市原隼人「おいしい給食」甘利田演じ変化を語るも…記者が10年前の市原に見た甘利田の“芽”
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 2019年(令元)10月期に第1期が放送された、市原隼人(37)主演の連続ドラマ「おいしい給食」の映画第3弾「おいしい給食 Road to イカメシ」が5月24日、公開され、全国150館超の映画館で拡大上映されるヒットを続けている。 放送開始から4年半で連続ドラマが3期放送され、20、22年、そして今年と3本の映画が公開され、市原にとって、主演作では初のシリーズ化作品となった「おいしい給食」。キャラクター、出演者に若干の入れ替えはあるが、物語の大筋は一貫している。 1980年代の中学校を舞台に、市原演じる頭の中に給食のことしかない給食絶対主義者の教師・甘利田幸男と給食好きの生徒が、日々の給食をいかにおいしく食べるかに腐心し、手を加えるなどするバトルを、約5年にわたって描き続けてきた。1話30分のドラマは、各話に給食が登場し、その献立を軸に日常の学校生活が描かれる。映画は、そこに大きなドラマ、事件が絡み、話が壮大になる。 甘利田は給食を前にすると、うれしさのあまり踊ったり、佐藤大志(17)演じる神野ゴウ、田澤泰粋(15)演じる粒来ケンとの給食バトルで、2人が給食のメニューを“うまそげ”にアレンジすると、悔しさのあまり倒立までして全身で感情を表現する。そうしたキャラクターは、台本を読み「やりたい」と出演を決めた市原が、綾部真弥監督(43)と相談してリハーサルした際、自ら作って持ち込んできたという。 一方で、市原は「- Road to イカメシ」の舞台あいさつの中で「正直言えばポップなものを作るのが苦手だった」と吐露。「大衆に見ていただけるポップな王道のエンターテインメントを作ることのが大切さを学んだ」と「おいしい給食」とのであいで、自らが変わったと自認している。 綾部監督も「最初は、ちょっと照れて、嫌がっているところもあったんです。『もっと思い切り、ニヤッと笑って』と言ったら、珍しく『ポップになり過ぎちゃいませんか?』と言ってきた」と、スタート当初の市原のスタンスが、今とは少し違っていたと指摘した。 ただ…記者は市原の中に、そもそも甘利田になる“芽”というか“根”のようなものがあったのを「おいしい給食」の放送がスタートする10年も前に目撃している。時は2009年(平21)6月20日、場所は川崎市内の等々力競技場だ。 当時、記者はサッカーJ1川崎フロンターレ(川崎F)の担当記者だった。大分トリニータ(現J2)とのリーグ戦で、ホームの川崎市出身の市原が始球式を行った。09年5月30日に、市原が出演したTBS系ドラマを映画化した「ROOKIES-卒業-」が公開されて1カ月後で、まだまだ熱がさめやらない状況だった。 市原は故郷の川崎を愛するあまり、20年に休刊となった雑誌「東京Walker」シリーズの「川崎市Walker」の表紙を飾り、インタビューにも応じていた。そこに着目した川崎Fのクラブ担当者が、多摩川の土手を朝、走っている市原を捕まえて直談判し、始球式に起用したうんぬんの話を、クラブ関係者から何となくは聞いていた。 Jリーグの試合当日は、キックオフ2時間前にはスタジアムに入り、試合直前のチームの状況を確認し、関係者取材、周辺取材を行うのが常だが、この日、スタジアムに着くと、川崎Fの広報担当者から「始球式前、10分程度ですが市原さんの個別取材ができるんですけど、興味あります?」と声をかけられた。 記者は元々、映画が好きだった上に、話題の「ROOKIES-卒業-」の主要キャストの市原に話を聞けるなら? と、興味津々で話に乗った。 今でこそ、15年にメインスタンドが改修され立派になった等々力競技場だが、当時は1966年(昭41)に利用を開始された時のままだった。その中の小さな部屋に市原を訪ねた。 