首長選挙は「住民自治」「民主主義」と表裏一体だから、絶対に欠かせない――。そんな常識を覆す村が大分県にある。国東半島沖の瀬戸内海に浮かぶ姫島で、島がまるごと「村」だ。人口約2000人のこの村では、2年前の2016年まで60年以上も村長選挙がなかった。かつての村長選で島民が二分された経験から、無投票で村長が選ばれる独特の風土が生まれたという。その2年前の選挙でも、現職の藤本昭夫村長は当選後、「選挙はないほうがいい」と語った。あれから2年。選挙は本当にないほうがいいのだろうか。(文:末澤寧史、写真・動画:田之上裕美/Yahoo!ニュース 特集編集部)
【約360秒】映像で見る大分県「姫島」のいま
無投票で親子2人が村長を半世紀以上
9月中旬、姫島村を訪れた。
国東半島の伊美港からフェリーで約20分。クルマエビをはじめとする漁業が盛んで、自然環境に恵まれた小さな島だ。村民の雇用確保のために公務員の給与を最低水準に抑える一方、その数を増やす「公務員ワークシェアリング」を実践する村としても知られている。公務員数は人口の約1割にものぼる。
面積約7平方キロメートルの島には、信号がたった一つしかない。「島民=村民」はほとんどが互いに顔見知り。道を歩いていても、島民同士は気軽に会釈や会話を交わしている。
きれいに舗装された道路には最新鋭の電気自動車が行き交っていた。観光客や釣り客向けだ。村はIT企業の誘致にも力を入れているのだという。
港の周辺で会った初老の男性は、島の歴史に詳しいという。雑談の後、「村長選挙の歴史を教えてほしい」と切り出すと、明らかに様子が変わった。上唇がひきつったようになり、言葉が出てこない。村長選挙については、ここでは語れないのだという。
姫島村では、1957年の村長選から対立候補が出る選挙戦が行われず、無投票で村長が決まっていた。その後、2年前の選挙まで、16回連続で村長は無投票当選だった。「16回連続」は全国最多だという。そのうち15回は親子2人によるものだ。
現職の藤本昭夫氏(75)は8期連続。その前は、藤本氏の父・藤本熊雄氏(故人)が7期連続で務めた。親子2代で半世紀以上もの間、村政を率いてきたのである。
現村長「選挙は住民を分断。これからも無投票で」
無風状態に波が立ったのは2016年10月のこと。対立候補の出馬が決まり、ついに村長を住民の投票で選ぶことになったのだ。その選挙で大勝した現職の藤本昭夫氏は当選決定後、報道陣に対し、こう語ったのである。
「小さな自治体での選挙戦はよろしくないとの意を強くした。住民の分断を生むからだ。これからも村長選は無投票の形にもっていきたい」
もちろん、姫島村の住民たちは、投票経験ゼロではない。国政選挙などでは毎回、大勢の住民が投票所に出向いている。2017年の衆院選は投票率79.91%。16年の村長選でも投票率は88.13%に達した。政治への関心はむしろ高いのかもしれない。それでも、「村政」を大っぴらに語る雰囲気はほとんどないという。
姫島村議会の議員8人のうち、最年少の山下大輔さん(46)はこう解説する。
「狭い世界じゃないですか。島ですし、村ですし。選挙権を持っている人は、さらに少ない。選挙後のしがらみや、村が二分されることへの懸念は村民全員にあるんです。だから(村民には)選挙はないほうがいいし、選挙については語りたくない、というのが本音かもしれないです」
――山下さん自身はどう思いますか?
