから明らかに生徒が変わりました」

三塁側のバックネット裏に事務所を構える農事組合法人南家城営農組合の理事長・岩崎忠弘さん(73)は、こう話す。

「(昔は)はっきり言って真剣味は感じられなかったですわね。1回戦で負けてばかりやったし。最近はファウルボールが飛んできよってな。事務所のガラスにガシャーンといくわけ。もう事務所じゃゆっくりできないよ」

ぼやいているように見えて、岩崎さんの口ぶりはどこか楽しそうだ。

農事組合法人南家城営農組合の理事長・岩崎忠弘さん。白山高校グラウンドのネットが改修されて高くなることが決まったため、ファウルボールが事務所に飛び込む危険は減りそうだ(撮影:菊地健志)

野球部以外の生徒にも変化が始まった。町内で自動車整備会社「福山自動車」を経営する福山哲彦さん(54)は、10年以上前から白山高校の生徒をインターンシップで受け入れてきた。同校のキャリア教育の一環で、3年生の生徒が地元企業で就労体験をする制度である。

「高校生にさせるのは洗車、タイヤ交換などの軽作業が中心です。それでも正直言って、以前は約束の時間に来んとか、『やらされている』という感じで働く子がいました。でも、5~6年くらい前から生徒さんの様子が落ち着いてきたかな」

「福山自動車」には野球部3年生の刀根夢斗君がインターンシップに通う。福山哲彦さんは「刀根君は車に興味を持って、楽しんでやってくれています」とうれしそうに語った(撮影:菊地健志)

野球部への支援

2017年に学校は学校運営の健全化を図るため、部活動を支援していく方針を決めた。その最初の対象が野球部だった。公立校ゆえに資金援助は限界があったが、とりわけ効果的だったのは人的支援だった。東監督以外に現場指導ができる若い教員を白山高校へと招いたのだ。

前出の諸木さんをはじめ、現在は片岡翔さん(24)、池山桂太さん(30)、磯島毅さん(27)の4人がコーチを務めている。彼らはバッティングマシンの代わりに自ら手投げで選手の打撃投手を務めた。東監督は人脈を生かしてさまざまな学校に練習試合を申し込み、週末にクーラーの壊れたマイクロバスを運転して選手たちを連れていった。

野球少女だった川本部長は事務仕事を一手に引き受け、ときには選手たちの母親役となり細かな目配りをしてきた。指導者たちが、文字通り汗をかきながら選手たちにたっぷり愛情を注いできた。

そして2018年、野球部が躍動する。

トレーニングに使うタイヤは東監督が地元のガソリンスタンドから譲り受けたもの(撮影:菊地健志)

学校も地域も初めての「甲子園」

2018年7月、甲子園出場校を決める三重大会が開かれた。2016年まで10年連続初戦敗退だった白山高校はノーシードだったが、3回戦で優勝候補・菰野高校に競り勝つと勢いに乗り、決勝進出。松阪商業高校との決勝は序盤から相手のミスにつけ込み、8対2で優勝を決めた。

校長、教頭、職員とほとんどの人にとって「甲子園」は初めてである。情報をかき集めると「とにかくお金が必要」という話になった。白山町自治連合会長の高尾明さん(65)は言う。

「地域の人にも協力してもらえんかということでしたから、自然とわれわれもフォローしましょうとなりました。普段はなにもない町に、たくさん報道の方が来て、一気に全国区になった。地域としては誇らしいことですよ。僕もこういう立場ですから、各地区の長に連絡して、寄付を取りまとめてもらうことにしたんですわ」

三重大会の決勝をスタンドで見守った白山町自治連合会長の高尾明さん。「試合が進むにつれて『甲子園に出たらどうするんや……』と青ざめとった人もいたな」(撮影:菊地健志)

2013年から白山高校は、地域住民が学校運営に参画する「コミュニティ・スクール」に指定されていた。地域と連携する下地ができていたことが、ここで生きた。

高尾さんの命を受けた会員が地域を一軒ずつ訪ね、時には回覧板を回して住民からの寄付金を集めて回った。高尾さんは白山町のみならず、津市の自治連合会にも協力を依頼した。学校でもボランティアスタッフが毎日手書きで宛名を書き、OBに向けて寄付金を募る手紙を発送。地域全体を巻き込み、目標額を大幅に上回る寄付金を集めた。

甲子園実行委員長を務めた岩崎さんは「白山は少子高齢化が進んでて、人口がどんどん減ってる。このあたりは年寄りばかりやけ、あと10年もすりゃ(戸数も)半分くらいになる」と話す(撮影:菊地健志)

それらを取りまとめる甲子園実行委員長を務めたのは、ファウルボールで窓ガラスを割られていた岩崎さんだ。寄付金が届くたび、住民や卒業生の熱を感じ取っていたという。

「高校に引け目を感じていたやつらも『私も卒業生なんです』と隠さずに言えるようになった。ようけ協力してもらって、『田舎の学校でもできるんや』と自信になりました」

「こんだけの人がお前らを応援してくれてんだぞ」

甲子園で試合があった8月11日、人口約1万1000人の白山町から約2000人がバス約50台に分乗し、甲子園球場へと向かった。

福山自動車の福山さんも「後にも先にもこんな奇跡が起きることなんてないかもしれへん」と甲子園に行った一人だ。

「従業員と一緒に甲子園に行きましたよ。スコアボードに『白山』と出とるのを見て『ミスプリントちゃうか?』なんて笑い話にして。甲子園の試合中、どこかのテレビ局が白山の町を映して『見てください、町から人が消えました!』なんてやっていたけど、『それはいつもです!』って言いたいですよ」