「ROOKIES」で熱い男という印象を持っていた上「市制85周年記念スペシャル企画 『始球式!! 川崎生まれ 市原隼人登場!!』」と大々的に銘打たれて呼ばれているだけに、景気の良い言葉、リアクションを期待してはいた。 ただ、実際に対面すると、市原は寡黙で、とにかく口数が少なかった。始球式への登場が決まった段階で、川崎Fを通じて「共に川崎を盛り上げることができたら光栄です」とのコメントを発表していたが、記者の問いかけに答えた言葉も、それとほぼ変わらなかった。 それが、いざ試合開始前のピッチに立つと、キャラクターは激変した。当時、等々力競技場の記者席で書いた原稿を紹介したい。 -◇-◇-◇-◇-◇- 川崎市出身で映画「ルーキーズ」で大人気の俳優市原隼人と、同市在住の歌手西城秀樹が川崎Fの応援に訪れた。市原は始球式で、右足で豪快にゴールを決め「川崎Fのサッカーは、めちゃおもしろい。一緒に川崎を盛り上げたい」と絶叫。一方2年連続6度目の応援となる西城も「激しい恋」をハーフタイムに熱唱し、「もう1点」コールを連呼した。すると後半16分にレナチーニョが2点目を決め、秀樹カンゲキ? -◇-◇-◇-◇-◇- 市原が絶叫したと書いているが、行数が限られていた中で最小限の文言で書いただけの話で、実際は絶叫などというレベルには、とどまらなかった。 市原は始球式でゴールを決めた後、ユニホームを脱いで上半身裸になり、川崎Fサポーターの応援の中心的エリア「Gゾーン」に向かって一直線に突き進んだ。その日は暑く、サポーターが、バケツにくんだ水を撒いていたが、市原もサポーターからひしゃくを渡されると一緒になって水を撒き、揚げ句にサポーターに頭からバケツの水をぶっかけられた。 試合は川崎Fが2-0で勝った。試合前の市原の一連の行動が、川崎Fサポーターでいっぱいのスタンドを熱狂させたのは紛れもない事実だ。試合終了までの一連の流れを目の当たりにして当時、若手ながら抜きんでた人気、演技力を評価されていた市原の力、そしてドラマ、映画、エンターテインメントの力を痛感せずにはいられなかった。 「市原隼人は、熱い…。この男の本質は、記者に聞かれたことに答えるというインタビューなどでは捉えきれるものではなく、本人の中からあふれ出る熱情、激情が全てなんだ」と得心したものだ。 市原は始球式の際、応援フラッグに直筆で「志高く…Big up」とも書き込み、その「檄文(げきぶん)」入りのフラッグは後日、川崎Fの麻生練習場に掲げられた。記者は当時「試合はは2-0で勝っただけに『縁起物』となるか?」と原稿に書いている。 それから10年がたった。市原も37歳になり「意外と(他の作品、役をやってから)甘利田に戻るのは大変なんです。でも、どんな役があろうと、甘利田に戻ることができるよう、準備をしようと腹に決めました」などと口にするようになった。 それでも、自らの強い希望で、5月24日に東京・池袋HUMAXシネマズで行われた「- Road to イカメシ」の舞台初日舞台あいさつ前には、甘利田の衣装でスクリーン入り口に立ち、観客を出迎えた。劇中の朝の生徒指導のシーンさながらに、観客に熱っぽく声をかけ、踊りまくり、勢い余ってその場に倒れ込んだ。その熱い姿は、等々力競技場の「Gゾーン」に突き進んでいき、頭からバケツの水をかぶった「ROOKIES」の頃と全く変わりがない。 8日に東京・新宿ピカデリーで行われた主演映画「おいしい給食 Road to イカメシ」大ヒット記念舞台あいさつでは「ROOKIES」の出演時に使ったグローブを使って、撮影中に佐藤と田澤とキャッチボールしたと明かした。「私は、部屋に『ROOKIES』のグローブ、ずっと積んである。それを2人に渡してキャッチボールしました。泰粋は野球部なので、楽しかった」と笑みを浮かべた。 市原は「おいしい給食」そして甘利田幸男という役に巡り合う運命だった、甘利田の芽は、市原の中に、そもそも根付いていた…記者は、そう考えている。【村上幸将】