そう問うと、山下さんはこう答えた。
「(国政選挙など)選挙自体はあったほうがいい。そうでなければ、先に手を挙げた人が勝つことになってしまう。だけど、(61年ぶりに対立候補が出た)村長選挙に関してはないほうがよかった。村民(の気持ち)をかき回しただけでした」
61年ぶりの村長選、敗れた対立候補は……
2016年の村長選で現職の対抗馬として立候補し、61年ぶりの村長選を戦ったのは、藤本敏和さん(69)だ。今は農作業をしながら、得意の韓国語を住民に教えてもいる。
「この村の閉塞感に一石を投じたかったんです。例えば、村議の選挙は、言論ではなくて親戚が多いほうが勝つ。若い人や女性が出馬して、もっと多様な意見が出ていいはずです。(村政関連の)会合でも案を出し合うのですが、参加者が不満をよく言います。『どうせ決めるのは村長。提案しても、一度も採り入れられたことがない』と。(同じ人が権限を持つことが)長く続くと弊害が出ます」
敏和さんは姫島村出身。村長とは同姓だが、親戚関係にはないという。進学で島を出てNHKに入り、アナウンサーや国際放送のプロデューサーなどを経験。退職後は韓国の大学の招聘教授などを経て、2014年に老後を過ごすために島に戻ってきた。村では、教育委員なども務めた。
選挙結果は、現村長が1199票、敏和さんは512票。
敏和さんはこう振り返る。
「立候補してよかったと思います。(出馬の際に)村長から『村長になりたいならなぜ早く言わなかった? 次は任せてもいいかもしれない』と言われました。だから今回の選挙は降りろ、というニュアンスです。でも、それでは支持者を裏切ることになる」
「昔の村社会では有力者の話し合いで(村長を)決めればよかったのかもしれません。ですが、その輪に入れず、不満を持つ人は必ずいるんですよ。その声が反映される制度が選挙です。(選挙をして)しこりはたしかにあるのかもしれません。でも、選挙がなくたって、不満はあるんです」
敏和さんに立候補を促し、村議会議員の中で唯一支持したのが小野仁さん(56)だ。漁協、老人クラブなど組織を束ねる現職に、草の根の運動で対抗したという。
「選挙があってよかった。人口も2000人を切っているんです。みんながフラットに話し合い、みんなで一緒に姫島を盛り上げようという機運にならないと……。選挙があって(住民の)意識が少しずつ変わってきた。声に出して(意見を)言う人が多くなりました」
魚味噌の加工場で働く寺下洋子さん(69)によると、住民が表立って声を上げないのは「慣れてなくて、恥ずかしいだけ」だという。
「選挙があるのはいいことです。村長も気が引き締まると思う。新たな風が吹いてよかったと私は思っています」
大物政治家の影響力も
それでも、姫島村の「村長選挙はなくてもよい」という独特の考え方は根強い。なぜ、そんな風土が生まれたのだろうか。
元村議で、姫島村老人クラブ連合会会長の島崎勝廣さん(80)は、2年前の村長選で「人生で初めて村長選を経験した」と言う。まだ選挙権を持たなかった10代のころ、島民を二分した村長選を目の当たりにした。その記憶が消えていない。
「まさに村は真っ二つ。すごい選挙だった。金も双方飛び交ったと思うよ。陣営の締め付けもすごかった。漁師同士もケンカしよった。太鼓叩いて、運動会の応援団みたいなことをしおった。自分の商売を懸けて、社運を懸けて応援するんじゃからな。必ずしこりが残るよ。今でも残っているかもしれん。選挙はないほうがいい。無投票というのは、地域で信頼されているということなんだ」
55年の選挙戦の後、60年に無投票で村長に就任した藤本熊雄氏は、強力なリーダーシップで村をまとめあげたという。姫島村出身の元衆議院議員で、閣僚や自民党副総裁も務めた故・西村英一氏と二人三脚で離島の振興に尽力した。
当時のスローガンは「本土並みの生活」。クルマエビの養殖を主要産業の一つに成長させ、港湾、電気、上下水道などのインフラや診療所の整備などを推し進めた。
島崎さんは熊雄氏の秘書として運転手を20年間務め、その政治力の強さを間近で見てきたという。約50年前、大分空港建設の際に大分県知事の陳情を政権中枢に取り次いだのも熊雄氏だったと証言する。「政治力に差がありすぎて、(村長選の)対抗馬が出るわけがない」状態だったというのだ。
