藤岡弘、芸能界を選択した4人の子どもへの思い 父親としての矜持「親の背中を見て子は育つ」
自分の意志で芸能界に進んだ子どもたち「お父さんが経験してきた世界を見たい」
――YouTube撮影の舞台裏は。 「全てぶっつけ本番です。子どもの聞くことに答えて、私の俳優としての経験や武道の話など、何でも話しています。(親子で)愛読書も似てくるんですね。お話したように、私は本を読むと線を引きまくって“メモ魔”になりますが、それを家族も読むようになって『親の背中を見て子は育つ』を実感しています。だから、『いついかなる時も、子どもに見られている自覚を忘れずにいること』が世に生きる大人の責務だと強く思います」 ――「親の背中を見て子は育つ」と言えば、お子さんは4人とも芸能界の道を選びました。 「私が『俳優になれ』と勧めたことは全くありません。5年前に初めてテレビ出演のオファーがあった時(日本テレビ系『人生が変わる1分間の深イイ話』)も、私としては『ついにマスコミに知られたか』が本音です。家族の意志を改めて問いました。『ここで断ってもいずれは世間にバレるだろうし、どうしても藤岡弘、の息子や娘として騒がれることになるが、それでも良いか』と。乗り気だったのが次女と三女ですが、長男も妹たちを守りたかったのか『何を話すか分からなくて心配だから』と言って、出てくれることになりました」 ――長女の天翔愛さんはその時、番組に出演していませんでしたね。 「彼女は『お父さんのネームバリューはいらない。私は自立した道を行きたい』と言ってくれました。ところが、彼女は彼女で高校3年生の時にエイガワールドカップでグランプリを獲ってきました。娘から電話がかかってきて『私、最優秀女子演技賞を獲ったから表彰式に行ってくる』と聞かされるまで、応募していることすら知りませんでした。審査員の方も私の娘であることは知りませんでしたが、ニュースになったので『長女のことも公表しよう』となりました」 ――『夢唄』という作品で、愛さんにはまだ芸名もなく、一般人としての出演でした。 「4人全員が公の場に出て、改めて家族会議で進路を話し合いました。すると、4人とも『映像の仕事がしたい』と言いました。『1人くらい別の道を希望するかも』と思っていたのですが、『お父さんが経験してきた俳優の世界を見たい』と決断してくれたようです」 ――俳優、武道家、国際人、それに4人の父親と、豊かな人生経験から次の世代に伝えられることも多いかと思います。 「私は『学問と実践は表裏一体』を人生の中で実感してきました。日本の伝統として学んできた吉田松陰の“知行合一”の思想に通じるものです。世界を旅して、難民支援やボランティアを行ってきますと、日本では絶対に見られない悲惨な世界やさまざまな修羅場を目にしてしまいます。まさしく目から鱗が落ちる体験をしてきて、家族にも伝えてきました。私の武道では真剣も扱っていて、簡単そうに見えてとても稀有な体験、経験を子どもたちに伝えてこられたと思います。そして、夢を大切にすることも伝えました。インターネットで動画を見るにも、夢や希望が持てないジャンルは外します。人生で、ネガティブなことに余計なエネルギーを費やされたくはありません。夢を持ち、生半可ではない価値のある経験を積む。私にとっての武道や親、先祖から学んだ伝統のように“大切な軸”を持つこと。これからも人生を通じて、未来のためにメッセージを残していくつもりです」 □藤岡弘、(ふじおか・ひろし、)1946年2月19日、愛媛県生まれ。65年に松竹映画でデビュー。71年にNET系列『仮面ライダー』で仮面ライダー1号・本郷猛役で人気を得る。その後、映画『日本沈没』『野獣狩り』『野獣死すべし』『大空のサムライ』など多数の映画で主演。84年には、米映画『SFソードキル』で主演。武道家でもある。長男は俳優・藤岡真威人、長女は俳優・天翔愛、次女は俳優・モデルの天翔天音、三女は俳優・モデルの藤岡舞衣。180センチ、血液型O。
大宮高史