【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】 東京六大学野球の2年先輩・土井淳が語る"ミスタープロ野球"③
土井 そうだったね。あの頃、バッターが打つのを途中でやめた時、審判がハーフスイングをなかなか取ってくれなかったんだよね。「完全に振ったよな」という時でも、長嶋はパッとバットを戻すのがうまかった。審判はそれにごまかされる(笑)。 ――1球の判定で試合の流れが変わることもありますね。 土井 そこで俺は考えたんだよ。「スイングを取ってくれないんなら、ファウルチップしたことにしてやれ」と。長嶋がハーフスイングした時にボールがバットにかすったような音を立てようと考えた。 ――そんなこと、できるんですか。 土井 うまくできないから、ひとりで練習したんだよ。「バッ」と「ブッ」とか、いろいろな音を自分の口で出せるようにして、スイングの瞬間に重なるようにやってみた。 やっとできるようになったんだけど、試合中にはマスクをしているからうまく音が出せない。だから、マスクをしたままで練習したもんだ(笑)。 ――土井さんが特別に考えたその「長嶋さん対策」を実行する機会はありましたか? 土井 1回だけ、うまくいったことがある。長嶋のスイングにうまくタイミングを合わせて「ブッ」と音を出したら、球審が「ストライク」と言ってくれた。 ――その時の長嶋さんは? 土井 「いや、バットに当たってないよ」と球審に抗議していたね。それはそうだよ、実際には当たってないんだから(笑)。球審に「ファウルチップだ」と言われて、不思議そうな顔をしていたな。長嶋は、「土井さん、当たってないよね?」と聞いてくる。 ――土井さんはどう答えましたか? 土井 「ううん、ファウルチップしたよ」とウソついて、ごまかした。俺はとぼけるしかない(笑)。たったひとつのストライクを取るために、それくらいのことをしないといけないバッターだったね。だけど、そんなことばっかり考えているとほかのことがおろそかになるから、それ以降はやらなかったけどね。 それくらい、長嶋がすごかったということだよ。 第4回に続く。次回の配信は11/16(土)を予定しています。 ■土井淳(どい・きよし)1933年、岡山県生まれ。岡山東高校から明治大学に進学ののち、1956年に大洋ホエールズに入団。岡山東、明治の同級生で同じく大洋に入団した名投手・秋山登と18年間バッテリーを組んだ。引退後は大洋、阪神にてバッテリーコーチ、ヘッドコーチ、監督を歴任。スカウト、解説者を経たのち、現在はJPアセット証券野球部の技術顧問を務めている。 取材・文/元永知宏