マジメに見えて遊び人!? 『山月記』作者・中島敦の「虎よりも肉食系」な恋愛テクニック
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」に振り回されて虎になってしまう……という小説『山月記』は教科書でも馴染み深いが、その作者・中島敦は、虎よりもケダモノのような恋愛遍歴を重ねていた。どういうことか、見ていこう。 ■2人の女性と同時並行で付き合う 高校時代に現代文の授業で『山月記』を読んだことをきっかけに、文豪・中島敦の名前を知った人も多いでしょう。作中で虎になってしまう主人公・李徴は、「妻子よりも、詩業を先ず頼むような男だから獣に身を堕とす」と自嘲しますが、中島本人も、スーツに丸メガネのいかにも生真面目そうな肖像写真とはうらはらに、欲望のままに生きる虎のような男でした。 後に彼と結婚することになるタカは、麻雀大好きの中島が入り浸っていた雀荘の従業員でしたが、タカいわく「出会って一週間目くらいでしたか、(中島に)いきなり抱かれました」。そのあと中島から「結婚してくれ」といわれ、なし崩し的に二人は結婚してしまったようです。 しかし、タカによる後年の回想を文字化した『思い出すことなど』(『中島敦・光と影』)によると、タカと仲良くなる前に中島が手出ししていた、その名も「パン子」というあだ名の女性(本名・清子)とも同時並行的に付き合い続けていたようですね。 ■ほかの女と抱き合う姿を見せつける 中島はタカを抱く前に、とある儀式を行いました。中島とパン子が「ベッドの上で抱き合っている」姿を、タカに見せつけたのです。タカの回想では詳細がボカされ、これが中島によって意図的に行われた行為かどうかの判別は尽きませんが、おそらく、中島は密かに好意を抱いているタカの反応を見て、いきなりセックスに持ち込んでよいのかをテストしていたのでしょう。 ずいぶんと慣れた態度のように見えますが、もともと中島敦は神経質そうな外見に反してけっこうな遊び人で、東大3年の頃にはすでに色街に出入りしていたことも旧友の証言から判明しています(田鍋幸信編『中島敦・光と影』~山崎良幸『中島君を憶う』)。女性とはデートを重ね、距離を詰めるより、いきなり肉体関係を始めるほうが得意なタイプだったような気がします。 中島はその後、パン子と知り合いの男性と、タカを自分の下宿に呼んだそうです。この時、タカには蛇のおもちゃを投げつけ、驚いたタカが手に持っていた「婦人公論」の雑誌を落としたとか。 えげつない性の逸話の次にタカが回想しているのがこの他愛無い話ですが、実際のところ、タカとパン子の二人を競わせるようにして付き合っていたようです。タカもパン子に強い競争心を持っていたことが、彼女のことを本名の「静子」ではなく、おそらく誰とでも寝る女という意味が含まれている「パン子」というニックネームで呼び続けているところからも明らかなようで、興味深いのです。若い読者のために説明しておくと、戦前戦後まもない日本では娼婦のことを「パンパン」、「パンすけ」などと呼んでいました。 最終的に中島を勝ち取り、結婚の約束を実行させたタカですが、結婚後も中島の複数女性と同時並行的につきあう悪癖は改まらず、子どもがいなければ離婚していたというのが本音だったようですね(『中島敦・光と影』~中島タカ「思い出すことなど」)。
堀江宏樹