体操・岡慎之助3冠 苦しいリハビリ支え合った岡と藤巻竣平「複雑だけど、慎之助がけがしても戻れると証明してくれた」
「パリ五輪・体操男子種目別鉄棒・決勝」(5日、ベルシー・アリーナ) 種目別決勝で初出場の岡慎之助(20)=徳洲会=が男子鉄棒を14・533点で制した。前回東京五輪の橋本大輝(セントラルスポーツ)に続き日本勢2連覇。団体総合、個人総合と合わせた3冠は日本勢で1972年ミュンヘン五輪の加藤沢男以来52年ぶりとなった。岡は平行棒も日本勢20年ぶりの表彰台となる銅を獲得し、84年ロサンゼルス大会でメダル五つだった具志堅幸司以来の1大会4個のメダルとなった。男女の日本勢で1大会4個以上のメダルは11人目となった。 【写真】水鳥監督は岡慎之助の快挙絶賛「慎ちゃんが覚醒」直前の鉄棒練習で頭強打 「焦点が合わない感じ」から驚異の立て直し ◇ ◇ 岡のリハビリロードを最も近くで見てきた男がいる。同じ徳洲会に所属する藤巻竣平(25)は、2022年全日本個人総合選手権の跳馬で大技・ロペスを跳び、右膝の前十字靱帯を負傷。医務室に運ばれた。 大けがだったが、せめて仲間の試合は応援したいと懇願。場内に戻ると、跳馬で負傷した岡がいた。直後の平行棒に無理をして参加し、着地で崩れ落ちる衝撃的な場面を目の当たりにした。 「平行棒でとどめを刺して。体操を見ていられないぐらいショックを受けた」 ともに右膝前十字靱帯の大けが。ただ、不思議と「2人で、笑顔で全日本戻ろうな」「頑張ろうな」と互いを励ます言葉はすぐに出てきた。翌日、2人で病院を受診。前十字靱帯の再建手術を、医師の方針で1カ月後に受けた。程度は半月板を縫った分、岡のほうが重かった。 その後は、苦しいリハビリが待っていた。トレーニングやリハビリメニューは基本的に2人で同じものをこなした。それが「めちゃくちゃきつかった」。最初は足も動かず、横になって足などを動かす動作を50回3セット。体操の通し練習ができないため、術後1、2カ月はプールでリハビリも行われた。約1時間半、息継ぎなしで50メートルプール1往復を目指したが、25メートルが限界だった。 金魚のおもちゃが、泳いだ本数のカウンターだった。一つ置いてはまた泳ぐ。足が動かせないため、ビート板を挟んで手だけで動いた。「きついっす」「やばいよな」。弱音も漏らしながら2人でひたすらに泳いだ。プールのあとは午後のトレーニングがあり、終わりは19時や20時になることもしばしばだった。 回復が早かったのは筋肉が柔らかい岡だった。藤巻がリハビリのコツを尋ね、かわりにつり輪の力技を教えた。そして、オールマイティーな岡の新たな武器が作られた。 つらいリハビリの先には精神的な戦いが待っていた。ともに跳馬でのけがということもあり「着地には精神的な怖さがあって、そこがきつかった。一番の僕のヤマ場だった」。隣を見れば、岡も「怖い」と言いながら跳んでいた。その中で、時間をかけてともに感覚を取り戻していった。 藤巻のパリ五輪出場はかなわなかった。「悔しい部分と、でも応援したい気持ちもある。ちょっと複雑だけど、慎之助がけがしても戻れると証明してくれた」。5歳差の相棒が持ち帰るメダルは、希望の光となる。 ◆岡 慎之助(おか・しんのすけ)2003年10月31日、岡山県出身。神奈川・星槎国際横浜高に進学した。19年世界ジュニア選手権で3位。23年アジア選手権2位。名前の由来は、父・泰正さんが巨人の阿部慎之助・現監督のファンだったことから「スーパースターになってほしい」との願いを込めてつけられた。星槎大3年。158センチ、58キロ。