2016年2月に発表された国勢調査では、1920年の調査開始以来、初めて日本の人口が減少に転じる結果だった。東京圏への人口の集中が進む一方、33の道府県で減少率が拡大した。その1年前、政府の会議で、ある数字を記したペーパーが配布された。
〈東京在住の50代で移住を予定・検討したい男性は、50.8%〉(内閣官房と内閣府の調査)。この数字は議論を呼んだ。地方移住を進めたい政府側と、地方は疲弊しており、移住は甘くないという意見。果たして地方活性化の兆しはないのか。その答えのヒントを高知県から探る。(Yahoo!ニュース編集部/Forbes JAPAN編集部 副編集長兼シニアライター 藤吉雅春)
50代男性の半分が「退職後は地方移住」を希望
2015年2月、地方移住を推進する政府の「日本版CCRC構想有識者会議」でのことだ。ある有識者委員がこう言った。
「昔、『木綿のハンカチーフ』という地方から都会に出ていく歌がありましたが、これからは都会から地方へ人が向かう、いわば"逆・木綿のハンカチーフ"の視点が重要です」
太田裕美のこの歌がヒットしたのは、1976年。当時、旅立ちといえば、故郷をあとにして都会へと向かう青春のワンシーンを意味した。しかし、時代の変化を象徴する数字が、会議で配布された「東京在住の50・60代の地方移住に関する意向」という資料である。
定年退職後の第二の人生を念頭に、東京から脱出しようと考えている50代男性は50.8%だった。
団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年、東京圏では介護要員や医療施設が圧倒的に不足する。この危機を解消するためにも、政府は地方移住を後押しする「CCRC構想」を推進している。CCRCとは、Continuing Care Retirement Community(継続的なケア付き退職者コミュニティ)の略で、移住した人たちの地域交流や健康寿命の延伸ができるよう、受け皿機能を充実させた町づくりである。
しかし、50代以降の地方移住に対しては、会議中に懐疑的な声が出た。
「移住者の多くは、病気や伴侶の死を機に、都会に戻っている現実があります」
それに、自然災害を起きた場合、高齢者ばかりの集落で誰が助けてくれるのか。地域の扶助力は低下している。働く世代が減り、経済的な疲弊だけでなく、自治体そのものが消滅するとまで言われている。高齢化や人口減少に伴う地方の課題を、高齢者の移住で解消できるのか。
都会か地方か。どちらも難題を抱えるが、ここで興味深い県を紹介したい。日本がバブル期最後の繁栄を謳歌していた1990年、47都道府県で最も早く人口が自然減に転じた県。高知県である。
「ビリから2番目の県」
「知事、高知県と高知大学は一蓮托生の関係ですよ」
2012年に高知大学学長に就任した脇口宏氏は、高知県の尾﨑正直知事にそう言い、危機感を込めてこう続けた。
「高知大学が消えれば、高知県も消えるんです」
日本の10年後の姿は高知県にあると言われている。「少子・高齢化」が、「全国より約10年先行」と厚生労働省や内閣府で指摘されているからだ。高齢化率31.1%は秋田県に次ぎ日本で2番目の高さであり、年少人口割合は全国45位。また、県民所得は46位で、相対的貧困世帯率は全国トップと、経済基盤が弱い。
他にもさえない数字が並ぶ。中学生の学力テストではワースト2~3位と低迷。高知大学医学部の医師国家試験の合格率も、全国80の医学部ランキングで下位と「中の下」の間をさまよっている。
多くの指標で数字が低いため、「47都道府県の幸福度ランキング」(2011年の法政大学大学院調査、2014年の日本総研の調査)では、そろって高知県は46位。「ビリから2番目の県」と自嘲する県民もいる(ちなみにどちらも最下位は大阪府で、1位は福井県)。
そこで、産業振興や人材育成、CCRCなど多くの分野で、高知大学を拠点として県の地域活性化を行うことになった。だから学長は、「一蓮托生」と言ったのだ。
最悪の数字が並ぶ環境と、ごく一般的な地方大学。実は、この両者が作用しあい、ある効果を生み出している。
最先端は最悪から生まれる
高知県は人口あたりの病院数と病床数が全国1位、医師の数、介護療養型施設の数もトップクラスで、特に高知市内に集中している。脇口学長は「政府から『医療費の無駄遣いの県』と指摘されてきたんですよ」と語る。
なぜこんなに多いのか。
医学者でもある前出の脇口学長は、「もともと人口の高齢者比率が多いから」と言いつつも、こんな話をする。
「土佐人の特徴で、非常に議論好きで疑ってかかるから、病院にかかって診断を受けても、別の病院に行き、また薬を処方してもらう。だから医師が多くても成り立つのです」
良く言えば、セカンドオピニオン。議論好きで権威に物申す風土が自由民権運動を生んだと言われるが、みんなで酒を飲むのが好きだから議論が生まれやすいという説もある。
