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宗石佳子

森林とローカルベンチャーで蘇る村──若者の移住にわく西粟倉村の現在

2018/10/02(火) 09:29 配信

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鳥取県との県境に位置する岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)。村の面積の95%が森林に覆われた、人口1500人足らずの小さな自治体だ。そんな西粟倉村は近年、地域に根ざしたビジネスを展開する「ローカルベンチャー」の集積地として注目を集めている。少子高齢化と過疎に苦しんできた山あいの小さな村に、チャレンジできる環境を求めて若い人々が集まるのはなぜなのか。行政と民間、村民が一体となって歩んできた「自立の道のり」に迫る。(ライター・庄司里紗/Yahoo!ニュース 特集編集部)

4メートルのスギ丸太がわずか3000円

大阪市内から車で約2時間、山陽と山陰の間に位置する谷あいの集落が見えてくる。吉野川に沿って細く開けた平野では稲穂が揺れる。岡山県英田郡西粟倉村だ。

(撮影:宗石佳子)

緑に囲まれた大きな平屋の建物に近寄ると、木材を削るモーター音が聞こえ、さわやかな木の香りが鼻腔をかすめる。

「これは保育園で使われるスタッキングチェア、こっちはオーダーメイドの収納棚。すべて西粟倉村のヒノキ材を使っています」

そう話すのは「株式会社木の里工房 木薫(もっくん)」(以下、木薫)代表の國里哲也さん(45)だ。

株式会社木の里工房 木薫の代表・國里哲也さん(撮影:宗石佳子)

木薫では、間伐(密集化する森林から木を間引くこと)から木工製品の加工・販売まで自社で手がける。おもに保育園向けの家具や遊具を製造・販売しており、現在、東京や大阪を中心に400ほどの保育園と取引がある。創業は2006年。当初は社員6人、ゼロから販路を開拓したが、2017年度の売り上げは2億4000万円。パート3人を含め、従業員は18人に増えた。

「木薫」の工房内(撮影:宗石佳子)

國里さんは、もともと西粟倉村森林組合(現・美作東備森林組合)の職員だった。仕事を通じて森を守ろうとする山主(所有者)たちと関わるうちに「山を何とかしなければ、と思うようになった」という。

「木材の価格が下落し続ける中、丸太を原木市場に売るだけでは未来がない。山を守るには、村で木材を製品に加工し、販売まで自分たちで行って利益率を高める仕組みづくりが必要でした」

2018年現在、製材前の原木の価格は、長さ4メートルのスギの丸太で3000円ほど。伐採や搬出、輸送のコストを引けば、山主の手元には500円程度しか残らない。

「村では『木は安くて儲からない』と言われるが、都会では『国産の木製品は高くて買えない』と言われる。このギャップをどうにかしないといけないんじゃないか」

それは森林が95%を占める西粟倉村が抱え続けてきた問題の本質でもあった。

合併を拒んだ小さな自治体の闘い

西粟倉村の人々にとって山林は大切な資源で、人々は「子孫のために」と木を植え、長い時間をかけて森を育ててきた。

西粟倉村。民家の背後には、木々が生い茂る山が迫る(撮影:宗石佳子)

しかし、高度経済成長以降、事情が変化した。若者は村外の工業やサービス業に職を求める一方、木材は安価な輸入材が増加。林業で栄えた村は次第に過疎と経済の低迷に苦しむことになった。

転機が訪れたのは2004年。市町村合併が推進された「平成の大合併」がピークを迎えようとする中、西粟倉村は隣接する美作市との合併協議会から離脱を宣言したのだ。

当時、村議会議長として前村長を支える立場にあった青木秀樹・西粟倉村長(64)が回想する。

青木秀樹・西粟倉村長(撮影:宗石佳子)

「西粟倉村は、人間の体で言えば小指の先ほどの小さな村です。産業に乏しい村が合併せずに自立を貫くのは、厳しい選択でした。でも、林業が元気だった昭和30年頃は、自主財源比率が50%を超えていたこともあった。この村に脈々と根付いてきた地域の力を、ここで諦めてなるものか。そんな思いがありました」

「木薫」の挑戦が村の空気を変えた

そこで村が頼ったのが、地域再生事業で実績のあるコンサルタントの牧大介さん(44)だった。牧さんは「長期的に村の未来を切り開く新しい事業が必要だった」と振り返る。

「役場や森林組合、地域の人々と議論を重ねました。そこで、森林を地域資源として再定義し、持続可能な地域づくりの原動力にする、というコンセプトを打ち出したのです」

外部のコンサルタントだったが、2009年に村内で「西粟倉・森の学校」を立ち上げた牧大介さん(撮影:宗石佳子)

