本州の児童がわざわざ通学「ここにしかない魅力がある」過疎化進む離島の希望 復興へ思いはせ #知り続ける
▽「若者がいないと地域は終わる」 早朝、野々島の桟橋にいると、船を下りた子どもたちから「おはようございます!」と元気な声が響いた。地域で唯一の浦戸小中学校は、38人の全校児童生徒が仙台市などから通う島外出身者だ。 「若者がいないと地域は終わる」 約20年前、少子化に歯止めがかからず、遠藤さんや内海さんら住民は学校存続を求め、行政に掛け合った。協議を重ねた末、学区外からの受け入れが始まった。 豊かな自然や少人数授業が魅力となり、震災後も越境入学希望が絶えない。2023年度は島在住の子どもはゼロだ。 遠藤さんは「学校を残した責任がある」と言う。カキむきやカヌー体験で島民は講師となり、頼みがあれば本土まで給食を取りに行く。「学校で困ったことや協力依頼があったら、とにかく動くようにしている。地域の住民は少しずつ減っているけど、そんな中で子どもたちの声は宝だ」 島の文化を学ぶ生徒児童に加え、近年は地域おこし協力隊として漁業を担おうとする移住者もいる。島民にとって、次の世代は希望だ。「若い世代が俺たちの伝えたことを覚えていてくれたら」
▽故郷への気持ちつづった島の詩 最後に寒風沢島を訪れた。日が暮れる頃、真新しい防潮堤が建つ海岸で、ギターの音色が響き渡る。昨年、地域おこし協力隊として移り住んだ吉田夢さん(30)だ。「島で力強く生き抜いてきた人たちに触れたい」 宮城県多賀城市の出身。震災当時は、合唱やボランティア関係の部活動に所属する高校生だった。海のそばの活動場所に着いたとき、地震が起きたという。塩釜市の学校に避難したが寒さに震えた。津波で家が壊れ、知人宅でしばらく過ごした。 「何が何だかわからず、ただ生きているだけのような感じだった」 卒業後、地域の合唱団に加入。「もっとつらい思いをしている人を元気にしたい」と、復興を願うコンサートなどで歌い続けてきた。その中で、震災により島を離れる住民への思いを描いた曲の存在を知った。 その歌詞は桂島の女性が避難所生活の中でつづった詩から生まれたという。「こういう歌があることで、忘れずにいられる。それもまた復興の一つなのかな」
この詩を書いた女性は3年ほど前に亡くなったが、復興支援の催しなどで今も多くの人たちに親しまれている。歌う一人として、吉田さんが思いを語った。 「浦戸に住んでいるからこそ、(曲に込められた)想いを歌い継いでいかなければいけない」