澤村國矢、12月に中村獅童の推薦で幹部昇進「2代目澤村精四郎(きよしろう)」を襲名「一般家庭の者が夢をかなえる希望に…」
歌舞伎俳優の澤村國矢が25日、都内で歌舞伎座「十二月大歌舞伎」(12月3~26日)の第1部「あらしのよるに」の取材会に出席した。 國矢は、12月に師匠である澤村藤十郎の芸養子となり、藤十郎の前名「澤村精四郎(さわむら・きよしろう)」を2代目として襲名する。2年ほど前、中村獅童が松竹に「澤村國矢を幹部俳優にしてほしい」と推薦したことをきっかけに状況が進展。藤十郎の芸養子となり幹部俳優に昇進し、2代目澤村精四郎を襲名することになった。 やや緊張した面持ちの國矢は「一般家庭から、幹部役者になるのは、まれなこと。責任を感じています。子供の頃から憧れていた幹部の方々が演じてきた役を、自分がやることを想像したら楽しみで仕方がない」と声を弾ませた。「精四郎」と書いて「きよしろう」と読む。獅童からは同じ読みの忌野清志郎さんを引き合いに「ロックの神様と同じ名前だぞ」と激励されたという。 超歌舞伎が役者人生のターニングポイント。獅童は恩人で「ご自身が恵まれない時代があったこともあり、親身に相談に乗ってくれた。尊敬しているけど、兄貴というか家族のような存在」と信頼を明かした。9歳から子役として芸能活動を始め、10歳で歌舞伎デビュー。思春期に素行に問題があり、国立劇場の研修所を2か月で辞めたことも。師匠に「顔も見たくない」と激怒されたが、「それでハッとして反省しました。何度も通い詰めて許していただきました」。それから歌舞伎一筋に精進している。 華のある立役として「古典を大事に時代物、世話物どちらも頑張っていきたい」。世襲が多い歌舞伎界で貴重な存在。「一般家庭の者が夢をかなえていく希望となれるように、幹部としての仕事を全力で全うしていきたい」と力を込めた。プライベートでは5歳の双子の娘を持つ父親で、趣味は「家族でキャンプに行くこと」と明かした。 1978年に生まれた國矢は、9歳から劇団東俳、音羽グループに所属し、子役として舞台や映像作品に出演。12歳から世家真流家元・世家真ますみに師事し、日本舞踊を学んだ。88年7月歌舞伎座「義経千本桜」の子狐で初舞台を踏み、95年3月、2代目澤村藤十郎に入門。同年5月、金丸座「第11回四国こんぴら歌舞伎大芝居」の「廓文章 吉田屋」の若い者で「澤村國矢」を名乗る。2010年2月、歌舞伎座「籠釣瓶花街酔醒」の若い者千吉で名題昇進。屋号は紀伊国屋。立役として活躍している。 16年4月に誕生した中村獅童主演の「超歌舞伎」では、第1作「今昔響宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)」で獅童の敵役・青龍の精を勤め、以降は「超歌舞伎」の主要メンバーとして活躍。特に、19年8月、京都南座で再演された超歌舞伎「今昔饗宴千本桜」では、本公演で獅童の敵役となる青龍の精を勤め、リミテッドバージョンでは主役の佐藤忠信に抜擢。エネルギッシュな熱演は多くの観客の心をつかんだ。今月も歌舞伎座に出演しており、昼の部「権三と助十」で願人坊主願哲を勤めている。
報知新聞社