辻君がインターンシップで通うガソリンスタンド「家城石油」では、社長の大西康之さん(58)が「とっておき」と言って、甲子園出場メンバー全員のサインが入ったメガホンを誇らしげに見せてくれた(撮影:菊地健志)

甲子園へ行けない人のために、町内にパブリックビューイングも設けられた。企画したのは、高校の近くで明治3(1872)年創業の洋品店「やまちょう」を営む園佳士さん(41)だ。店舗2階の多目的スペースを開放した。

「小さな会場ですけど、みんな応援したい気持ちは同じやろなと、声を掛けたんです」

会場には80人を超える町民が集まり、応援グッズを片手に白山高校の晴れ舞台を見守った。

試合は第4試合、甲子園常連校の愛工大名電(愛知)との対戦だった。名門校の前に序盤から劣勢に立たされ、7回を終えて0対8。実力差に四苦八苦しながらも、東監督はスタンドを見渡して驚きを隠せずにいた。

「終盤になって大差。その日の最後の試合ですから、普通なら観客もばらばらと帰り始めるところなんですよね。でもスタンドを見たら帰る人なんて見当たらなくて」

東監督は選手たちに声を掛けた。

「一生覚えとけよ。こんだけの人がお前らを応援してくれてんだぞ」

試合は0対10で完敗に終わった。それでも甲子園球場を埋めた4万人の観衆の多くは、白山高校の試合が終わる瞬間まで見守った。

2018年、夏の甲子園2回戦。愛工大名電に敗れ、一塁側応援席へ整列して一礼する白山ナイン。すでに2019年に愛工大名電との練習試合を組み、貴重な機会を次へと生かしている(写真:日刊スポーツ/アフロ)

「地域のみなさんの見方が変わった」

白山高校の赤塚久生校長は、2学期の始業式の朝、登校指導に立って生徒たちの変化を感じたという。

「自分から進んで教師の目を見てあいさつができる生徒が増えたように感じたんです。野球部の生徒たちが大舞台であんなに立派にプレーできたことを目の当たりにして、『自分もやればできる』という心境に変わったのではないでしょうか」

白山高校の赤塚久生校長。インターンシップを通して「地域の方々に育てていただいて、生徒たちは学校では見せない顔も見せてくれる」と頬を緩めた(撮影:菊地健志)

野球部の新キャプテンに就任したのは、2年生のパルマ・ハーヴィー君(17)。パルマ君は「東監督という熱心な指導者がいる」と聞き、第1志望で白山高校に入学している。

「地元の人に声をかけられて『頑張ろう』と背筋が伸びる感じはあります。白山に来たころはコンビニが一つしかないし、通りに人が歩いているところもそんなに見かけなくて寂しいと思っていました。でも、今ではコンビニが1軒あれば十分だし、自然豊かで静かな場所だと思えるようになりました。白山に来て本当によかったです」

東監督は「変わったのは生徒だけではない」と思いを語る。

「たしかに甲子園に行って、いい世界を見せてもらいました。でも、僕は生徒が変わったというより、地域のみなさんの見方が変わったと思うんです。甲子園に行く前から、生徒たちはあいさつもしていましたし、やることはやっていたんです。でも、結果が出て、『白山』という名前が広く報道されるようになって、地域が変わったように感じます」

中央のタイヤに座るのがパルマ・ハーヴィー君。夏の大会では伝令役としてチームに貢献。3年生エースの山本朔矢君は「パルマの笑顔を見るだけでホッと癒やされます」(撮影:菊地健志)

「一緒に応援できる何か」が地域を変える

野球部が変わり、学校が変わり、地域も変わりつつある。「やまちょう」の園さんは、甲子園出場に白山の地域再興の手応えを感じたという。園さんはもともと兵庫県生まれで、白山の出身ではない。2007年に妻の実家の「やまちょう」を引き継いでから、地域おこしのプランをいくつも立てたが、どれも実行できなかった。

「でも、パブリックビューイングで地域のみんなが損得関係なしに応援したあの空気感を見て、『これが地域おこしなんや!』と感じました。一緒に応援できる何かがあると、こんなにも盛り上がれるんやって。まだ形にはできていませんが、野球を何か別のものに置き換えたら地域おこしはできる。そのイメージを野球部の子らに教えてもらったような気がします」

「やまちょう」店主の園佳士さんと妻・典子さん。甲子園出場時は、来店客に清涼飲料水のペットボトルに直筆メッセージを書き込んでもらい、計120本を野球部に差し入れした(撮影:菊地健志)

園さんは地元商工会の青年部で地域おこしを担当している。青年部は5人しかいなかったが、白山の甲子園出場後、8人へと増えた。園さんは「部員5人からのスタートって、そのまま白山高校の野球部みたいですよね」と笑う。

甲子園出場後、東監督にとってもうれしい「変化」があった。

「甲子園で注目されて、その後にウチと同じような定員割れしている高校から手紙をもらったり、練習試合をしたいと連絡をもらうようになった。うれしいよね。でも、マジックなんて何もありません。ただただ、地道にやってきただけなんです。神様が『こういうチームを1個くらい出しとかないとアカン』と甲子園に出してくれたんですかね」

新チームは秋の県大会で初戦敗退に終わり、来春の選抜高等学校野球大会への出場は絶望的になった。それでも、1、2年生たちは2度目の甲子園出場を目指して、絶えず打球音を響かせている。

「先輩たちの姿を見ていますから、意識は高くなってると思いますよ。これから鍛えていけば面白くなるでしょう。3年生はいいものを残してくれました」

そう語る東監督の横顔は、どこか誇らしげだった。


菊地高弘(きくち・たかひろ)
1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌「野球太郎」編集部員を経て、フリーの編集者兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ「野球部あるある」(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。


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