これを起業という形で最初に実践したのが、前述の木薫の國里さんだった。

木薫は、通常なら製材、問屋、仲買、木材加工などの中間業者にかかる膨大な流通コストをかけず、製品化で付加価値をつけることで原木の数十倍の売上を出すことに成功した。

一定の利益を出せれば、村に仕事をつくることができる。牧さんは「この考え方を広げることができたら、西粟倉の現状を打開する切り札になる」と確信したという。

そこで村と牧さんらは、2007年に「西粟倉村雇用対策協議会」を発足。西粟倉村で働きたい若者や起業を目指す若者を育成する試みを始めた。

西粟倉の森をもう一度「宝の山」に

こうした事業構想と同時に、2008年、村は新しいビジョン「百年の森林(もり)構想」を立ち上げる。村内の森林を長期的に維持するための取り組みだ。

森林は育てるのに50年といった時間がかかるが、間伐など手入れをせずにおくと木が伸び放題となり、荒れてしまう。一方で、手入れを持続するのはコストがかかる。つまり、個人所有では維持しにくい面がある。村内は私有林が7割近くを占めていた。

そこで「百年の森林構想」では、その手間を村が肩代わりするようにした。村が個人所有の森林を預かり、間伐などの管理を行う。そのかわり、森から出た間伐材は村内で製品化に使用し、売れた木材の収益は村と山主が折半するという仕組みだ。

こうすれば、50年、100年という樹齢の木々を維持しつつ、コストも抑えることができる。

西粟倉の森の多くを占めるのは、樹齢50年前後のスギやヒノキだ(撮影:宗石佳子)

村は約3000ヘクタールの個人所有林を契約目標面積に定め、2018年現在、その半分となる約1500ヘクタールまで契約にこぎつけた。

一方、牧さんもコンサルティングという外部の立場から、当事者の立場へと踏み出した。2009年秋、雇用対策協議会を通じて村に移住してきた人材とともに、間伐材の加工と流通を担う企業「西粟倉・森の学校」を設立した。

村内に加工工場を立ち上げると、割り箸や賃貸住宅向けのフローリング材など多様な商品を開発していった。今では社員30人、売り上げ年間3億3000万円の西粟倉を代表する企業に成長している。

置くだけで無垢のフローリングが完成するユカハリ・タイルは人気商品の一つ(撮影:宗石佳子)

「木薫」や「森の学校」のチャレンジが起点となり、若者の呼び込みや育成が少しずつ実を結び始めた。牧さんは、「地域に必要なビジネスを起こし、地域経済を盛り上げていくプレーヤー」たちを「ローカルベンチャー」と名付け、ネットやイベントの場で情報発信を始めた。西粟倉の地域メディア「ニシアワー」(現在は「through me」に名称変更)を立ち上げたのも、ちょうどその頃だ。

活気のある話題がさらに人を呼び、西粟倉村には次々と新しいビジネスが生まれていった。

木質バイオマス事業を担う「株式会社sonraku」(2014年創業)も、そんなローカルベンチャーの一つだ。木質バイオマスとは、木材に由来する再生可能な資源のことだ。現在は、間伐材の中でも市場評価の低い木材から薪を製造し、西粟倉村にある3つの温泉施設に供給を行っている。

薪は専用のラックに入れられ運ばれる(撮影:宗石佳子)

2015年からは、村内の温泉施設の一つである「元湯」の運営を託され、宿泊事業にも乗り出している。

元湯は子連れ出勤もできる。無垢床のラウンジには子どもたちの元気な声が響く(撮影:宗石佳子)

西粟倉村役場で再生可能エネルギー事業を担当する白籏佳三・産業観光課主幹が語る。

「木質バイオマスは、コスト的には化石燃料とさほど変わりません。でも、外から灯油を買って村外にお金を落とすのではなく、村の森林資源を使って地域内で経済を循環させることができる。そこに大きな意味があると思っています」

西粟倉村役場で再生可能エネルギー事業を担当する白籏佳三・産業観光課主幹(撮影:宗石佳子)

10年間で31社のローカルベンチャーが誕生

2018年現在、個人事業主を含めると、西粟倉村には31社のローカルベンチャーが誕生している。そのうち、西粟倉の地域資源を活用している事業者は15社、全体の2分の1を占める。中でも林業関連の売り上げは、2008年時点の約1億円から9年間で約8億円(2017年)と大幅な伸びを記録している。

数多くのローカルベンチャーが入居する旧・影石小学校(撮影:宗石佳子)

新たな雇用が増えていることで、人口減少にも歯止めがかかっている。

転入者数から転出者数を引いた2017年の社会増減数は25人の転入超過となった。西粟倉への移住者の多くは、田舎暮らしへの憧れではなく、挑戦者を受け入れる「攻める田舎」の雰囲気に引かれてやってくる。

