【能登半島地震】馳知事は「ボランティアを控えるように」と言ってひんしゅくを買っただけ、飯田高校の出願者は半減…地元写真館オーナーが語る「珠洲市のいま」
水道管はめちゃくちゃ
坂さんに「ぜひ見てきてくださいよ」と言われ、津波で壊滅された海沿いの宝立(ほうりゅう)地区へ向かった。住めるような家はまったく見当たらなかった。地震発生から1カ月半以上経っているが宝立中小学校の避難所には200人以上が暮らしている。いまだに水は出ない。 被災者が次々と水を汲みに来る大きなタンクの番をしていた男性は、愛知県の水道局から応援に来ているという。「水道管があまりにも古く、耐震補強もされていない。土中で滅茶苦茶に割れていて、全く復旧の目途が立ちません」と途方に暮れる。 何もかもが国から後回しにされてきたのだ。 東日本大震災の取材でも似た部分は感じたが、確かに石川県の人は忍耐強くおとなしい。「無策」の行政はそれに乗じているのか。珠洲市には坂さんのような人が絶対に必要なのだ。大いに声を上げてほしい。株価がバブル期の最高値を記録したなどと世間は浮かれているが、そんなことより能登半島の被災者が大事なはずだ。同世代のライターとして坂さんの拡声器になりたい。 粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「瓦礫の中の群像―阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声」(東京経済)、「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。 デイリー新潮編集部
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