軍事クーデターで祖国に帰れず...日本で働くこともできず「私自身の存在感が無くなっている気がする」難民認定を求めたミャンマー人女性の3年 願いは“家族に会いたい”
2016年にミャンマーから日本へ留学に来た女性。来日からしばらくしてコロナ禍に。そこに重なったのが祖国の軍事クーデターです。そんな中で難民申請をしましたが、日本の出入国在留管理庁の厳しい現状に直面しました。働くこともできず、祖国に帰ることもできない、彼女の3年間を取材しました。 【写真で見る】アウン・サン・スー・チー氏率いる「国民民主連盟」の幹部だったマーさんの祖父
クーデターから3年、ミャンマーの民主化を求めて、大阪の街頭で訴えるミャンマー人たち。 (街頭で訴えるミャンマー人たち)「ミャンマー国軍との戦いに勝つぞ!」 その中にいたプィン・マー・ピューさん、34歳。祖国に帰ることはできません。 (プィン・マー・ピューさん)「私が思う民主主義は、表現の自由、行動の自由があることだと思います。いまミャンマーには民主主義が存在しません」 3年前、人生は一変しました。2021年2月、国軍によるクーデターが起こったミャンマー。ミャンマー国軍は民主化を求める市民に容赦なく銃を向けました。これまでに4400人以上が殺され、2万5000人以上が拘束されたといいます(政治犯支援協会AAPP調べ)。
留学で日本へ 帰国を考えるも“国軍が自分を探している”と知り…
突然のクーデターで祖国へ帰れなくなった若者たち。3年前の2021年4月、支援者のアウン・ミャッ・ウィンさん(49)を訪ねるマーさん。 (ウィンさん)「お茶とチャーハンちょっとだけ食べて」 (マーさん)「おいしい。ありがとうございます」 マーさんの祖父であるングウェ・フラインさんは、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟「NLD」の幹部でした。祖父は国軍に何度も拘束されたうえ、体調を崩して亡くなります。 マーさんはミャンマーの大学で法律を学びながら国軍に抵抗して民主化運動に参加していました。2016年に日本に留学。ところが、コロナ禍でアルバイトができず、学費の支払いが滞ることに。ついに留学生ビザが失効して不法滞在の状態になりました。仕方なく帰国を考えていた時、ミャンマー国軍がマーさんを探しているという情報が入ります。 (プィン・マー・ピューさん)「日本に来たのはある意味(国軍の迫害から)逃れて来たかたちなので、私はずっと日本に住むつもりはなくて、いつかミャンマーに帰るつもりだった。ただ帰ろうとした時に母から連絡があって、実家に警察や区役所、国軍が来て『娘がどこにいるのか』と聞かれたので、母から『帰ってきたら危険だ』と言われた」