隣接する美作市から4年前にUターン的に移住し、現在「元湯」の店長を務める安東勇人さん(30)は、偶然ネットで見かけた記事がきっかけになったと語る。

兵庫県で福祉の仕事をした後、故郷の美作市に戻り、隣村の西粟倉村に興味をもった安東勇人さん(撮影:宗石佳子)

大学進学を機に地元を出て、兵庫県で高齢者福祉に関する仕事をしていたが、自分の将来を見つめ直すため、25歳で実家に戻った。そこで地元周辺の仕事を探していたとき、西粟倉村の企業が求人を出しているのを見つけた。

「ネットで情報を集めると、西粟倉が『ローカルベンチャー』というユニークな取り組みで盛り上がっていることがわかってきた。それまでベンチャー企業は海外や都会だけにあるものだと思っていたので、すごく興味を引かれましたね」

前出のsonrakuで働く半田守さん(28)もネットの記事から西粟倉村にたどり着いた一人だ。半田さんは京都府の出身。埼玉県で3年間、会社員として働いた後、今年1月から西粟倉村に移住した。

京都府出身で移住してきた半田守さん(撮影:宗石佳子)

「前職ではイベント関連グッズの営業をしていましたが、不良在庫はすべて廃棄。もっと環境にやさしく、後世のためになる仕事はないかと情報を集めるうちに、木質バイオマスやsonrakuのことを知ったんです」

現在、Iターンによる移住者は約130人となり、村の人口1473人(2018年9月現在)の約9%を占める。西粟倉村役場の上山隆浩・地方創生特任参事は「とくに子育て世代の移住者が増えたことにより、子どもの数が増加している」と話す。

「年少人口(0〜14歳)の割合は、2005年に10.9%だったのに比べ、2015年には13.0%まで回復しました。また、村営住宅や単身者向けの村営シェアハウスを整備したことも、転入者の増加につながったとみています」

西粟倉村役場の上山隆浩・地方創生特任参事(撮影:宗石佳子)

子育て世代の増加を受け、村は保育園の改築に踏み切った。現在は約20人の園児が在籍している(撮影:宗石佳子)

こうした若手世代の転入という流れをさらに加速するため、村は起業支援事業にも力を入れる。2015年にスタートした「ローカルベンチャースクール」では、起業志望者に事業プラン作成サポートやメンタリングを行う。プランが採択され、村に拠点を移したベンチャーには、総務省の「地域おこし協力隊」の仕組みが適用され、最大3年間さまざまな支援を受けることができるという。

村民との温度差、短期的収益に課題も

「百年の森林構想」が始まって10年。今では「百森」の略称で呼ばれ、村民なら誰もが知る西粟倉村の共通ビジョンになった。

しかし、当初は先祖から受け継いだ森を村へ預けることに、抵抗感を覚える村民は少なくなかった。いきなり村に増え始めた「よそ者」たちへの目も厳しく、一部の村民から「木だけで食っていけるんか」と不満の声が上がることもあった。

「最初は、みんな『何しに来たのかわからへん』って言いよったね。反発というか、百森なんて誰も成功すると思わなかったでな」

西粟倉村で生まれ育ったという福島八郎さん(78)は、当時の様子を笑顔で振り返る。

「でも、今は誰もそういうこと言う人はおらんようになった。村や牧さんたちが頑張る姿を見て、村民も変わってきたな。よそモンって意識を、あまり持たんようになった」

ただ、投資から回収までのスパンが長い林業だけで地域経済を回すのは簡単ではない。地域の安定した発展のためには、短期で収益を生むビジネスモデルの構築も重要だ。

今、牧さんは新しい事業として、木質バイオマスを活用したうなぎの養殖、獣肉の加工などにも取り組んでいる。地域に埋もれた資源を活用し、地域経済の循環を少しずつ拡大させていくのが目標だ。

うなぎの養殖にも取り組む(撮影:宗石佳子)

近年、地域再生の成功例として注目されてきたが、ぼんやりとした期待と憧れだけで村に飛び込んでくる若者も目立つようになったと牧さんは言う。

「森も人も地域の未来を諦めたくない人たちの愛情が育むもの。すぐには育たない。ローカルベンチャー には、そんなふうに長い時間をかけて育ててもらう覚悟が常に問われている。僕はそう思っています」

(撮影:宗石佳子)


庄司里紗(しょうじ・りさ)
1974年、神奈川県生まれ。大学卒業後、ライターとしてインタビューを中心に雑誌、ウェブ、書籍等で執筆。2012~2015年の3年間、フィリピン・セブ島に滞在し、親子留学事業に従事する。明治大学サービス創新研究所客員研究員。公式サイト

写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[写真] 撮影:宗石佳子