〈タイムカプセル〉想田和弘
僕が「観察映画」と称して作るドキュメンタリー映画の特徴は、事前のリサーチや台本作りをせず、行き当たりばったりでカメラを回すことである。自分の構想やイメージに合うように都合よく現実を切り取るのではなく、撮影しながら、目の前の現実をよく観て、よく聴いて、その過程で発見したこと、出会ったことを映画にしていく。 10月19日から劇場公開される『五香宮の猫』(観察映画第10弾)の撮影も、確固たるプランのないまま、なりゆきで始まった。 瀬戸内海の港町・岡山県牛窓にある古くて小さな神社・五香宮には、たくさんの野良猫が暮らしている。野良猫が生きていけるということは、大事に世話する人々がいるということだ。一方、糞尿被害等に悩む住民もいて、猫に対する街の人々の意見や感情は、真っ二つに分断されていた。 そこで約4年前、ある種の妥協策として、猫の一斉捕獲と避妊去勢手術が始まった。僕らがニューヨークから牛窓に移住して、間もないころだ。妻でプロデューサーの柏木規与子が一斉捕獲を手伝うことになり、僕はその様子をとりあえず記録しようと、カメラを回し始めた。 五香宮に数日間張りついて撮影していると、この神社にはさまざまな人々がさまざまな理由で出入りしていることに気づかされた。参拝する人、ガーデニングにいそしむ人、ボランティアで掃除や草刈りをする人、猫の世話をする人、猫の写真を撮りにくる人、放課後に遊ぶ子どもたち。そこは誰もが自由に出入りできる不思議な公共性のある場所で、だからこそ猫たちも自由に暮らしてこれたのだ。僕は五香宮という「場」とそれを取り巻くコミュニティの魅力に惹かれて、2年近くカメラを回した。 だが、五香宮を大切に守ってきた地域コミュニティは超高齢化している。また、手術された猫たちは、新しい世代を生み出すことができぬまま、どんどん死んでいく。 五香宮からは、やがて人も猫も消えていくのではないか。そういう寂しい予感と、いまはかろうじて残っている愛おしい光景をタイムカプセルに詰めておきたいという気持ちを抱きながら、映画を作った。 この映画が日本の人たちにどう受け止められるのか、楽しみでもあり、心配でもある。本誌で隔週連載してきたフォトエッセー「猫様」の単行本も、集英社(発売)/ホーム社(発行)から同時期に刊行される。
想田和弘・『週刊金曜日』編集委員