「それってあなたの感想ですよね」...令和の子どもたちがあこがれる「論破」がもたらす最悪な末路とは
いままで、「大切な人と深くつながるために」「いじめられている君へ」「親の期待に応えなくていい」など、10代に向けて多くのメッセージを発信してきた作家の鴻上尚史さんが「今の10代に贈る生きるヒント」を6月12日に刊行する。その書籍のタイトルは『君はどう生きるか』。昨年ジブリの映画でも話題になった90年近く前のベストセラーをもじったこのタイトル。なぜ「君たち」でなくて「君」なのか。そこには鴻上尚史の考える時代の大きな変化があった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 『君はどう生きるか』(鴻上尚史著)より抜粋して、著者がいまを生きる10代に贈るメッセージを一部紹介する。 『君はどう生きるか』連載第6回 『「みんなと仲良くしなくていい」...協調性に固執する日本人が見落としがちな“当たり前”のコミュニケーション技術』より続く
「対話」の反対語は…
「協働」するためには、何が必要か。 その話を次にするね。 「協働」するためには、人と話さないといけない。そう、「対話」だね。 じゃあ、「対話」の反対語はなんだろう? ぼくは「論破」だと思っているんだ。 「論破」したいと思っている人は多いんじゃないかな。なんか「論破」ってかっこいい感じがするよね。 聞いていた中学生の多くがうなずきました。
「それってあなたの感想ですよね」→絶交
君が遊園地に遊びに行きたいと言い、友だちは買い物に、別の友だちは山か海に行きたいと言ったという、教科書のケースを考えてみようか。 山に行きたいと言った友だちをA君とするね。君がA君に対して、「山に行きたい? 山なんか疲れるし汚れるし虫はいるし遠いし暑いし(寒いし)雨が降るかもしんないし、いいことなんか何もないじゃないか。どうしてそんな所に行きたいの!? 頭おかしいんじゃないの!」と言ったとする。 A君が「空気が美味しい」「自然と触れ合える」といろいろ言っても「空気が美味しいというのは、君の感想ですよね」とか「自然と触れ合うことに何の意味があるの?」とニヤニヤしながら否定し続けると、君はA君を論破できるだろう。 それで何が残るかというと、「A君との関係は終わる」ということなんだ。 つまり、論破は、A君と「もう一生、口をきくつもりはない」という時に使うことなんだ。 もし、君が周りの人たちを次々に論破していったとしたら、君は最終的にひとりになる。ぼくはそうなった人を何人か知っている。そういう人は、淋しいからか、話し相手を一生懸命探すけど、誰も相手にしない。だって、何かあるとすぐに論破するから、みんな話すのが嫌になってしまうんだ。 『多様性の時代、あなたはちゃんと「対話」できてる? 意外と知らない「リーダー」と「ファシリテーター」の違い』へ続く
鴻上 尚史
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