【特集】平原綾香さんが歌う「ジュピター」 ラジオの音楽で被災者を勇気づけたコミュニティFMはいま 中越地震20年 《新潟》
◆「被災者の気持ちに変化を感じた」
当時、FMながおかの放送局長を務めていた脇屋雄介社長です。 〈FMながおか 脇屋雄介 社長〉 「市役所の壁に貼ってあるメモ用紙を読んでいいと。被害状況をメモを読みながら生放送を全部やりました」 震災の直後から放送を続けるなか時間が経つにつれ、リスナーである被災者の気持ちに変化を感じていました。 〈FMながおか 脇屋雄介 社長〉 「災害だからということで元気な音楽はやめようと、例えばクラシックだとかそういうのを流し続けたんですよ。そうしたら日数が経ってくるうちにもっと元気になる音楽をお願いしたいということでリクエストの中身も変わってきました」 その時、多くのリクエストが寄せられたのが平原綾香さんの「ジュピター」でした。 〈FMながおか 脇屋雄介 社長〉 「ジュピターですね。災害のとき(リクエストが)ものすごかったです」 〈平原綾香さん〉 「デビューしたばかりだったのでどんな人が聞いてくださっているのかとかデビューしても実感がなかったんですけど、新潟の皆さんが聞いてくださっているのを聞いたときに初めてやっと実感がもてたというか」
◆復興半ばの被災地を勇気づけた楽曲に“ふるさと”
長岡花火でフェニックスが打ち上げられたのは震災の翌年、2005年。 平原さんも訪れジュピターを熱唱し復興半ばの被災地を勇気づけました。 〈平原綾香さん〉 自分が歌う意味を教えてくださったのが震災で傷ついたみなさんだったんですね。ジュピターという楽曲にふるさとができた気がして」 ラジオ局からの信号で受信機のスイッチが自動的に入り防災情報を伝えるもので、2006年、全国で初めて長岡市で導入されました。 いまでは全世帯に設置する自治体もあるなど全国に広がっています。 〈FMながおか 脇屋雄介 社長〉 「全国の放送局とはまた別な市町村単位がこのコミュニティFM放送なので市町村単位だからこそ、その内側に対しての放送ができる。広域と違った強みが災害時に放送で力になったんじゃないか」 復興祈願花火フェニックスのテーマ曲、「ジュピター」。 平原さんにとっても特別な曲だといいます。 〈平原綾香さん〉 「フェニックス花火も20年ということで、私も共に歩んでいる感覚がありますし、いまだに続いているからこそ私も続けて歌をこれからも歌っていきたいと思っていますし」 ジュピターを通じてつながった平原さんと長岡……中越地震から10年となる2014年には再び花火会場を訪れ歌声を披露してくれました。 そして震災から20年の節目となった10月23日にも長岡市を訪れました。 〈平原綾香さん〉 「切っても切れないご縁なので自分は東京出身ですけど新潟がふるさとだと思っているので引き続き共に歩んでいけたらいいなと思っています」 あの日、ラジオから流れてきたジュピター。 その歌詞に……その歌声に多くの人が勇気づけられ、復興のシンボルとなりました。