現代技術の粋を極めた世界最長のつり橋・明石海峡大橋は、この春で開通から20周年を迎えた。神戸市垂水区と淡路市岩屋を結ぶ全長約3.9キロ。本州と結ばれたその淡路島は、イザナギ・イザナミの「国生み神話」の舞台とされ、実は「農民車」「嫁菓子」「だんご転がし」「牛寄せ」といった独特の風習の宝庫でもある。画一的な風景や習慣が増えた日本で、地元の兵庫県民にもあまり知られていない「ローカル遺産」があふれているのだ。節目の年にその様子をのぞいてみた。(神戸新聞社/Yahoo!ニュース 特集編集部)
島だけで活躍する「農民車」とは
淡路島の畑作地帯で注意深く目を凝らしていると、エンジンをむき出しにした作業車が目に入るかもしれない。車体も鉄骨がむき出し。これが「農民車」だ。ドアも屋根もない。しかも、どの農民車も前面の顔が異なっている。中古部品を寄せ集めたオーダーメードだからだ。
農民車の「起源」をたどると、ある鉄工所に行き着く。南あわじ市榎列(えなみ)の前田鉄工所。ここで働いていた前田定男さん(72)によると、国産トラクターが普及し始めた1962(昭和37)年ごろ、いとこに「トラクターを造れないか」と頼まれたのがきっかけだったという。
「トラクターこしらえる、いうのがならなんで(できなくて)、農民車になったんよ」
この鉄工所はかつて、船大工だった前田さんの兄が設立し、耕運機を造っていた。耕運機を製造していたものの、トラクターは難しい。見よう見まねで小型トラックのフロントに中古の農業用発動機を積み、木の荷台に荷車の車輪を取り付けた。できあがったのは、トラクターとは似て非なる運搬車両。これが島で爆発的なヒット商品になったのだという。
島一番の「はたらくくるま」
淡路島は日本有数のタマネギ産地である。水田の裏作として「じゅるい(ぬかるんだ)」農地で作付けされてきた。
ところが、当時の軽トラックではタマネギを山積みにすると、その重さで田んぼから出ることができない、という事態が再三起きた。重たいものを運ぶことにかけては、農民車の性能は軽トラックをはるかに上回っていた。
「畑を走るスーパーカー」こと農民車(80秒)
前田さんによると、農民車はその後、独特の進化を遂げる。ニーズに応じて四輪駆動化し、堆肥を運ぶため荷台にはダンプ機能を備えた。タマネギを小屋につるため、荷台にはさらにリフト機能も取り入れる。山間の狭い農地のためには、車長や車幅を切り詰め、リアエンジンで登坂力を高めた。
タマネギ農家は「淡路の鍛冶屋さんの知恵の固まり」と言う。最盛期には農民車の工場が島に10社以上あり、1980年代には推定1万台が稼働していた、との記録もある。
ただ、近年は農民車の出番も減ってきた。甘くて柔らかい淡路タマネギの人気にもかかわらず、作り手は高齢化し、減少。圃場整備や軽トラックの高性能化で、農民車の必要度は薄れてきたからだ。心臓部であるエンジンについても、自動車のハイテク化により、農民車に適した中古品の供給が不安視されている。
収穫から乾燥、出荷も機械化が進んだ。農民車とタマネギ小屋のある昔ながらの風景が見られるのも、今のうちかもしれない。
花嫁は「嫁菓子」とともに
淡路島には「嫁入り」にも伝統が残っている。
挙式の朝、自宅で白無垢(しろむく)の着付けを終えた花嫁は、新郎の家に向かう。「花嫁は縁側から夫の家に入る」しきたりにならって、掃き出し窓から仏壇の前へ。線香を供えると、庭に向かって腰掛ける。すると、待ち構えていた近所の人たちが歓声を上げ、シャッターを切る。
そこで配られるのが「嫁菓子」だ。新郎側が用意する数百個は、子どもたちの手の中にあっという間に収まっていく。
「嫁菓子」とは、なんだろうか。
「寿」と書かれた袋には、箱入りのポテトチップスや個別に包装されたパイなどが入っている。「花嫁菓子」の看板を掲げる洲本市の「まるみ堂」によると、「赤や黄色の華やかな包装の菓子を選ぶ」ことが多い。袋に入れる菓子の数は「割れない」ように、偶数は避けるという。
かつて、袋の中身は手焼きのせんべいやまんじゅうだった。それが市販品に変わっても、「嫁菓子」文化は途切れていない。「嫁入り」の時だけなく、披露宴の引き出物にしたり、職場で配ったりする人も珍しくない。
「嫁菓子」は淡路島以外に徳島県、京都府北部、名古屋市などでもみられ、駄菓子の詰め合わせのほか、手製のせんべいを包んだものもある。名古屋市では、餅まきのようにベランダから菓子をばらまく地域が今もあるという。
淡路島の婚礼では、漁師町を中心に、持ちきれないほどの引き出物を用意し、派手な披露宴が繰り広げられてきた。花嫁が人力車に乗って入場する演出もあった。「花嫁タクシー」もその一つだ。
「洲本観光タクシー」の黒塗り車両は、フロントに「寿」の銘板、バックシートに赤い布を敷き詰める。それだけではない。後部座席の天井が跳ね上がり、花嫁は綿帽子を崩さずに乗り降りができる。
縁起担ぎにもぬかりはない。タクシーの後退は厳禁で、北からの進入はご法度。狭い路地では対向車に道を譲ってもらうため、仲人はご祝儀を用意して同乗する。
