食べ頃は2時間後! 「陸稲」と老舗しょうゆ店…地元の特性が合致、変化しつつ現代へ 所沢の「焼だんご」
狭山市内で妹と開いた団子店を経て、現在の店舗を持った。実家の店は閉じて久しいが、所沢駅に隣接する一角には金子の焼き団子が並ぶ。 「弟子」は2人いる。だが今のところ店の後継者はいない。「団子店に興味がある人は多い。でもまだ企業秘密を教えるのはちょっとなあ…」。難しいところだ、と笑った。(敬称略) ■農作業の間食として 「焼だんご(焼き団子)」が、なぜ所沢の名物となったのか。詳しい経緯は判然としていないが、団子が親しまれた背景には土地の特性と浅からぬ関係があるようだ。 所沢市は武蔵野台地の上に位置する。水田を営む土地が少なく、陸稲(おかぼ)が多く栽培されてきた。市史によると、1955年ごろの陸稲の栽培面積は835ヘクタールで、水稲の作付面積の約5・6倍を占めていたという。 陸稲はそのまま炊いて食べると、ぱさぱさした。そこで粉に引き、丸めて焼いた。それが団子として親しまれた。農作業時の間食として消費され、やがては店で売られるようになったと考えられている。市内の老舗しょうゆ店の存在も後押ししたとみられる。ちなみに、現代の所沢の焼き団子では陸稲は使わず、各店が米の粉を仕入れて作るのが一般的だ。
明治時代には焼き団子の組合があり、竹串には青竹を使うことや1串当たりの団子の数を4個とするなどの申し合わせをしていたと伝えられる。 市内で開かれる催し「所沢市民フェスティバル」には、焼き団子の店舗が参加してきた。市はガイドブック「おさんぽナビ」に市内の焼き団子店6店舗の情報を掲載し、それぞれの味や特徴をアピールする。