谷川俊太郎さんの足跡 青森県内ゆかりの地からも悼む声
老衰のため亡くなった日本を代表する詩人 谷川俊太郎さんです。 県内のゆかりのある場所からも悼む声が届いています。 40年以上国語の教科書に掲載された『生きる』など多くの詩を手がけた谷川俊太郎さん。 親族によりますと、今月13日、老衰のため92歳で亡くなったということです。 谷川さんは青森が生んだ奇才、寺山修司とも親交がありました。 三沢市の寺山修司記念館には、谷川さん宛ての手紙の写真が収蔵されています。 寺山は大学生の時に出会った谷川さんのすすめでラジオドラマを書き始め、その後結婚式にも招待するなど公私ともに付き合いがあったといいます。 ★寺山修司記念館 佐々木英明館長 「寺山さんを世に出してくれたという意味で恩人だというのがありまして、やっぱり尊敬するというか敬愛する人でありました」
谷川さんは全国の学校で校歌の作詞も手がけていました。 弘前中央高校もその1つです。 ♪「ふるさとの春夏秋冬 かけがえのない日々を生きよう」 1969年につくられた前の校歌も谷川さんの作詞で、50年以上谷川さんの言葉が歌われ続けていました。 ★弘前中央高校 島元力 校長 「たいへん驚きましたし残念に思っています」 「(生徒たちが)これから大人になっていくなかで自分の母校の校歌は谷川さんなんだということで校歌もそうですし、母校にも誇りを持ってくれるのではないかという点でひじょうに感謝しています」 葬儀は近親者のみで執り行われ後日、お別れの会が開かれる予定だということです。