「魂の温度が違う」町田康の言葉はどこから生まれるのか?初の歌集『くるぶし』を穂村弘が読み解く
---------- 町田康さん初の歌集『くるぶし』(COTOGOTOBOOKS)が話題です。全352首書き下ろしとなる本作は、そのボリュームにもかかわらず圧倒的なスピード感をもって読者をさらってしまいます。そんな一冊を、歌人・穂村弘さんはどう読み解くのか。お二人が語り合いました。(紀伊國屋書店新宿本店にて開催されたトークイベントを再編集してお届けします。構成:木村綾子) ----------
穂村弘が緊張して読んだ『くるぶし』
穂村 こんな日が来るとはという感じですね。町田康の歌集が突然、本当に突然出てとてもびっくりしました。僕にとって町田康は特別な人っていうイメージで、魂の温度が違う。その町田さんの短歌ということで緊張しながら読みましたけど、やっぱりものすごく町田さんでしたね。そのことに驚きながら納得するというか、納得しながら驚くというか。ただ、今回は自分が関わってきた短歌だから、少しだけその秘密というか、なにをやっても強烈に町田康だということの意味をわかろうとしながら読んだんです。 町田 ありがとうございます。穂村さんとは小説の選考会なんかでお会いすると、古今東西のいろんな作品を引きながら「この文章はこっから響いてんのちゃう?」みたいな読み方をされてとても刺激的なんですけど、「僕は小説を書いてないんで」と非常に謙虚な姿勢でもあるというか。でも今日はですね、そういう謙虚さをいっさいかなぐり捨てていただいて、逆に僕のほうがどこまでボコボコにされるかビビりながら来たんですけど、どうかお手柔らかにお願いします。 穂村 『くるぶし』、まず短歌としては破格ですよね。破格ってめちゃくちゃなイメージがあるけど実は逆というか、その本質はなにかって考えると、町田さんはものすごく心のルールに厳密な人だってことを短歌を見て思ったのね。それに関して、「語彙」と「内在律」という言葉を使ってちょっと喋りたいんだけど。 町田 お願いします。 穂村 まず宮沢賢治の短歌を参照したいんだけど、ひとつは、〈「青空の脚」といふもの ふと過ぎたり かなしからずや 青ぞらの脚〉という歌。宮沢賢治も天才で怪物で、何をやっても宮沢賢治っていう人ですよね。「青空の脚」がどんなものかはわからないけど、宮沢賢治の特別な感度でこれをキャッチして、なにかが幻視されたことがわかる。僕らが知ってる宮沢賢治の詩集や童話であれば、そこから「青空の脚」が展開されてビリビリ伝わってくるんだけど、これは短歌だから、降り技だけの鉄棒競技みたいなものなんです。くるくる回ったりする時間がなくていきなりフィニッシュ。〈「青空の脚」といふもの ふと過ぎたり〉の時点でもう降り技の準備にかからなきゃならなくて、〈かなしからずや 青ぞらの脚〉と着地を決めてしまう。 町田 ほんまだったらその間があるんちゃうか、と。 穂村 ええ、その先かもしれないし。問題は〈かなしからずや〉ですよね。これは賢治の声じゃない。韻文の決まり文句というのか、短歌の声なんだよね。本当は「青空の脚」というビリビリするほど素晴らしいものを感じてるのに、着地するために形式に譲歩して、短歌の声を採用してしまった。 町田 それは例えば浪花節でいうたら「ああんあん、あんあんあんあん~」みたいなもんなんですかね? 穂村 そう。でも『くるぶし』ではこの逆のことが起きていて、たとえば阿倍仲麻呂の〈天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも〉という歌の本歌取りがあるんだけど、どういう歌かというと、〈天の原ふりさけみれば春日なるアンガス牛に出でし月かも〉。 町田 これ歌集の最後、掉尾ですからね(笑)。 穂村 これってさ、町田さんが書いたとこって〈アンガス牛〉だけ(笑)。 町田 はははは。 穂村 宮沢賢治の場合〈かなしからずや〉以外はオリジナリティで書いてるのに、これをやったために短歌に吸収されてしまった。でも町田さんの場合、これは本歌取りとは言えないほどの──本歌取りって普通は五七五七七の二句までって暗黙のルールがあるんだけど、たった一語をアンガス牛にしただけで短歌感が跡形もなく消滅して、急激に町田康の声になる。 町田 ええ。 穂村 なんでこんなことができるのか。まず〈アンガス牛〉がたまらなく町田さんですよね。つまりひとつは、語彙の問題。もうひとつは、そもそもなんでこの歌を選んで、しかも四句目に〈アンガス牛〉を差し込もうかと思ったのかという、選択の問題。これを僕は「内在律」っていうふうに思ったんだけど、グルーヴというのかうねりというのか、町田さんの中にいつも厳密ななにかが流れていて、それとシンクロするものを見つめている姿勢があって、こうして言葉にされるとそれが可視化されてやっと我々にわかるようになる。この歌集には他にも、土民、外人、豚、鍋、うどん、ボンジリ、尻子玉、言うて買うて吸うて、みたいな言葉が何回も出てくる。世の趨勢はいまや「外人」ではなくて「外国人」なんだけど、町田さんは「外人」でいくわけですよね。 町田 ええ。語彙がわかりやすいというのは確かにそうだと思います。内在律っていうのは、ちょっと簡単には説明できない複雑ななにかがあるのではないか、と。ただこれ、「破格の歌」という烙印をいま押されたんですけど、破格なんかな? って僕は思うんですよね。