高橋一生が“悪魔”のような姿に 世代を超えて引き継がれた『ブラック・ジャック』の意義
ブラック・ジャック(高橋一生)とキリコ(石橋静河)の“生死”に対する考え方の違い
そんなブラック・ジャックに異を唱えたのがピノコ(永尾柚乃)だ。本当は18歳でありながら幼児のようにしか見えない彼女は、実は心のうちに複雑な思いを抱えており、えみ子の思いにも共感したようだ。ピノコはブラック・ジャックに頼んでえみ子に会いにいき、拙い言葉で自分の生い立ちを話しながら、「えみ子しゃんは治ゆ!」と励ます。この時のピノコはかわいい容姿とは裏腹に、一意見を持ち、他人と対峙できる1人の女性だった。一方、えみ子は以前から夫に内緒で相談していたキリコ(石橋静河)ともついに対面。キリコは、死以外に救われようのない人たちに“安楽死”を提案する医師だ。直前にピノコに会っていたことも影響してか、“死”を選べないえみ子をキリコは止めるが、それによって病気で容姿を奪われてしまったえみ子の深い闇が見えてくる。 キリコはえみ子に、“死”が暗い絶望から抜け出す選択肢となりうることを提示した。だが、その存在が逆にブラック・ジャックの生への執着を浮き彫りにしていく。えみ子の家になんとか入り込んで、キリコには「彼女は俺の患者だ」と言い張り、自ら死を選ぼうとするえみ子を助けようとし、明夫には「どうせ生きるなら彼女がいる地獄といない地獄、どっちがいいんだ」と迫る。ブラック・ジャックの姿は、とても先ほどまで“悪魔”な姿を見せていたとは思えない。 キリコは、全身が白で覆われている。これはきっと白、つまり無となることが”生きるという絶望からの救い”になるという信条の象徴だろう。一方のブラック・ジャックの黒は、”生きるという地獄の苦しみ”を示しているのだろうが、彼はきっと闇が深い分、その先に見えてくる光の強さがより鮮明になることを知っている。この2人の存在や行動、“生死”に対する考え方の違いが、私たちが人間である意味、生きる意味を問うている気がしてならない。 手塚治虫の同名漫画が24年ぶりにテレビドラマ化された本作。観終わった後にこそ考え込んでしまうような、この感覚が世代を超えて引き継がれることにも、何か意味が生まれるのだと信じたくなるような作品だった。
久保田ひかる