【鈴木亜美】42歳、私が選んだ今とこれから。「それでいいんだよ、間違ってなかったよ」と、あの頃の私へ言ってあげたい。
デビューが決まった途端、ものすごいプレッシャーと戦う日々
オーディションの最終電話投票審査で1位に選ばれたあとにプロデューサーが小室さんだとわかった時は、小室ファミリーの曲が好きでずっと聴いてきたからこそ「私も絶対に売れなきゃダメなんだ」っていう、ものすごいプレッシャーが襲いかかってきました。だから、これからは大人たちの言うことをちゃんと聞いて、頑張らなきゃいけないんだって。そして始まったのが、徹底した“鈴木亜美”のイメージづくり。衣装は、可愛いワンピースにぺたんこのサンダル。普段もどこで誰が見ているかわからないからという理由で、自分でメイクやネイルをすることもアクセサリーをつけることも禁止されていたんです。世の中はギャルブーム全盛期で、友達はみんな濃いアイメイクをして髪を染めていたので、「もっとおしゃれしたいな」と「私は仕事に生きるんだ」っていう気持ちの間で葛藤しながら、プレッシャーと戦っていました。 そんな日々を過ごしながらデビュー1年後にリリースした『BE TOGETHER』で初めてオリコン初登場1位になった時は、「やった!」よりも「よかった……」っていうホッとした気持ちのほうが大きかったですね。お母さんとは「学生生活をちゃんと終えてから仕事に専念する」っていう約束をしていたので、仕事を始めてからも学校には毎日行って、テストも受けていました。仕事と学校の両立は大変だったけど、テレビをつければ自分が歌っていて、コンビニに行けば自分が表紙の雑誌が並んでいる。すごいことを経験させてもらっているんだなっていう自覚は常にあったから、走り続けることができたのかなと思います。それに、自分の置かれている立場をどこか冷静に客観視していたところがあって、「今の状況は持って3年くらいかな」と感じていたので、たくさんの人が自分のことを見てくれている期間はやるべきことをやりきろうって決めていたんです。
20代は、やりたいことをこれでもかっていうくらいやりつくせばいい
求められたものに応えることに必死だった10代を経て、20代はそれまでプロデュースしてもらっていたものを全部自分でやりたいという自我が芽生えた時期でした。思い描いたものを形にして届ける作業は本当に大変だったけど、そのぶんすごく楽しかったんですよね。新たにダンスミュージックに挑戦し始めて、曲をプロデュースしてもらった中田ヤスタカくんのイベントにシークレットゲストとして参加したことも。そこで、彼のDJ姿を見て、めちゃくちゃカッコいいと思ったことは20代の大きな転機でした。私もあんなふうに自分で自分の曲を流してプロモーションしたい。そうビビッときて、知り合いの方にレッスンをしてもらって、最終的には自分で女の子のDJを集めてプロデュースしたイベントをアジアやロサンゼルスでも開催できるようになっていきました。 20代は、仕事で自分と周りの同年代を比べてモヤモヤしたり、悩みがあったりして当たり前。でも、30代に入ると一気に年下が増えてきて、おのずと教える立場になるんです。全員が全員そうではないと思うけど、私の場合は急にお母さんやお姉さんになった気分で、若い子たちを「可愛いな~」「おしゃれだな~」って認められるようになると同時に、人として丸くなっていったんですよね。30代は、絶対ラクになる。だから、20代のうちはやりたいことをこれでもかっていうくらいやりつくせばいいと思います。