柴田大輔

「また人が殺された」――コロンビア貧困地区、若者たちの絶望と希望

10/29(月) 8:11 配信

サッカーW杯ロシア大会で日本がコロンビアと対戦したのは、今年6月だった。コロンビアにとっては「まさか」の敗戦。そして絶対負けられない第2戦でポーランドに勝利し、コロンビア国民は熱狂した。「また人が殺された」との情報が入ってきたのは、その直後だった――。コロンビアで半世紀以上続いた反政府ゲリラ「FARC(コロンビア革命軍)」と政府の争いは、2016年の和平合意で終わりを迎えたはずだった。あれから2年。今もなお紛争が続く町では、激しい抗争と暴力の中で、希望を見つけようと必死に生きる若者たちがいる。(文・写真:柴田大輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

W杯の日 「また人が殺された」

「また人が殺された」という話が伝わったのは、太平洋沿いにあるトゥマコ市の貧困地区だった。コロンビアでは、数十に区画された居住地を「バリオ(=地区)」と呼ぶ。トゥマコでは市街地の「バリオ」は貧困地区と重なることから、言葉そのものが「貧困」と「暴力」を象徴するようになった。

土地が不足する「バリオ」では、桟橋沿いに家が建てられていく

W杯のグループリーグ第2戦。バリオのある雑貨店で白昼、住民たちはテレビを取り囲んでいた。前半40分、同国が生んだスター、ハメス・ロドリゲス選手のクロスに味方の選手が頭で合わせて1点を先取すると、試合はコロンビアのゴールラッシュになった。3-0。快勝の瞬間、バリオのあちこちでまさに地響きのような大歓声が沸き上がった。

その直後である。

「人が殺された」という情報が入った。現場へ向かうと、人だかりの中に若者が2人横たわっており、頭から赤黒い血を流している。知人は「対立する武装組織同士の抗争だ。状況は悪い。多くの人が殺し合っている」と言う。W杯で沸いたこの週、トゥマコの市街地で13件の殺人事件が起きた。

W杯の日に起きたトゥマコ市の殺人事件。敵対する組織の抗争が激化し、多くの若者が犠牲になる

事件現場で泣き崩れる女性たち

殺人発生率は世界一

太平洋岸の港町トゥマコ市には約20万人が暮らしている。面積は埼玉県とほぼ同じ。沿岸部はマングローブの森に囲まれ、郊外には広大な農村地帯が広がる。住民の約9割はアフリカにルーツを持つアフロ系の人々だという。

トゥマコでは近年、左派系ゲリラや右派の準軍事組織、政府軍などの対立によって激しい暴力が続いてきた。2016年の和平合意で大きな勢力を誇った「FARC」が消えると、今度は空白となったその地域の支配権をめぐり、複数の武装組織の間で対立が激化してきた。暴力の連鎖は消えていない。関係機関によると、2000年以降、現在までに死者は3500人以上に達し、8万人以上が避難民になった。

トゥマコの住民にはアフリカ系の文化が受け継がれている

コロンビアは世界最大のコカイン生産地であり、国連によれば、2017年のコカ栽培地は全国で17万1000ヘクタールにも及んだ。トゥマコには、コロンビア全土のコカ畑の11%が集中している。海に面していることから、ここでは麻薬の加工・精製、船舶による国外輸送も可能だ。麻薬取引を資金源とする組織にとっては、「要(かなめ)」である。

FARCと政府の画期的な和平合意の後も、トゥマコでの暴力はすさまじい。

全国紙「El Tiempo」によると、 今年は8月までに166人が市内で殺害された。このままで推移すれば、10万人当たりの年間殺人発生は130件に及ぶという。2017年に世界一の殺人発生率となったメキシコのロスカボス市を上回る数字だ。コロンビア全体では年々減少しており、17年は10万人当たりの発生は25件だったから、トゥマコの特異性が際立つ。

