【元宝塚トップスター和央ようかさん】が結婚して変わったこと|美ST
輝き続ける宝塚OGの美しさの秘密を“素化粧”から紐解きます。今回のゲストは6年以上にわたり宙組トップスターを務め、芸能生活35周年を迎えた和央ようかさん。旦那さまの作曲家ワイルドホーンさんとハワイで暮らす和央さんのナチュラルビューティ生活について伺いました。
周りの評価を気にせず自分らしく。宝塚時代に身につけた“鈍感力”は今も生きています
お話を伺ったのは……和央ようかさん 《Profile》 大阪府出身。ミュージカル部に在籍していた高校時代に宝塚初観劇し受験。1988年、74期生として入団し雪組に配属。早い時期から注目され、1998年宙組創設メンバーとして組替え。2000年トップスターに就任。6年を超えるトップ在任期間は平成以降の最長記録。2006年『NEVER SAY GOODBYE- ある愛の軌跡-』で退団後も、舞台をはじめさまざまなメディアに挑戦。2015年、ミュージカル『ジキル&ハイド』、ホイットニー・ヒューストンの楽曲など数々の名作を作曲したフランク・ワイルドホーン氏と結婚、米国を拠点に活躍の場を広げている。
―宝塚時代から変わらずスレンダーなプロポーションをキープされています。その秘訣は? ピラティスと水泳をずっと続けています。疲れがとれて気持ちが整うし、鍛えるというよりも、小さな筋肉を作ってくれます。目指すのは凛とした女性。トレーナーにイメージを伝えて体作りをしています。あと、常に己を知ること。一日に20回くらい体重計に乗りますね。一泊旅行でも必ず体重計は持参。私、ダイエットができないんですよ。食べるときはしっかり食べる。でも3日以内に調整すればこの年齢でも戻るんです。だからこまめにその時の状態を知るようにしています。 ―ハワイに拠点を移されてからの生活はいかがですか? 結婚式を挙げたのもハワイでしたし、元々ハワイは私たちの生活の一部でした。コロナ禍によってNYでアジアンヘイトの動きが見え始め、夫のフランクが危険を感じて移住を決めたんですが、自然に囲まれているとシンプルに生きられる。浄化されていくのを感じます。すべてを受け入れ、すべてを許し、そして手放すことを学びました。フランクとも「毎日がギフトだね」と話しています。 ―作曲家のフランクさんと結婚されて、音楽との向き合い方は変わりましたか? フランクは無音では生きていけない人。朝から大音量でロックを流すこともあって、たまに「音量下げてください」とお願いすることも(笑)。でもあらゆるジャンルの音楽が身近にあるのはラッキーだし、音楽はピュアに楽しむものということを学びました。譜面通りでなくてもいい、もっと自由に表現していいんだと。 ―宝塚ではもっと型にはまることを意識されていた? 男役の型にはまりきれず悩んでいた時期はありましたね。伝統的なアピールがかっこよくできなくて。抜け感のある男性のほうが魅力的だと思っていたので、ある時からかっこつけるのをやめたんです。そこから和央ようかの男役ができていきました。 ―独自路線を築く過程ではプレッシャーもあったのでは? そうですね。だから負けないために鈍感力を身につけました。一番それを意識したのは2番手からトップになったとき。すべての責任を負うトップの立場を考えて萎縮しちゃったら、それまでの自分の良さが出せなくなってしまう。だから「これまでと違うのはフィナーレで背負う羽根だけ。誰も見てないし期待していないから大丈夫」と自分に言い聞かせ、周りの評価を気にせず自分らしくあろうと。その鈍感力は今の生活にも生きています。NYでセレブリティの方々と英語で社交するのはそれなりにプレッシャー。でも自然体のままの私でいたいと思っています。 ―最後に、和央さんにとって“美しく生きる”とは? 自然と人に感謝してしなやかに生きること。ハワイに住むようになって、神様っているんだなって思うようになったんです。自然に感謝の気持ちがあふれてくる。「ありがとう」という気持ちを表すことが人生を豊かにしてくれる、そんな気がしています。
和央ようかさんからのメッセージ
「アメリカでは“中も外も美しい”というのが最高の誉め言葉。ハワイでの暮らしはその両面を磨いてくれる気がしています。世の中のすべてに意味があると思えるようになりました」 《衣装クレジット》 スーツジャケット¥115,500 パンツ¥68,200(ともにEMPORIO ARMANI)イヤーカフストーン入り¥25,300 同シルバー¥16,280(ともに KNOWHOW)靴/参考商品 スカーフ/スタイリスト私物 2024年『美ST』1月号掲載 撮影/八木淳(SIGNO)〈人物・静物〉 ヘア・メイク/CHIHARU スタイリスト/清水恵子(アレンジメントK) 取材/稲益智恵子 編集/石原晶子