そして、その熊雄氏の死去にともない、1984年に村政を引き継いだのが、息子の昭夫氏だ。島崎さんは言う。
「『村長(昭夫氏)はワンマン』と言う人もいるが、(考えを)理解できんからだ。(昭夫氏を後継者に)推したのは竹下登(元首相)と小沢辰男(元厚生大臣)だ。『あなたが村長をやりなさい。その代わり(離島振興に尽くしたあなたの)父親の気持ちを絶対に忘れてはならんぞ』と。それで(熊雄氏の)人脈と教えでやってきた」
昭夫氏は、村政の基本路線を父から継承してきたという。
「姫島には姫島の民意の集め方がある」
前出の村議会議員・山下さんは、人口規模の小さい姫島には姫島なりの民意の集め方があると語る。
「いまの村長はみんなを先導して、うまく舵を取っていると思う。ただ、姫島はけっこうボトムアップなんですよ。住民が強くて、区長がいて、地区を盛り上げている。そこからいろんな要望も上がり、議会に通したりもします」
似たような声は村民にも少なくなかった。例えば、70代の女性。村長によく話し掛けられるという。「『何か(村政に対して)言うことないかい?』と聞かれて。『今のところ何もないよ。あったらまた連絡します』って。今の村長さんはそんな人です」
一方、2年前の村長選で対立候補を推した村議の小野さんは批判的だ。「時代は変わった。村長に権力が集中しすぎている」と。
「姫島では議会が村長の下にあるんです。会期前に執行部と全議員の『勉強会』などが行われ、(実質的な)質疑は議会外で行われる。議会は(形だけで)会期が1日で終わります。これはわれわれ議員の責任ですが、(村長選のなかった)3年前までは一般質問がほぼ出なかった。姫島の場合は、地区のために(何か)しようとしたら、(議員は)村長にお願いしなければいけない。だから、『(村長の)下についていたほうが得策』となるのではないでしょうか」
島の将来を選ぶのは?
次の村長選挙は、2020年にやってくる。そのとき、現職の藤本昭夫氏は77歳になっている。前回出馬した藤本敏和さんは「2年後の立候補も視野に入れている」という。だがそのときには、自身も70歳を超えている。
「もっと若い人が出てくればいいと思います。僕より若い人が出てくれれば、それでもいい。いつかは世代が変わる。(世代交代をして)うまくいかないときがあっても、新しく時代をつくらなければいけない」
島の将来に対する危機感は、“村長派”元村議の前出・島崎さんも同じだ。村政の大きな課題は、村長の後継者育成というのである。
「あと2年したらまた選挙が来て、それから4年したら(現村長が約)80歳のとき(に次の選挙)だ。そのときがな、わしゃ、姫島の分岐点と見ちょる。それまでに後継者をつくりきらんやったら……、これはもう町村合併だ」
村の人口ビジョンによれば、今後20年で人口は半減し、約1000人になると予測されている。村の高齢化率(65歳以上の人口の比率)も2015年時点で約45%。全国平均の約27%より18ポイントも高い。
人口が減り、老いた村は、どうやって生き残りを図るのだろうか。
70代の女性は「若い人はみんな(島の)外に出てる。うちの周りはここも、あっちもずっと空き家。空き家が多いんです」と言った。
30代の女性はこんな不安を口にした。
「今の村長は物心ついたときからずっと村長。他に村長になる人のイメージがありません。若い優秀な人は、島の外に出てしまう。選挙がないことよりも、村長が辞めてしまうことのほうが不安です」
肝心の藤本昭夫村長はどう考えているのだろうか。役場の総務課を通じて何度か取材を申し込んだが、断られた。選挙については、取材を受けないことにしているのだという。
末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
ライター・編集者。共著に『廃校再生ストーリーズ』(美術出版社)、『東日本大震災 伝えなければならない100の物語⑤放射能との格闘』(学研教育出版)、『希望』(旬報社)ほか。
田之上裕美(たのうえ・ひろみ)
ビデオジャーナリスト。高知県出身。2018年からフリー。