トゥマコ沿岸部では伝統的に漁業に従事する人が多い

「暴力はたくさんだ」「みんな目を覚ませ!」

暴力が日常になったトゥマコには、ラップを通じて社会と向き合う若者がいる。バリオ出身の20代のヒップホップグループ「AfroMiTu(アフロ・ミトゥ)」だ。結成は3年前。カトリック教会が主宰する若者の文化施設「青年アフロセンター」で開催したラップ講座がきっかけだったという。

コロンビアで活躍するヒップホップグループのメンバーを講師に招き、バリオの若者が参加した。講師が暮らす町もトゥマコ同様、暴力が蔓延していた。同じ背景から生まれた言葉と歌が若者の心に響いたという。

そしてアフロ・ミトゥは今、「暴力はたくさんだ」「みんな目覚めろ、目を開け!」と歌う。

アフロ・ミトゥのメンバーと、「青年アフロセンター」で芸術やダンスを学ぶ若者たち

カトリック教会が主宰する「青年アフロセンター」の外観。文化活動を通じた若者の居場所づくりや、進学サポートを行う。銃の持ち込みさえなければ誰でも参加できる

ボーカルを務める22歳のネイシー・テノリオも、青年アフロセンターでのラップ講座に通っていた。「最初は難しかったよ。でも、言葉を音楽にうまく乗せられたらすごく面白くなってきちゃって」

アフロ・ミトゥは一貫して社会問題をテーマに曲を作っている。初のアルバムは2017年、ネット上でも発表した。1曲目のタイトルは「Decimos “No” a la Violencia(私たちは暴力に“NO”と言う)」。武装組織との接点が日常にある彼らにとっては危険なテーマだったはずだが……。

ネイシーは言う。

「私は怖くない。もう暴力を前に黙ったりしない。私たちは行動する」

アフロ・ミトゥのボーカル、ネイシー

兄は銃弾に倒れた そして妹は歌う

5年前の2013年、ネイシーは一つ年上の兄・ジェルソンを18歳で亡くした。武装組織同士の抗争に巻き込まれたという。トゥマコでは当時、二つの武装組織がバリオの若者を取り込み対立していた。兄は組織のメンバーではなかったが、友人らは組織と関係を持っていた。

その日もいつものように、兄は友人たちと一緒に過ごしていたという。ところが、二つの組織の衝突は周囲を巻き込み拡大。鎮圧に乗り出した警察と軍隊が威嚇射撃した。そのうち、銃はその場にいた人たちに向けられた。その一発がジェルソンに当たった。

武装組織の抗争に巻き込まれたジェルソン。誰からも好かれる存在だった

ネイシーが振り返る。

「あの日、家にいたお母さんは『争いの現場に兄がいる』って聞いて、現場に向かったの。連れ戻そうとしたみたい。でも、お母さんの目の前で兄が撃たれた。私たちにとって忘れられない日。そう、その日はお母さんの誕生日の前日だった」

「兄は明るくて人気者だった。例えば、彼が新しいピアスをするでしょ? そうすると、すぐにみんな真似して流行になった。彼はいつも友達の中心にいた。誰とでも分け隔てなく付き合う、やさしい人だった」

ネイシーたちのアフロ・ミトゥは週に数日、バリオの若者にラップを教えている

ネイシーが作った歌に「Del Barrio Soy Yo(私はバリオで生まれた)」がある。兄の死への思いを歌詞に込めた。

誰もこんな戦争なんて望んでない
一発の銃弾があっけなく人の命を終わらせる
この町には、仕事も、学校も、チャンスもない
失望の中で殺し屋になる友がいる
金持ちは戦争になんて行かない
ただ貧しい人が殺し合い、路上で死んでいく