一方、大学側も問題に直面していた。「地域医療への貢献」が開学の精神であったが、若い研修医が大学に残らない。また、医学部は医師国家試験に合格することが目的になっているため、「受験勉強型」に陥っている。
「そこで、大学本来のあるべき姿である、知的好奇心を満たす先端医学の研究を行い、新しい医療を生み出そうという結論に至りました」(脇口学長)。
そこで当時、医学部長であった脇口氏が主導し2009年に「先端医療学推進センター」を創設した。といっても、センターを建設したわけではない。「カネはないけど、組織はできる」と、組織改編を行い、医学部2年生という早い段階から「医学研究者」のような先端医療の開発研究に取り組ませたのだ。知識詰め込み型から、マンツーマンに近い本格研究への転換である。
現役学生の快挙
ここで教授たちが予想しない成果が生まれた。
例えば、当時4年生の小山毅さんは、手術室を見学しながら、疑問に思うことがあった。
「手術前、元気にお話しをしていた70歳ほどの男性が、手術の負荷により、私と会話が噛み合わなくなり、元気がなくなりました。せっかく手術で体が良くなったのに、他の問題が生じているのです」
「術後認知症」と呼ばれる高齢者に多い現象だ。手術後、認知症のような状態になるため、転倒したり、薬を飲み忘れたり、点滴を外すなど、事故の原因を生んでいた。
小山さんは、教授陣の指導のもと、解明されていなかった術後認知症のプロセスと抑制方法を研究。彼が書いた論文は、現役学生でありながら2015年の日本静脈麻酔学会で最優秀演題賞を受賞したのだ。
彼だけではない。2011年以降、毎年、高知大学の現役学生たちが学会で賞を受賞。2012年以降は複数の学会で受賞しており、特に5年間で4度受賞した日本腎臓学会では「現役学生たちの快挙」として医学界で話題となった。
高知大学医学部の変貌に貢献したのが、実は高知県の悪い環境である。
以前から高齢者の割合が多かったため、1976年、地方大学では初の「老年病科」が設置されている。そして1981年から現在まで、のべ患者数31万人の検査データを匿名化して蓄積。このデータを用いて、学生が糖尿病の予測モデルを研究するなど、「負の環境を地の利にした」と、大学関係者は苦笑するのだ。
前出の小山さんはこう話す。
「目の前の患者さんを良くするだけではなく、自分の研究成果が多くの人に貢献できればと思います」
人を育てることで、課題解決に挑戦できる。これが高知大学が導き出した答えである。
それは産業にも言えることだった。
悪いデータは「斜陽」か「伸びしろ」か
高知県の食料品出荷高に目を向けると全国46位と、またしてもビリから2番目。しかし、農業生産高は31位だし、高知の食材のおいしさは有名である。
生鮮品は流通できる量に限度があるため、本来なら地元で食品加工を行い、付加価値をつけて県外に売って利益を得るべきだが、そういう商売ができていない。そこで2008年、高知大学と県が連携協定を結び、金融機関や経済界の協力をもとにスタートした事業が、「土佐FBC(フードビジネスクリエイター)」である。
食品製造の技術からマーケティングまで、食のプロを育てようというものだ。さっそく誕生したのが、特産品である柚子を使った「ポン酢」「食後酒」や、トマトソース、グァバ茶の機能を活かしたコスメ商品。つまり、悪い数字は、視点を変えれば伸びしろでもあったのだ。
同じく2008年、高知大学では全学部で地域で働きながら課題を探求するプログラムが開始された。当初は「自律型人材の育成」を目標にした取り組みだった。
しかし、「高知は課題が多くて学生が鍛えられやすい環境でした」と、ある教授は苦笑する。地域に分け入ることで本音を掴み、課題の解決方法を考える教育に進化した。このプログラムは、企業など外部モニターの高い評価を受け、2015年、「地域協働学部」として創設が認可された。
「入学した学生の半数は起業家志望です。学生たちは地域に仕事がない現実を知っている。だから、生産から流通までを見据えた6次産業化で仕事を創出したいと考えているのです」(上田健作学部長)
数ある暗いデータとは真逆の数字がある。土佐経済同友会が県内在住の20歳以上(回答者数4009人)を調査したところ、「高知で暮らして幸せと感じる」人が約7割もいたのだ。実際、高知市内で、こんな声を聴いた。「ビリから2番目でこれだけ幸せなんだから、日本も捨てたもんじゃないですよね」。
医療費の無駄遣いの県と指摘される一方で、高知県は内閣官房が調査した、全国都道府県の「稼ぐ力分析(労働付加価値額)」の「医療・福祉部門」で4位。また、首相官邸に提出された「医療・介護余力指数」(高橋 泰・国際医療福祉大学教授)でも、トップレベルに位置する。
斜陽、負担、お荷物ーー。モノサシを変えれば、それは潜在的な成長力にもなる。最悪の数字を「伸びしろ」と見る人たちは、高知に限らず、全国にいる。どん底にビジネスを見い出す人々を、この連載で紹介してきたい。