近年は和装での挙式が人気を集めており、「花嫁タクシー」は神社から披露宴会場への移動にも使われる。「イザナギ・イザナミの国生み神話の舞台」とされる土地にふさわしく、神が婚姻を行った淡路島に伝わるブライダルのスタイルはまだ消えそうにない。
淡路島に残る「嫁入り」(68秒)
「だんご」を放って死者の霊を弔う
「三十五日法要」にも独特なものがある。
淡路島の中心に立つ先山(せんざん)は、「淡路富士」とも呼ばれる標高448メートルの霊峰だ。205段の急な石段を登り切ると、山頂には千光寺。ここで三十五日法要が営まれる時は、不思議な光景を目にするだろう。
境内に現れた何組もの喪服姿の人たちは、どの組も崖に向かって歩いて行くのだ。崖の端に着くと、くるりと背を向け、手から何かをポイッ。ある組は「せーの」の合図で一斉にポイッ。別の組は順々にポイッ。故人の霊を弔う儀礼でありながら、投げ方に厳格な決まりはないらしい。
これを「だんご転がし」という。その様子も動画で見てほしい。
おにぎりを放り投げる「だんご転がし」(63秒)
「だんご」と言うものの、放り投げるのはピンポン球くらいのおにぎりだ。ノリを巻いたり、具を入れたりはしない。おにぎりを投げ終えた人々は、閻魔大王らをまつる境内の「六角堂」へ移動し、別に用意したおにぎりを供える。
千光寺以外でも、島内各地の高い山で行われており、「高山参り」や「施餓鬼(せがき)」と呼ぶ人もいる。由来は、はっきりしない。千光寺住職の岡本宜照(ぎしょう)さん(83)は「民間信仰にルーツがあるのでは」と言う。
死者の霊が山を登る時、行く手を阻む悪霊の気を引くために食べ物を投げる――。この伝承がいつしか、仏教で閻魔大王の審判を受けるとされる死後三十五日目の法要に取り込まれ、餓鬼への施しで功徳を積む行為になったのでは、というわけだ。
「だんご転がしに何の効果があるんか、よう分からんけど、昔からのことやし」「やらんかったらやらんかったで、義理を欠く気がする」――。法要に参加した人たちも、由来はよく分かっていないらしい。この風習を子孫に引き継ごうと、ことさら意識しているわけでもなさそうだ。それでも、肉親が亡くなると、三十五日目には当たり前のように山に登り、おにぎりを投げて下りてくる。
本堂で「焼き肉」 牛の供養
人の供養がおにぎりならば、牛の供養は焼き肉かもしれない。
ブランド牛「神戸ビーフ」の供給源である淡路島。島の覚王寺では毎年4月28日、和牛の繁殖農家が子牛の健康を祈る「牛寄せ」が行われ、多くの牛が集まってくる。驚きのシーンは「その後」だ。
人々は本堂に上がり、しちりんをセットする。肉の脂に炎が上がり、香ばしい香りと白い煙が立ち込める。まさかの焼き肉パーティーだ。住職が「仏さんの前で、こんなん、ええんやろか」と苦笑いするほどの習わしだ。
それでも、牛飼い農家は「連れてきた牛とちゃうで。別に用意しとった肉やからな」「供養や、牛の供養や」と言い、ビールを飲みつつ、肉を口に運んでいく。その、いささか変わった習わしも動画にまとめた。
「牛寄せ」と境内での焼き肉(67秒)
「牛寄せ」の発祥は、江戸時代とされる。農耕牛がその対象で、稲作の本格シーズンを前に、家族同様だった牛の健康と安全を祈った。
ところが、1950年代になると、トラクターや自動車が普及し、農耕牛は次第に姿を消した。60年代後半からは人だけが参拝するようになった。時をほぼ同じくして、食肉用和牛の繁殖に乗り出す農家が増加。2001年に起こったBSE(牛海綿状脳症)問題で和牛農家が苦境に立たされると、その翌年から「健康な子牛が生まれるように」と、繁殖農家が和牛を連れてくるようになった。行事後の焼き肉が始まったのも同じ頃だという。
近年の和牛ブームによって、子牛の取引価格は高騰しているが、いつまでも続く保証はない。繁殖農家の後継者不足も、深刻さを増す。浮き沈みにほんろうされてきたある農家の男性は「みんなで集まるんは、ほんま幸せやけど、いつまで続くんかなあ」と話す。
古くから続く「牛寄せ」と、比較的新しいお寺本堂での「焼き肉」。こうした風習も、時代とは無縁でいられない。
明石海峡大橋の開通から20年で通行車両は累計2億台を超えた。島への観光客も増え続け、島から本州への通勤通学の利便性も向上した。一方でこの間、島の人口は2割近く減った。高齢化も著しい。こうした全国共通の悩みを抱えながら、淡路島の風習は静かに時を重ねている。
神戸新聞
1898(明治31)年に創刊した兵庫県の地元紙。神戸本社のほか東京、大阪、姫路、東播(加古川)の4支社と阪神、明石など7総局、23支局を置き、兵庫県全域をきめ細かくカバーしている。
電子版は「神戸新聞NEXT」。淡路島の様子をつづった「新五国風土記」の特集ページはこちら。https://www7.kobe-np.co.jp/blog/shin-gokoku/
【記事】神戸新聞報道部・田中真治、小川晶、金慶順
【写真】神戸新聞映像写真部・大山伸一郎、大森武、辰巳直之
※本文中の年齢はいずれも取材当時のものです。