83歳のボディビルダーは「年間350日はジム」 きっかけは「仕事中の指2本切断の怪我」だった
「定年直前、仕事中に指を2本切断する怪我を負い、握力を取り戻すためのリハビリでトレーニングを始めたのが、ボディビル道を進むきっかけでした」 【写真】杉尾忠選手の肉体 衝撃的な話と共に自身の歴史を振り返る杉尾 忠(すぎお・ただし/83)選手。香川県丸亀市の在住で、初めて大会に出場したのは66歳のときだ。今なお現役選手として活躍しており、今年の9月に福岡県で開催された『JBBF日本マスターズ選手権大会』(以下、日本マスターズ)の男子ボディビル80歳以上級では3位の成績を収めている。
当時、クレーン車の運転手だった杉尾選手は運動不足によりぽっちゃり体型だった。ウォーキングはしていたものの体型は変わらず。冒頭にも述べた事故によるリハビリで、全身のトレーニングをするようになり、身体が引き締まっていったのだという。 「小柄で指がないというハンデはありましたが、若いジム仲間からパワーグリップを教えてもらい、工夫してトレーニングに励みました。当時はYouTubeなど普及していなかったので、『月刊ボディビルディング』がトレーニングの参考書。身体に合わせたトレーニングを自分なりに考えてやっていました」 退職後、トレーニングに熱中していった杉尾選手が初めて大会に出場したのは、2007年(当時66歳)の香川県ボディビル選手権大会。今でも「1年のうち350日くらいはジムに行っていますよ」と、熱中度は今でも冷めていないようだ。 8時半~11時ごろまでが杉尾選手のトレーニング時間。合間にジム仲間とのおしゃべりを楽しみつつ筋トレに励む。部位ごとに分け、昔読んだ本の知識をベースにして自分の身体に合わせたフォームで行うそう。特に自慢なのが「脚のキレ」とのことで、週に2回、前と後ろで分けている。必須種目はフリーウエイトのスクワットだ。 SNSが普及した今ではYouTubeなどの動画も参考にすることはあるものの、「年齢や力の出力度合いも違うから、鵜呑みにするのではなく考えてやらないと」と話す杉尾選手。 「今は重量も落ちてしまいましたが、80kgでセットを組んでいます。ボディビルは重さを競うものでもありませんし、年齢も考慮して四頭筋に効いているか確認しながら行っていますね。しっかりしゃがんで力を食い止める(耐える)ことを意識しています」 実は2016年に左肩を痛めたことが原因で人工関節の手術を行っており、翌年は大会出場を断念。筋力も失われたもののコツコツとトレーニングを重ね、3年後の2019年日本マスターズの75歳以上の部で優勝。2008年に初タイトルを飾った日本マスターズから通算4度目の優勝で、見事な復活劇である。「ボディビルは生涯の趣味だ」と話す杉尾選手に目標について伺うと力強い声でこう答えてくれた。 「平均寿命と健康寿命は違います。トレーニングで身体を動かして、ジムで若い人たちを会話して。頭も身体も柔軟に、を心がけています。その上で、もう一度全国優勝を目指したいですね。83歳となった今でも、現役選手であることには変わりないので」
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材・文:小笠拡子 撮影:中島康介