「生きられなかった時間を私が一生懸命生きて…」能登半島地震で妻と子ども3人失った男性 日が経つごとに増す悲しみ
北陸放送
能登半島地震で亡くなった人はこれまでに240人確認されています。珠洲警察署に勤務する大間圭介さんは、元日の地震で最愛の妻と子ども3人を失いました。 【写真を見る】「生きられなかった時間を私が一生懸命生きて…」能登半島地震で妻と子ども3人失った男性 日が経つごとに増す悲しみ ■元日を襲った揺れ 最後の会話は 1月1日、珠洲市にある妻・はる香さんの実家に帰省していた大間さんたちを襲った大きな揺れ。 大間泰介さん 「子どもたちがみんな集まってきたので、大丈夫だよという感じで言ってあげて、そのあとお父さんお仕事行かなくちゃいけないからというのが最後の会話」 大間さんが周辺の警戒にあたるため、家を出た時、地震の影響で起きた土砂崩れに住宅は飲み込まれました。家族4人が発見されたのは数日たった後でした。 ■家族を襲った2度の揺れ 「珠洲に帰りたくない」という思いも 大間圭介さん 「帰省中、去年の5月にも大きい地震にあっていて。それ以降やっぱり子どもも地震を非常に怖がっていたというのもあって、それが原因で「珠洲に帰りたくない」という話もあった。何でこんなタイミングで起きるのかなって」 今はもう帰るのも辛くなってしまった故郷。 葬儀を終え、大間さんは金沢市内の自宅で1人過ごしています。 大間圭介さん 「今外出するときは大体この写真をかばんの中に入れて、どこへ行くときも一緒に連れて行っています。これを見て1人でご飯食べていると、いないんだ。みんないないんだなと思って。何か辛くなるんですけど、辛くなるとずらして食べているが、楽しい思い出もいっぱいあったので、みんな見ながら一緒にご飯とかこれからも食べたいなと思って」 ■思い出の多く残る部屋 伝えたい思い 家族との思い出が多く残る家の中、思い出すたびに悲しみは増していきます。 大間圭介さん 「単身赴任していたのもあって、去年妻がだいぶ疲れたりしていた時に、長男がお皿洗いしてくれたりとか、洗濯、洗濯物とか畳んでくれたり、お風呂掃除してくれたり。洗濯もやり方わからなかったらLINEで電話してきてくれて、『お父さんどうやって洗濯機回すの』って。妻と自分もそうですし、兄弟のことも本当に誰よりも思ってくれてました」 「自分が帰ってきたら100点取ったよと見せてくれて、自分もこういうの見て、頑張っているなといって、お母さんに内緒で買ってあげたり、「内緒やぞー」と言って。そういう思い出はある」