『どうする家康』関ヶ原の戦いにおける正義と不義を考える 岡田准一主演『関ヶ原』で予習
11月5日の『どうする家康』において、関ヶ原の戦いの第1ラウンド、伏見城の戦いが描かれた。石田三成(中村七之助)の軍勢に攻め込まれ、忠臣・鳥居元忠(音尾琢真)は討ち死にする。 【写真】『どうする家康』の“ベスト夫婦”だった音尾琢真×古川琴音 この戦いは、関ヶ原を描く数多の物語で取り上げられてきたエピソードである。徳川の未来のために殉死するかのような元忠の姿は、悲愴ながらもヒロイックだ。 ましてや今回の元忠は、愛する千代(古川琴音)が一緒に死んでくれたのである。過去最高に幸せな鳥居元忠ではないか。 この2人を見ていると、昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』における和田義盛(横田栄司)と巴御前(秋元才加)を思い出す。どちらも、コワモテだが心優しい侍と、元は敵方の女戦士のカップルという図式である。『鎌倉殿の13人』の際は、共に戦って死ぬことを望んだ巴を、和田殿は生かした。逃げる巴の「我こそは、忠臣・和田義盛の妻、巴なるぞ!」の名乗り、そしてその後の咆哮。今思い出しても、涙が出そうな名シーンだ。 一方、今作の元忠は、千代が共に死ぬことを許した。「お前には生きてほしい……」「お前様が生きるならな」のシーンも、やはり今思い出しても涙が出る。 愛する者に生かされた巴と、愛する者と共に死んだ千代。どちらが幸せだったのかは、筆者にはわからない。ただ、和田殿の気持ちと元忠の気持ちは、両方理解できる。 だが感傷に浸っている暇はない。11月12日の放送において、ついに徳川家康(松本潤)と石田三成が激突する。関ヶ原の戦い・本戦である。 できることなら激突しないでほしかった。だって、昔はあんなに仲良しだったのだから。そもそも、初対面であんなに意気投合したのはなぜか。 それはおそらく、2人とも“非・体育会系”だったからだ。 「武家社会」というゴリゴリの体育会系価値観の世界に生きながらも、どちらも“文科系寄り”の、争いを好まないイメージだ。それは、お互いの旗印からもわかる。家康の「厭離穢土欣求浄土(汚れたこの世を浄土にする)」も、三成の「大一大万大吉(一人は万民のため、万民は一人のため、これにより天下を大吉とする)」も、根底にある理念は“民の平和”である。 織田軍や武田軍という「体育会系強豪校」みたいなチームに翻弄され続けてきた家康と、福島正則や加藤清正という「ガチムチで脳筋」なチームメイトと衝突し続けてきた三成。きっと同じ匂いがしたのだろう。後に家康が天下を統一した後ならば、2人は親友になれていたのではないか。共に書を読み、星を眺め、酒を酌み交わしていたのではないか。皮肉である。つくづく、タイミングって大事だ。 できることなら小牧・長久手の戦いのように、「勝敗はつくけどどちらも死なない」という結末に持っていけないものだろうか。そんな、史実を無視した無茶な願いを抱いてしまう。 本作と同じ古沢良太脚本の映画『レジェンド&バタフライ』では、本能寺の変において、死の間際の織田信長(木村拓哉)が夢を見る。本能寺を脱出し、濃姫(綾瀬はるか)を連れて南蛮に渡る夢を。結局、信長も濃姫も死んでしまうわけだが、この夢が“救い”となり、爽やかな気分で劇場を出たことを覚えている。 史実上、どちらが勝ち、どちらが殺されるのかは、もうわかっている。だからこそ『レジェンド&バタフライ』のような“一抹の救い”を、望んで止まない。 この関ヶ原の戦いを、予習もしくは復習したい方には、断然、司馬遼太郎の小説『関ヶ原』をオススメする。こちらは、三成視点から関ヶ原を描いた物語だ。人間関係がなかなか複雑なこの戦い。この司馬版『関ヶ原』を読めば、誰がどちらに付いて、誰がその後裏切って、その際にどのように心が揺れて、そしてどのように戦局が変化して……という一連の流れを、ほぼ理解することができる。小説作品としても、同じ司馬作品である『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』と並ぶ名作だと、筆者的には思う。 とは言え、全3巻でまあまあ長い上、そもそも読書はしないという方もおられるだろう。だが大丈夫。ちゃんと映画化されている。しかも監督は『ヘルドッグス』や『BAD LANDS バッド・ランズ』の原田眞人、徳川家康役は役所広司、そして石田三成役は岡田准一師範である。これでもはや観ない理由はなくなった。 石田三成は「冷静な文官」のイメージが強い。原作でもそのように描かれているが、師範が演じる三成は違う。情熱的だ。「この戦は正義と不義との戦い。負けるわけにはいかん」と家臣の島左近(平岳大)に宣言する通り、自らを「正義」と信じて疑わない。『どうする家康』の三成も自らを「正義」と信じているが、若干の空回り感が否めない。だが師範・三成の信念は盤石だ。 そして、師範・三成は恋にも情熱的だ。配下のくノ一である初芽に恋をする。『どうする家康』で言えば、家康が大鼠(松本まりか)に恋をするようなものだ。それならこの時代の殿様なら側室にしそうなものだが、関係はあくまでプラトニックである。ちなみに、初芽を演じるのは有村架純だ。「信長が瀬名に恋をしている」図式に見えてしまうが、頭を切り替えてほしい。別作品だ。 当然師範が演じているので、“史上もっとも強そうな石田三成”である。着物でも隠し切れないその僧帽筋や広背筋は、グラップラー(組技系格闘家)のそれである。決して文官の体ではない。得意技は、流鏑馬状態からの“投げ矢”である。手裏剣のように矢を投げる。弓につがえる手間を省いた、合理的な武器である。そしてこの三成はよく走るし、またそれが異常に速い。 この三成があと3人ほどいれば、関ヶ原も勝っていたのではないか。 一方、三成が主人公なため、家康はやや狡猾で狭量な人物として描かれている。だが、それも含めてなぜかチャーミングなキャラに見えてしまうところが、役所広司の“俳優力”である。 11月12日の『どうする家康』を観てから映画『関ヶ原』を観れば、家康、三成、両サイドからの関ヶ原をコンプリートできる。 勝敗にかかわらず、この戦いは、どちらが「正義」でどちらが「不義」だったのか。その答えが、出るかも知れない。
ハシマトシヒロ