水上恒司「超越した姿に惹かれた」池松壮亮から受けた刺激:インタビュー
俳優の水上恒司が、映画『本心』(11月8日公開)に出演。朔也(演・池松壮亮)の過去を知る幼なじみ岸谷を演じる。本作は監督・脚本 石井裕也 × 主演 池松壮亮 × 原作 平野啓一郎で贈る、テクノロジーの進化が人間の存在を揺るがすヒューマンミステリー作品。「AIは、人の心を再現できるのか―」をテーマに、今と地続きにある近い将来2025年を舞台に、“自由死”を選んだ母の“本心”を知ろうとした青年が、AIを駆使して彼女を蘇らせようとしたことから、進化した時代に迷う姿を映し出す。インタビューでは、本作をどのように感じたのか、岸谷を演じるにあたり意識していたこと、役者としての展望について話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】 【写真】水上恒司、撮り下ろしカット ■観るものに委ねる余白がちゃんとある ――水上さんは本作をどのような作品だと感じられましたか。 原作は2040年で、映画は2025年という時代設定なので遠い未来の話ではなく、今このような世界はあってもおかしくないと思っています。カメラが搭載されたゴーグルを装着し、依頼主の代わりに行動するリアル・アバターと呼ばれるものは、今やろうと思えば実現可能だと感じています。それが必要だと思う人が出てくれば、リアル・アバターのような職業も成り立つと思いましたし、観るものに委ねる余白がちゃんとある、良い作品になっています。 ――水上さんはリアル・アバターへの興味はいかがでしょう? やってみたいと思いますか。 やらざるを得ないという状況に陥っている岸谷や朔也のことを考えるとやりたい、やりたくないで測れるものではないと思っています。仕事として食べていくため、お金をいただくということを考えると、やってみたいか、やりたくないかと問われたら、あまりやってみたいとは思わないです(笑)。 ――岸谷を演じるにあたり、現場でも模索しながら役と向き合われたりもしましたか。 本作に限らず実際にカメラの前に立つ時は、迷いをなるべく消し去った方が、芝居が良い方向にいくと思っています。迷いがある中でやっていい場合は、実際に迷っているような役の時には利用できますが、今回演じた岸谷ははっきりとした役なので、カメラの前に立つまでにたくさん悩んで模索してから、撮影に臨みました。 ――ご自身が演じる役のバックグラウンドやどういった両親から生まれたのかなどを想像したり、考えるようにしているというインタビューを拝見したのですが、今回もそういったものはありましたか。 作品では描かれていませんが、キャラクターがどういう家庭で育ったかというのは役作りですごくヒントになります。そこにコンプレックスがあったり、愛情をかけ育てられたのか、それとも愛されていなかったのかなど、バックグラウンドとひとことで言っても単純なものではないのですごく面白いんです。ただ、今回は岸谷の両親ってどういう人たちなんだろう? ということは考えませんでした。なぜかと言ったら、朔也にとっての岸谷であるべきだったので、朔也にとってこういう奴がいたら邪魔、鬱陶しい、でもちょっと委ねたくなってしまうと感じる存在として岸谷を作りたかったからです。 ――さて、今回この作品への出演を決めた要因は何だったのでしょうか。 良くも悪くも正解がないことから、「水上ならどうする?」と石井監督から委ねられているような感覚があったことが決め手になりました。正直、未だにこの作品に対して自分はどういう風にやるべきだったのか正解は分かっていません。というのも僕が出演してきた作品はどちらかと言うとシンプルなストーリーが多かったんです。シンプルでよいものを作るというのは実はすごく難しいのですが、これまで僕が出演してきた作品と比べて『本心』は余白を見せる作品なので趣きは変わります。岸谷は割とはっきりとしているキャラクターですが、どういう人間なのか誰かが説明したり、どこかで昇華しなくてもいいことが、脚本の中に散りばめられているのも面白いと思い、挑戦してみたいと思いました。 ――岸谷とご自身との共通点はありますか。 生きていくのに必死という面で共感できました。みんな生きるのに必死で、不安定でこの先どうなっていくのかわからない。2025年に差し掛かっていく今、このタイミングでこういった作品を届ける意味があるのかと、深く考えさせられました。