『夜のクラゲは泳げない』こだわり抜かれた画面設計の素晴らしさ 竹下良平の演出を分析
カメラを意識した演出が物語にも説得力を生み出している『ヨルクラ』
では『夜のクラゲは泳げない』において同様の演出がどのように効果を発揮しているのか、竹下が絵コンテ・演出を務めた第1話から読み取っていこう。冒頭において主人公のまひるは寝ている姿を妹にスマホで撮影される。これは家族内のたわいのない光景だが、スマホ撮影によって、まひるの飾らない素の姿を描いている。 少し前まではカメラで撮影するということは、ハレの日などの特別な行為であったが、スマホの普及によってより日常を示す光景となった。このことからも縦長の画面比率の映像は、なんの変哲もない日常のワンシーンを切り取った印象を強調する。 次はシネスコの画面比率を活用したシーンを例に挙げたい。こちらはより効果を発揮したのは第2話の、高梨・キム・アヌーク・めいの過去の回想シーンだ。いじめを受けていためいが、アイドル時代の山ノ内花音と出会うことで勇気をもらい、自身の状況を変えていく心理の変化をよりドラマティックに伝えている。シネスコは映画で活用されるように、迫力のある映像やドラマチックな展開を連想させるが、ここでは画面比率を変更することで過去編であるというわかりやすさと同時に、どれほどめいがドラマチックな思いをしてきたのかを強調する。 ここまでをまとめるとTVアニメで通常描かれているワイド画面を基本とした場合、縦長画面はより日常の中のオフショットのような素の表情を強調し、シネスコはドラマチックな印象を強調する。この画面比率を変更させることで、より登場人物の心情が多くの視聴者に伝わりやすくなる。 ここまでは画面比率を中心に語ってきたが、今作では他にもカメラの存在をより強く意識させる映像が多い。第1話に話を戻すと、Aパートの後半でまひるが過去にデザインしたクラゲの絵の前で座り込むと、カメラが横にパンをする。すると隣のトンネルから小学生時代のまひると友達が走ってくる演出があるが、カットを割って切り替えるのではなく、パンによって現代と過去が続いているように見せることで、後悔も含めた様々な思いが視聴者に伝わってくる。パンを使った演出は細田守も活用しているが、その応用といえるだろう。 Bパートはさらに圧巻の描写が続く。花音がマスクを下ろしたシーンはまひるの視点で描かれているが、あえて花音の口元以外をピンボケさせることで、真昼が花音の唇に注目したことがわかり、艶かしさに惹かれていることがわかる。そして音楽シーンではカメラが縦横無尽に動き回ることによって、アニメーションの快楽性を増す。他にも物陰から2人を覗き込むような視点もあり、カメラをどこに置くのかをより重視していることが伝わってくる第1話だった。 このカメラを意識した演出が物語にも説得力を生み出している。ネットから発信する音楽ユニットのJELEEが物語の中心となるが、その活躍を視聴する際、PCやスマホの画面越しに確認していくことになる。 その演出が物語でも発揮されたのが第4話だ。第4話では花音がスマホでかつて在籍していたアイドルユニットであるサンフラワードールズのメンバーが映っている。また街の中で巨大ディスプレイにメンバーを眺めるシーンがあるが、ここでは画面をあり得たかもしれないもう1つの可能性、あるいは失った存在を映す鏡のように描かいている。ここで画面を通して伝えるということは同じであっても、TVの世界とネットの世界を区別しつつ、ネットの世界から飛び立つJELEEという物語性がより強調されることになる。 このように今作は竹下監督の表現技法と、現在のネット発の音楽文化が合致した物語こそが『夜のクラゲは泳げない』の魅力だ。作家性と時代性を融合させながらも、エンタメとして面白い作品に仕上げる、オリジナルTVアニメらしさの魅力溢れる作品と高く評価したい。
井中カエル