世界で初めて憲法に「中絶の権利」明記 フランス
「私の身体、私の選択」
しかし、男友達にレイプされて妊娠し、中絶した少女と、手助けした母親らが裁かれたボビニー裁判(1972年)が大きな反響を呼び、中絶の合法化へと道を開くことになる。 75年、シモーヌ・ヴェイユ厚生大臣は、中絶を合法化するヴェイユ法を成立させた。その後、中絶が健康保険の適用対象となり(81年)、匿名での中絶が可能となり(2003年)、中絶可能な週数を14週(最終月経後16週)に延長(22年)など、制度の充実が進んだ。 中絶をめぐる法改正は、「プランニング・ファミリアル」をはじめとする女性団体の粘り強い運動の成果であり、フェミニスト官僚と呼ばれる女性官僚、女性運動から政治の世界に入った女性議員たち、そして女性差別を問題視する男性議員たちの努力の結果と言える。 日本では、中絶は母体保護法が定める範囲内で実施可能ではあるが、「本人及び配偶者の同意」を原則とする。このため、思わぬ妊娠で中絶しようとしてもパートナーの同意がないとして病院で拒否され、新生児遺棄で逮捕される女性が出ている。また、そもそも10万円を超える中絶費用は、学生や非正規労働に従事する女性にとってはすぐに用意するのは難しく、実質的な障壁となる。 「国境なき医師団」で活動した医師であるクロード・マルレ仏上院議員は、中絶が非合法の国で活動したときに新生児遺棄の疑いで連れてこられた少女が刑罰に脅えていた出来事を両院合同会議で語ったが、堕胎罪が残る我が国においては他人事ではない。 性と生殖に関する自己決定は、女性が主体的に生きるうえで必要である。「私の身体、私の選択(Mon corps, mon choix!)」というフェミニストたちの簡潔な言葉は、女性が平等な市民であることを求め、女性差別の撲滅を目指すスローガンなのである。