4月6日に「偲ぶ会」が開催予定…遺志を継ぐ“愛弟子”が明かす「今だから話せる男・山根明との秘話」
1月31日に亡くなった日本ボクシング連盟の前会長・山根明さん(享年84)。“男・山根”の訃報に、1ヵ月が経過した今も偲ぶ声が上がっている。そんな中、山根さんが設立したWYBC(ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ)の高橋知哉(WYBC ・WBF世界ヘビー級チャンピオン)が2月22日に記者会見を開き、自身が新会長に就任すると発表した。山根さんからは生前、「ワシにもしものことがあれば、お前が会長としてやっていけ」と告げられていたという。 【超貴重】すごい…!美人妻と共にカメラに向かってポーズを決める故・山根明会長…! 山根さんの遺志を継いだ高橋。会見から数日後、改めて自身の胸中を語った。(以下、「」内の発言はすべて高橋) 「僕が世に出られたのは会長のおかげです。僕は昔、脳の検査で影が見つかり、JBC(日本ボクシングコミッション)のプロテストさえ受けられなかった。僕のようにフリーで活動するしかないプロボクサーは日本にたくさんいます。そんなヤツらが日本で戦える環境を作るため、会長はWYBCを設立してくれたんです」 設立当初の理念を守り、引き続き、「若い子が輝ける場所を作りたい」とも語る。実際に若いスター選手を発掘する大会を、年内にも開催するという。 「会長と出会って、今までで一番喜んでくれたのはWBF(世界ボクシング基金)のチャンピオンになったことです。亡くなる数日前にベルトが届き、会長からベルトを贈呈してもらいました。はっきりと会話ができる状態で話したのは、それが最後でした」 WBFとは、過去にイベンダー・ホリフィールドやマイク・ベルナルド、そして日本では西島洋介が世界チャンピオンに輝いた名誉あるタイトルだ。ただ、それ以外に山根さんが喜んだ理由がある。実はWBFの日本誘致に関係した人物が、日本一の武闘派ヤクザと恐れられた柳川組の柳川次郎初代組長。三代目山口組の若中も務めた人物だが、山根さんが自著『男 山根:「無冠の帝王」半生記』で明かしたように、二人は昵懇の間柄だった。柳川組長は「ヤクザには絶対になるなよ。お前はアマチュアボクシングの世界で生きろ」と山根さんを諭し、一線を引いたという。 「病室ではこんな裏話も明かしてくれました。『他のボクシング事務所がWBFを日本に入れようと尽力した。でも実現しなかった。それを柳川組長が入れたんだ』と仰ってました。そんな思い入れのあるWBFのチャンピオンに僕がなったことで、世界に向けてアピールできる。設立したWYBCの団体名に『W(ワールド)』を入れたのも、今こうして繋がってくるとも言ってました。 そんなWBFで、’20年の興行はコロナの最中で、無観客で試合を決行しました。その時に僕がWBFの世界ヘビー級4位の対戦相手と戦って勝利した。それが防衛戦となったんです。晩年に会った時は、『あのタイトルマッチがなければ、こうしてこの団体(WBF)のベルトをお前に渡すことができへんかった。凄いことやぞ』と会長はしみじみ語りながら喜んでました」 WBFからはラスベガスやタイでの防衛戦の打診があると言い、日本開催も含めて協議を重ねていくそうだ。 「会長と出会って約5年になりますが、WBFのベルトだけです、褒めてもらえたのは」 山根さんから激怒された思い出のほうが圧倒的に多いという。最も記憶に残るエピソードとして高橋はこんな秘話を教えてくれた。 「印象深かったのは、WYBCの関係で義理をかく人がいたんです。あまりにも腹が立ったので僕は『カタをつけにいく』と、会長に直談判したんです。この団体に参加した時から、何かあれば僕の人生を背負う覚悟を決めていましたから。でも、会長にはめちゃめちゃ怒られましたね。『知哉、ええ加減にしときや。お前が終わってまうで。ボクシング、できんようになる』と。この時、初めて言い返したんですが、それでも首は縦に振りません。『絶対にあかん』と頑なでした。 今では会長の判断が正しかったというのがよくわかります。あと、僕のことを思って本気で怒ってくれたこともわかります。何度か怒られた経験はありますが、次に会った時は決まって優しく接してくれました。会長を慕う人が多くいたのも、人の心理を読み取って細かな対処や配慮ができたからだと思います」 4月6日には「偲ぶ会」(京都・KBSホール)を開催。数百人規模の予定で、山根さんと生前に親交があった方を中心に招待状を送るという。SNSなどを通じて生中継も行う予定で、ファンとの最後のお別れとなる。 取材・文・PHOTO:加藤慶
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