映画『まる』はファンタジーだが、描かれる時代の気分は実にリアルだ──堂本剛主演で10月18日に劇場公開
堂本剛主演の映画『まる』が、10月18日に劇場公開する。アートを題材に、現代社会の「祭り上げ」や「こき下ろし」に鋭く切り込んでいく意欲作の見どころを、ライターのSYOがレビューする。 【写真を見る】堂本剛、綾野剛、吉岡⾥帆、森崎ウィン、ほか
堂本剛、27年ぶりの映画主演
堂本剛が『劇場版 金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来27年ぶりの映画主演を果たした『まる』が、10月18日に劇場公開を迎える(「.ENDRECHERI.」名義で初の映画音楽も担当)。本作は『かもめ食堂』『彼らが本気で編むときは、』『波紋』ほか、独創的な作品を多く手掛けてきた荻上直子監督によるオリジナル作品。タイトルの通り「まる(丸)」にとりつかれた人々を描く寓話的な作品だ。綾野剛、吉岡里帆、森崎ウィン、柄本明、小林聡美といった豪華な面々がビジュアルからして個性豊かな面々に扮している。 美大を卒業するも食っていけず、人気現代美術家・秋元(吉田鋼太郎)のアシスタントをしている沢田(堂本剛)。だが実際はいいようにこき使われており、アシスタント仲間の矢島(吉岡里帆)は「搾取だ」と怒りを募らせている。そんなある日、自転車事故に遭い利き手を怪我した沢田は、あっさりクビに……。帰宅し、室内にいたアリを見ながら何の気なく描いた○の絵を骨董品屋に預けたところ、知らぬ間に“大バズり”し時代の寵児としてもてはやされていく──。 アートを題材に、現代社会の「祭り上げ」や「こき下ろし」に鋭く切り込んでいく本作。怪し気なアートディーラー・土屋(早乙女太一)に突然“価値”を与えられ、○の絵が飛ぶように売れて勝手に意味を与えられ、神格化されていく流れはなかなかにおぞましく、序盤から中盤はただただ戸惑う沢田の姿が痛々しい。堂本剛のキャスティングが絶妙で、変に「芝居」をせずそこに存在することで、エスカレートしていく周囲との対比が存分に伝わってくる。 沢田の社会的ステイタスが上がっていくことで変容していく周囲の滑稽さを、個性派の俳優陣が演じきっている。沢田と同じ「悩めるアーティスト」だったはずの隣人の漫画家・横山(綾野)が嫉妬から壊れていったり、美大時代の同級生・吉村(おいでやす小田)が急にすり寄ってきたりと、人気(とそこに付随する金)が作り手たちをも狂わすさまがシニカルに描写されているのだ。 そこから導き出されるのは、信仰・格差・搾取といったテーマ。冒頭から『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」と沢田がつぶやき、「法隆寺を建てたのは聖徳太子ではなく大工だがスポットが当たることはない」と、権力者と労働者の格差が語られるなど、歴史に裏打ちされた日本人の特性を皮肉たっぷりに炙り出していく。 たとえば、コンビニで働いているミャンマー人のモー(森崎ウィン)の発音をバカにしたり、搾取と格差について街頭スピーチを行う矢島が「寿司を食べたい!」と叫ぶ姿を揶揄したり、といった視点には、荻上監督の痛烈なまなざしが光る(現実の事件を想起させるアートテロのシーンや、いつか起こる大地震に怯える世界、という設定も効いている)。 アーティストの在り方についても、ギャラリーオーナーの若草(小林)は「売れないアーティストに価値はない。求められるものに応えるべき」と言い、土屋は「欲に満ちていてはダメだ」と真反対の主張を行うなど、沢田を振り回していく。世界的なアーティストが「自分たちはペット」と語るシーンもあり、「ただ絵を描きたい」という沢田とのズレが露わになる。 そもそも社会(とシステム)に上手くコミットできなかった結果、食いっぱぐれてしまったのが現状の沢田なわけで、流されるまま生きてきた彼が売れるために「信念を捨てる(拝金主義化する)」か「信念に殉ずる」かどちらの選択を行うのか?が終盤のキーになってゆく。 ただ、「芸術は不要不急」と言われたコロナ以降の社会においては、より不条理性が浮き立って見えるのも確か。今放たれる、えぐみの詰まった寓話──。本作はファンタジーだが、ここに描かれる時代の気分は、実にリアルだ。