1年夏の甲子園で西川遥輝は骨折しながら強行出場 放った大ファウルに末恐ろしい才能を感じた
相手右腕が投じた内角低めの球に、バットを体に巻きつけるように出し、インパクトのあとは伸びやかなフォロースルー。美しいフォームから放たれた打球は、大きな弧を描きライトスタンド中段へ......と、呆気にとられながら打球を追ったが、わずかにポールの右を通過しファウル。この華奢な体で、ケガを抱えながら、しかも1年夏の甲子園で......体のパワーではなく、技術で飛ばした西川のバッティングにひと目惚れした。 この試合、西川は"幻の一発"にとどまらず、あとの打席が見事だった。2打席目は木更津総合戦同様、絶妙なセーフティーバントを決め、2対13と敗色濃厚だった8回表の第4打席ではセンターオーバーの三塁打。右投手の力のある外角高めのストレートをバットのヘッドが立ったスイングから強烈に弾き返し、ライナーでセンターの上を超えていった。 さらにこの一打から智辯和歌山が4点を返し、めぐってきた9回の第5打席。今度は左腕のスライダーを左中間へ2打席連続の三塁打。しっかりと左腰を残し、ライナーで返したこの打球も見事だった。 試合は、智辯和歌山が8回、9回で8点を返し10対13まで追い上げたが、反撃及ばす敗戦。試合後、私の頭のなかは西川のことでいっぱいになっていた。 それからの2年、どこまで成長するのか期待していたが、順調な高校生活が待っていたわけではなかった。 2年時も6月の練習試合で、今度は左手の舟状骨を亀裂骨折。「3番・ライト」で戻ってきた2度目の甲子園もテーピングを巻き、特殊サポーターをはめながら3試合を戦い、12打数4安打。 3年時は春夏通算3試合に出場し、11打数2安打。初めて万全の体調で臨んだ3度目の夏はノーヒットに終わり、チームも初戦敗退。ここで西川の高校野球生活は終わった。 3年になってからは、NPBのスカウトと西川についての話をしたが、評価は総じて辛かった。感触としては、ドラフト中位あたりの指名が濃厚で、「伸びていない」「もっと打撃でアピールしてくれないと」と厳しい声が飛んだ。