後半で彼女は叫ぶように歌う。

みんな目覚めろ、目を開け!
自分こそが「バリオ」なんだ
声を出せないみんなのために、私たちが歌いつづける

トゥマコの海で遊ぶ若者

「トゥマコで生きる」という選択肢

安全を求めてトゥマコから他の地域へ移住する住民も少なくない。そんななか、ネイシーは住み続ける。

「学校ではみんな、卒業したらトゥマコを出る話をしていた。悲しいけどしようがない。私もここを出たかった。でも、お母さんが『行かないで』って。お母さんを一人にできなかった」

「『和平合意』があったけど、ここでは武器を持つグループが変わっただけ。前はFARC、今は別のグループが殺し合ってる。ここでは『和平』なんて関係ないの。私たちの生活は変わってない。『トゥマコにはチャンスがない。人生の選択肢は私たちに用意されていない』ってみんな言うでしょ?」

兄を亡くしたネイシーは、小学校教師の母と2人で暮らしている

仕事の少ないトゥマコでは、2万円ほどで殺人を引き受けたり、危険を承知で麻薬を国外に運んだりする若者がいる。国家統計局によると同市の貧困率は80%を超え、失業者は同市役所の統計で70%に及ぶ。この環境が麻薬経済や武装組織と住民を近づけた。

首都から遠く離れて中央政府の統治が希薄なため、教育環境も整わなかった。

トゥマコでは半数の子どもが小学校を卒業せず15歳以上の17%が読み書きをできないという。大学など高等教育機関への進学率は7%を切る。コロンビア全体の識字率は約94%、高等教育機関への進学率は約58%だから、落差は激しい。

バリオの若者たち

カトリック教会では、学校に行けなかった大人たちに学ぶ場を設けている

そうしたなかにあってもネイシーは絶望していない。ラップを通じて自分を表現する手段を得た彼女を、教会も積極的に支援している。若者代表として国内各地で開かれるイベントに出席し、昨年はローマにも行った。そこで自身やトゥマコのことを話し、人々と交流した。

ネイシーは言う。

「私はトゥマコから出ることはできなかった。でも、ここでチャンスを得た。私は『トゥマコで生きる』という選択肢を示したい。私は歌でそれを伝える。私は行動できる。私には言葉があるんだから」

バリオの子どもたち

暗殺されたビクトルが語ったこと

暴力の中で生きる若者たち。「100パーセント、トゥマコの人間だ」と言うビクトル・カスティージョもその1人で、2017年3月に初めて会った。当時、26歳だった。

和平合意によって、FARCは武装解除することになった。しかし、FARCのメンバー全員が和平合意に納得しているわけではない。それに反発し、FARCを脱退して新しい組織「ヘンテ・デ・オールデン」に参集した者たちもいる。その数およそ400人。ビクトルもそこに合流し、政治部門を担当していた。

和平合意の後に新組織のメンバーとなったビクトル・カスティージョ。この撮影の2カ月後、自宅前で殺された

この新組織は立ち上げ後、二つに分裂し、今は麻薬利権をめぐって抗争を繰り広げている。メンバーの中心はFARCの元「民兵」たちだ。FARCにはかつて、政府軍と対峙し戦闘を担う“正規軍”とも言える「ゲリラ兵士」と、市民生活を送りながら協力者として活動する「民兵」がいた。民兵も必要があれば武器を取った。

ビクトルはそうしたFARCの「民兵」だったため、日々の暮らしはいつも「戦闘」「抗争」「暴力」に取り囲まれていた。「『汚い仕事』だ。暗殺、誘拐、爆弾での攻撃、裏切り者の監視……。そういう仕事をしてきた」とビクトルは言う。

和平合意はそんな日々にやっと終止符を打つ目的だったのに、なぜビクトルはFARCを飛び出し、新組織に加わったのか。

「私たち(民兵)はトゥマコのバリオで生まれ育ったんだ。ここの人間でなければ分からない問題がある。ここでは、 FARCと対立してきた麻薬組織が今も武器を持って、活動を続けているんだ。私たちはバリオを離れることができない。私たちが武器を置けば、バリオで暮らす家族や仲間の命が狙われてしまう」