教育の中で僕らの年代は体罰とか、型といいますか「これはこうだ」みたいなことを言われなくなった世代なんです。教育者と保護者と生徒の立場、バランスが昔とは違ってきている中で、「夢とは何か?」「生きていくとは何か?」ということを教えられてきたわけですが、それがわからない若者ってけっこう多いと感じています。そうした状況の中で、どう生きたいのかを自問し、“とりあえず俺はこう思う”という自分を持っている岸谷にすごく共感しました。 ――岸谷のちょっと癖のあるところも魅力的でした。 基本的には割と高い声で演じていたのですが、この作品で岸谷はどちらかというとヒール役だと思ったので、所々で低い声を出したりして使い分けていました。低い声をメインにしなかったのは、他の方々が落ちた声、低い声を使われているからなんです。特に池松さんは声を落とした演技が魅力的に映る役者さんだと思っていて、そこが岸谷と朔也との対比になればいいなと思いました。 ――池松さんと共演されて刺激を受けたりされましたか。 池松さんからはとても刺激を受けました。池松さんは34歳で中堅、もしかしたら若手とも捉えられる年齢だと思います。若いうちは自分をよく見せたいという面もあると思っていて、そうした面を岸谷の役作りに活かしていたのですが、それを超越した池松さんの姿に強く惹かれました。 ちょっと話が逸れますが、僕は諦観が大事だと思っています。諦めるという言葉は現代ではネガティブな意味で使われる節がありますが、仏教の世界では本質を明らかにしていく、暗いところで見えないものを明るくして、見通すといったニュアンスがあります。池松さんの姿を観ていて感じたのが、良い意味ですごく力が抜けていますし、必要のないことを削ぎ落とし、自分がやるべきことをやられていると思いました。 ▪︎皆さんが観たいと思ってもらえるような役者でありたい ――お気に入りのシーンはありますか? 田中裕子さん演じる秋子のシーンです。母としての女性の強さを感じました。池松さん演じる朔也が気になる、大事にしたくなる意味がちゃんとそこにあり、全体を通してすごく印象に残っています。それがないと朔也がVF(ヴァーチャル・フィギュア)を利用してでも、母の本心を知りたいという思いにつながっていかないので、すごく大事な要素なんです。生身とVFの2役を演じる田中さんの佇まいが本当にすごいなと思いながら、映像を観ていました。 ――さて、『本心』は近い将来の話というところで、水上さんはご自身の未来はどんな風に想像されていますか。 深く未来のことは考えているようで、考えていないかもしれません。こうなっていきたいというイメージはありますが、それをあえて言葉にしないというところもあります。ただ、今25歳でひとつの節目になっていると感じています。学生時代に想定していた25歳になれてはいないのですが、僕は全然違う感じになっていくことが当たり前なんだと思っています。その中で若さというものはすごく価値があると思います。世の中がアンチエイジングのために莫大なお金と時間をかけ、労力を若さというものに対して投資してきたということから見ても、容姿をすごく大事にする風習があるのは確かです。とはいえ見た目はいずれ劣化していくもので、永遠ではないということを考えると、若さというものが取り上げられた時に、自分は何を生き、何を残すのかというところを大事にしていて、未来を見据えていることの一つです。 ――ところで、水上さんご自身にとって役者は「天職」だと思うことはありますか。 自分の狙いとかやりたいことがやれたというのはあるのですが、基本的に自分が「できた」と思う瞬間ってほとんどないんです。ただ、それがどれだけの価値があって、素晴らしいものかというものさしは自分で測ってはいけない、測れないと思っています。そういった感覚が今のところないので天職とはまだ言えないと思っていて、それはどの職業に対しても自分の性格上、天職だと思えることはないんじゃないかと思っています。 ――芝居に魅力を感じているから続けられている? そうです。自分ではない何かになれることはとても魅力的です。いまだに映画が世の中に対して強い影響を持ち続けています。それはロボットやAI ではなく、生身の僕たちがやっていることが魅力になっていると思います。どんな役者や人がやっているのか、そうした点に時間やお金を払って観てくださる人がいると思うので、僕は皆さんがまた観たいと思ってもらえるような役者でありたいと思っています。 (おわり)