“縄文時代の技術はすごかった” 札幌・赤れんが庁舎でセミナー
「骨」から当時の生活をみる
そして、2部は動物考古学が専門の高橋理さん(千歳市教育委員会埋蔵文化財センター長)が講師を務めた「古代人と動物たち 迫った・食べた・祭った」。こちらのテーマでは、縄文時代の人々がどのように動物と付き合っていたのかが紹介されました。 動物考古学において大切なのは「骨」。動物の種類・行動の手がかりとなるのが、この「骨」の存在です。頭蓋骨などの大きな骨からは食性がわかり、耳石(じせき)と呼ばれるヒトにとっての三半規管にあたる小さな骨によって、縄文時代の人々がどんな魚を捕獲していたかがわかるそうです。歯からは、動物の年齢やいつ捕獲されたかが分かります。遺跡から出土したこれらの骨を総合的に分析し、どのような生活が送っていたのかが判明します。 旧石器時代から縄文時代に移り人口が増加、遺跡数も7000超から9万超へと急増しています。これは、動物を追いながら移動し続けていた生活から定住化が進んだことへの証明でもあります。その中で、縄文時代に人々がどのような食生活を送っていたのかがわかるのが貝塚です。 この貝塚の存在により、豊富な水域資源(海・河川)を積極的に利用し始めたことがわかっています。貝塚の特徴としては、普通の地層では腐食してしまう骨がそのまま残っていることが多いこと。なんと日本近海にいるといわれている1000種類の魚のうち700種類以上の魚の骨が見つかっていることで、当時から多くの種類の魚を食用として、そして祀り用として活用していたようです。北海道を代表する魚・サケの骨も複数の遺跡から見つかり、縄文時代からのお付き合いであることが証明されています(ヒグマの足跡も!)。 また縄文時代の北海道には今は野生ではいないイノシシもいて、骨の傷から肉・腱を積極的に利用していたこともわかりました。また貝塚からは埋葬されている人骨も発見され、祀りにも使われるようになったということです。 セミナーの前後には迫力いっぱいの縄文太鼓のパフォーマンスもあり、200人近い観衆から大きな拍手が沸き起こっていました。ちなみに会場となった道庁赤れんがは「北海道庁旧本庁舎」のことで、1888(明治21)年に建設されたアメリカ風ネオ・バロック様式の建物。札幌市時計台と並び多くの観光客から愛されている場所ですので、札幌を訪れた際にはぜひ立ち寄っていただきたい場所です。 (ライター・橋場了吾)