任天堂の「ゲームキューブ」“20歳の誕生日”に思う 二人の偉大な社長
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任天堂の家庭用ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」がきょう9月14日、“20歳の誕生日”を迎えました。同社のゲーム機の中では、思うように売れなかったものの人気ソフトも多く、思い入れのある人もいるでしょう。ただ私の場合、二人の偉大な社長のことが頭をよぎるのです。
◇「任天堂の次の社長は誰?」 ノーマークだった後任
その二人とは、今は亡き山内溥さん(在任1949~2002年)と岩田聡さん(2002~2015年)です。
ゲームキューブが発売された8カ月後の2002年5月、任天堂の社長交代が発表されました。知名度抜群の企業で、さらに半世紀ぶりのトップ交代だけに大変な注目を集めました。そして交代発表後、山内さんと岩田さんがそろって出席した会見が今でも強く印象に残っています。
当時、経済系の記者の間で盛り上がっていた予想合戦は、ソニーと任天堂のゲーム機競争より、「任天堂の次の社長は誰?」だったかもしれません。先輩記者から上記の質問をされたとき、困り果てたものです。
メディアが当初本命視したのは、米任天堂の社長で、山内さんの女婿だった荒川實さんでした。しかし2000年に任天堂の取締役を辞任すると、予想は割れました。他の経営陣や山内さんの親族が候補に挙がりつつも、決め手に欠けたのです。もちろん、岩田さんはノーマークでした。
それだけに四十代の若き社長の誕生……岩田さんの抜擢(ばってき)への驚きは、当時の新聞の見出しから伝わってきます。
任天堂、42歳新社長 岩田聡取締役が昇格(読売新聞)
任天堂・山内溥社長が退任、在任53年 後任に42歳、岩田聡氏(朝日新聞)
任天堂社長に42歳・岩田聡氏-在任53年の山内溥氏は相談役に(毎日新聞)
任天堂 山内社長退任へ 在任52年 後任、42歳・岩田氏(産経新聞、原文ママ)
さらに言えば、新社長の経歴紹介、今後の経営体制を解説した記事も出ました。岩田さんが、かつて任天堂の支援を受けてゲーム会社(ハル研究所)の経営再建に携わったこと。2年前に任天堂の経営企画室長に就任したばかりだったことなどです。
社長就任発表直後の会見では、山内さんと岩田さんが並んで着席し、社長へのバトンタッチを強調していました。また、山内さんは自身の発言を抑え気味にし、岩田さんに任せようとする配慮も感じました。
◇「世の中の動きと逆を行く」という哲学
二人の社長には、今振り返っても学ぶところがあるのではないでしょうか。山内さんが出席した社長交代の会見も、一言一言が重みを感じさせるものでした。
--五十二年間を振り返っての思い出を。
「倒産の危機も経験して、借金をすることがいかに惨めなことか痛切に感じた。借金をしないことだけは、集団指導体制になっても申し送りたい」
--山内家の人がトップに立つ可能性は。
「そうしたいが、会社が大事だ。それで経営がおかしくなったら困る。山内家の人間が私の生きている間に任天堂の経営を担うことはないと思う」
任天堂・山内溥社長退任 ワンマンから転換 後継選び難航、集団指導体制へ(読売新聞朝刊 2002年5月25日)
任天堂といえば、ゲーム機での成功がクローズアップされますが、挑戦ゆえの失敗もありました。山内さんは22歳で会社を継ぎ、花札やトランプ需要の激減、玩具の展開でもヒット作を生み出しながらも苦労しました。倒産の危機を乗り越え、そしてテレビゲーム事業に賭けて軌道に乗せて、売上高5000億円の企業に成長させたのです。
よく山内さんを表現する言葉として「ワンマン」とした記事がありましたが、つまるところ、経営者は孤独であり、責任を背負い続けたことを意味します。時代的にもそうなのかもしれませんが、孤独の苦労を知っているがゆえに「集団指導体制」にして、後継者への負担を軽くしようとしたのではないでしょうか。
その中でも、他者がなかなか真似できないのが、その後継者の選定でしょう。創業家の3代目で、候補の親族がいながら、能力優先で途中入社2年目の取締役を選んだ“眼力”と、実行に移す決断力です。交代当初は、若き社長の抜擢を「山内さんの院政」という見方もありましたが、その声は自然と消えました。実績を見ればそうなるのです。
何せ山内さんが選んだ若き後継者は、ゲーム業界を一変させる独創的な商品を世に送り出し、7年後には同社の売上高を3倍以上の1兆8000億円にするのです。ドラマのネタにもなりそうな話です。
そして岩田さんは、社長就任半年後の2003年、こんな言葉を残しています。
「世の中の動きと逆を行く」といった山内氏が築いたユニークな経営哲学を伝えるのが役目と思っており、世界中を飛び回って現場とのコミュニケーションを取っている。
任天堂社長、岩田聡氏に聞く 今後の戦略は(毎日新聞朝刊、2003年1月13日)
「世の中の動きと逆を行く」ですが、実行して成功させるのは困難を極めます。ニンテンドーDSを発売した直後の2005年1月の取材で、こんなことも言っています。
--従来の高機能路線を変えることに社内の抵抗はありませんでしたか。
◆革新とは、リスクを取って新しいことをすることだから、ある瞬間は必ず摩擦が起きる。ただ、その段階を任天堂は乗り越えた。
--ゲームが売れなくなったのは、作り手がお客さんの目線に立たなくなったからですか。
◆お客さんを十分に観察できなかった。大声で熱狂してくれるお客さんだけを見て、黙って立ち去っていったお客さんに鈍感だったのではないか。
挑む’05:若手経営者のメッセージ/4 岩田聡・任天堂社長 ◇成功法則、破壊せよ--強み生かす優先順位設定を(毎日新聞朝刊 2005年1月7日)
この段階では、ニンテンドーDSが社会現象となる前の話。Wiiもまだ発売されていません。同時に、やはり任天堂でも新しい挑戦に対する摩擦があったと明かしているわけです。大きな成功体験があるだけに、従来路線を否定して、社内の意思統一を図るのは大変だったでしょう。
もちろん、未来をすべて見通したわけではないでしょう。それでも目に見えない消費者の欲求を見抜き、社会現象を何度も起こす商品を世に送り出し、業績に反映させたという意味では、常人の及ぶところではありません。
ゲームキューブを見るたびに、失敗にもひるまず見事な“逆転劇”を成し遂げたこと、そして見事な社長のバトンタッチを見せた二人の顔が浮かび上がるのです。そして、二人から学ぶべきことがあるのではないか……と考えてしまうのです。