戦争の恐ろしさ伝える機銃掃射跡 大阪・柴島浄水場の一角
戦争の恐ろしさ伝える機銃掃射跡 大阪・柴島浄水場の一角
大阪市東淀川区の阪急京都線・崇禅寺駅付近では現在、高架工事が行われている。その様子を写真に撮ろうとした際、目の前にある柴島浄水場前の歩道沿いに崩れた壁の一部のようなものと立て看板が設置されていた。その看板には「柴島浄水場壁面の空襲による弾痕」と書かれている。 【拡大写真付き】残された校舎の壁が伝えるもの 大阪・北野高校の機銃掃射痕
同区が2015年に発行した冊子「戦後70年わたしの東淀川遺産」によると、同区の区域が最も大きな被害を受けたのは、1945年6月7日の第3次大阪大空襲だったとされ、崇禅寺駅や近くの柴島駅、淡路駅周辺で大きな被害を受けたという。 崇禅寺、柴島両駅、同浄水場も上下水道機能が停止するほどの大きな被害を受け、浄水場近くにある大阪市北区との間に架かる「長柄橋」では、大型爆弾や機銃掃射で、橋の下に避難していた約400人が犠牲になったと記されている。
崇禅寺駅前の同浄水場外側に設置されている壁面には、大きなへこみが確認できる。立て看板には「六月七日の空襲は激烈をきわめ、一トン爆弾や焼夷弾が雨あられと降りそそいだ。米軍機はさらに低空の機銃掃射を繰り返し、浄水場の崇禅寺駅側側面に弾痕が約五十メートルにわたり残された」と記されている。 また「この弾痕は空襲に倒れ、傷つき、死んでいった物言わぬ多くの人々への生き証人として、私たちに語りかけている」とも記されている。この機銃掃射による大きなへこみは、生き証人として静かに、戦争の悲惨さを伝えていく。