88歳ジャズシンガー・齋藤悌子 米軍キャンプで「逃げて!」と言われた予想外の思い出
「父が亡くなってから、母は歌を歌わなくなり、聴くこともなくなりました。歌が流れてくると泣き出して、何もできなくなってしまったんです」と長女の敦子さんは振り返ります。そんな日々が12年も続きました。 ある日、悌子さんが近所の喫茶店に寄ると、ジャズのスタンダードナンバーが流れてきました。本当なら耳を塞ぐ悌子さんでしたが、なぜか心が弾みます。12年の歳月が悌子さんの心を癒し、「もう一度ジャズを歌いたい」という気持ちに変わったのです。 長女の敦子さんは「ママ、もう一度歌ってみたら?」と応援します。しかし、試しに歌ってみたところ、声が掠れて歌えませんでした。 「ああ、ママはもう声が出ないんだ。衰えてしまったんだわ……」 それでも悌子さんは諦めませんでした。「声は筋肉と一緒で鍛えれば変わるはず」と考え、毎朝5時に起きて近くの公園に出かけます。体操したあと、「あー、あー!」と発声練習を始めました。 まだ暗いうちですから、近くのアパートの電気がポツンポツンと点いていきます。「近所迷惑になる」と思い、今度は図書館の壁に向かって発声練習を続けました。
そのうち音域が広がり、声に安定感が戻りました。そして86歳のとき、ファーストアルバムの話が持ち上がります。米軍キャンプ時代、夫・勝さんが悌子さんのためにつくった手書きの譜面が残っていたそうです。 レパートリーは323曲。その譜面を元に、世界的ジャズピアニストであるデビッド・マシューズさんの演奏で、「一発録り」のレコーディングに臨みました。 このアルバムが話題を呼び、今年(2023年)2月に東京・有楽町の新劇場「I’M A SHOW」で初の東京公演を開催。テレビのドキュメンタリー番組でも注目を浴びました。この12月と、来年(2024年)4月には、再び東京のステージに立つ悌子さん。元気な理由を伺うと、好きな言葉を教えてくれました。 「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る」 100歳まで歌いたい……それが、齋藤悌子さんが目指す理想のようです。