バリオの若者にとって、武装組織に関わる人は身近な存在だ。初めは路地の見張りなど些細なことを頼まれ、少しずつ組織との関係を深めていく。そこで小遣いが渡されることもある。その根底には近隣住民の緊密な関係があり、FARCはそうしたバリオを拠点としてトゥマコを支配していた。

2014年8月、FARCが政府軍基地へ向け発射した迫撃砲は民家に落下した

ビクトルは新組織を代表する「顔」だったし、暴力を肯定するだけではなかった。コロンビアの政府や軍、国連などの代表者らとの会合に出席し、コロンビア社会を動かす地位にいる者たちと対等に話せる場所にも身を置いていた。FARCの民兵として「汚い仕事」を繰り返していたビクトルにとって、光の当たる場所に立つのは初めてだっただろう。これまでとは違う未来が見え始めたのかもしれない。実際、ビクトルは「将来は人権問題に取り組みたい」という希望を口にしていた。

この2カ月後、彼は自宅前で射殺された。翌日には、コロンビアの副大統領と会う予定だったという。同じ組織内の人物による犯行だと報道された。トゥマコでは「ビクトルは政府側に寝返った裏切り者」とも言われていたという。

武装組織の末端で活動する若者たち。サッカーに興じる姿はどこにでもいる若者と変わらない

「和平」に失望 でもここで生きる

国連監視団を率いるジャン・アルノー国連事務総長特別代表は「2017年11月の時点で、社会復帰プログラムに参加する元FARC構成員の55%が『プログラムと和平合意への失望』を理由に去った」と話す。

現在コロンビア各地では、少なくとも1200人以上の元FARC構成員がさまざまな組織で武装活動を継続している。政府とFARC上層部に対する末端構成員の不信は根強い。

元FARC司令官フランシスコ・ゴンサレス氏は農業プロジェクトの遅れなどを列挙しながら、「政府は不誠実だ。約束違反が実に多い」と非難した。元戦闘員の安全も確保されていないという。FARCによれば、和平合意から2018年9月25日までのおよそ2年間に73人の元戦闘員が殺害された。

元FARC司令官のフランシスコ・ゴンサレス氏。現在は政治組織となったFARCで、西部地区政治部門責任者を務める

「バリオで生きていく」

コロンビアでは、元FARC構成員による新組織が各地で勢力を伸ばしている。かつての敵だった右派準軍事組織と手を結び、麻薬利権を管理し始めている例もあるという。そこに、もう政治的な大義はない。また、コロンビア国内では、メキシコの麻薬組織も影響力を増している。その一つ、「シナロア・カルテル」はコロンビアに6カ所の拠点を置き、コカイン生産の直接管理に乗り出しているという。

こうやって生産され、取引された麻薬は、米国をはじめとした「巨大消費地」へと運ばれていく。

トゥマコのバリオからは、いつも美しい海が見える。その向こうに広がる「国際社会」に、トゥマコの現実は見えているだろうか。

抗争で兄を殺害されたネイシーは取材中、こう言った。

「私たちの家である『バリオ』で、私たちは一つの家族のように暮らしていくんだ。もう怒りの中で生きるなんて、いやなんだ」

トゥマコでバリオに暮らす人々。ほとんどは、親族に暴力の犠牲者や被害者がいる


柴田大輔(しばた・だいすけ)
フォトジャーナリスト。1980年、茨城県生まれ。写真専門学校を卒業後、フリーランスとして活動。ラテンアメリカ13カ国を旅して多様な風土と人の暮らしに強く惹かれる。2006年からコロンビア取材を始め、生活を共にしながら住民の側から見た紛争、難民、先住民族、麻薬問題を取材。その他、ラテンアメリカの先住民族、日本の農村をテーマに撮影を続けている。


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