『虎に翼』革新的だった“男らしさの呪い”からの解放 花岡と轟の人物造形に込められた思い
『虎に翼』は、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)をはじめとして、彼女が明律大学女子法科で出会う学生たちや、女学校の同級生で兄嫁の花江(森田望智)など、さまざまな女性たちの生き方に焦点をあててきた。 【写真】『虎に翼』の名シーンのひとつ 轟(戸塚純貴)とよね(土居志央梨)が名コンビとなった瞬間 その中には、彼女たちがかけられた「呪い」のようなものも描かれていた。 しかし、このドラマを観ていると、「呪い」にかけられているのは、なにも女性たちだけではないことが分かる。男性たちも、「自分たちはこうでなければならない」という「呪い」を自分で自分にかけているのだ。 真っ先に思い浮かぶのは、明律大学法学部で寅子が出会った花岡悟(岩田剛典)である。 寅子たちが初登校の日、花岡の寅子たちに向かっての第一声は「やあ、ごきげんよう!」だ。寅子たちに対して、「本当に尊敬してるんだ、あなたたちのことを」とか「あなたがたはいわば開拓者」と、あまりにもスマートにレディーファーストで扱ってくれる花岡に、臨戦態勢で挑んだ女子部の面々も、しばし惚けてしまう様子がコミカルに描かれていた。 しかし、花岡には反対の面があることも描かれる。男子学生だけで話しているときには、「(カフェでちやほやしてきた女性がいたため)女ってのは優しくするとつけあがるんだ、立場をわきまえさせないと」と、寅子たちの前とは真逆の姿を見せる。 寅子たち女子部の面々と、男子学生たちが共にハイキングに行ったとき、さらに事件は起こる。梅子(平岩紙)の夫に愛人がいることをめぐって、寅子と花岡は口論になる。花岡は、家族を養い、社会の荒波にもまれて、役目を果たしていれば、婚外で女性とつきあっていても、むしろ家庭円満だという持論を展開。すると寅子は、「私たちの学びと女遊びを同列に並べないで」と憤り、果てに花岡を間接的に崖下に突き落としてしまうのだ(「女遊び」という言葉は、男性が使うのであれば、その加害性をあぶりだしているので納得がいくが、女性キャラクターがその言葉をそのまま使うことにはひっかかりがあるが……)。 ただ、後になって花岡が失礼なことを言ってしまった梅子に面と向かって謝罪をする中で、自分の気持ちを吐露するシーンがある。花岡が、ときおり女性に偏見を向けてしまった背景には、故郷の佐賀で立派な弁護士にならなければいけないというプレッシャーもあり、「仲間になめられたくなくて、わざと女性をぞんざいに扱ったり」「皆さんを尊敬しているのに、無駄にカッコつけたり、将来の数少ない椅子を奪われるようで、ねたましくて、恐ろしく思ってしまったり」したからであった。自分の気持ちを素直に半べそをかきながら告白する表情が子どものようで強く印象に残っている。 このシーンには、男性が「こうあらねばならない」と思っている「呪い」と、その「呪い」に気付いて、弱さを吐露するという二つの意味があった。ここまで素直に「男らしさの呪縛」に気付いて、男性自身が言語化するドラマがあっただろうかと思えるくらいだ。 このドラマで、「呪い」を解かれる男性は花岡だけではない。轟(戸塚純貴)も解き放たれるキャラクターだ。 彼は、はじめての登場シーンでは、「男と女がわかりあえるはずがないだろう」とか「人類の歴史をみればわかる。男が前に立ち、国を築き、女は家庭を守るんだ」と偏見バリバリのことを女性たちに向けてまくしたてる。女子部と男子たちが共にハイキングに行くことになったときも、轟が「女は男と違って体力がないからな」と言うと、山田よね(土居志央梨)は、それまでハイキングに行くことを渋っていたのに「行く! お前より早く登りきる」と敵対心をむき出しにする。このようなシーンは、ふたりがよき仕事上のパートナーとなっている今となっては微笑ましい。 しかし、轟は寅子たち女子部の面々と接することで変わっていく。轟が「いい奴」なのが垣間見えたのは、花岡が「女ってのは優しくするとつけあがるんだ、立場をわきまえさせないと」と男子学生だけで話していたときのことだった。これまでは、女性に偏見のあった轟が、その言葉を「撤回しろ!」と何度も何度も花岡に詰め寄るのだ。 その後、轟は入院している花岡が、自分を突き落として入院をさせた寅子のことを法的に訴えようとするが、そんな花岡を平手でぶち、「思ってもないことをのたまうな。ここには俺しかいない、虚勢を張ってどうする」と告げる。この言葉があったからこそ、花岡は梅子に素直に自分の気持ちを打ち明けられたのだろう。 戦後、轟は、花岡に思いを寄せていたことにも気付き、そして後に同性のパートナーと交際することにもなる。 後半、轟が過去の自分を寅子との会話の中で振り返るシーンがあるが、そこでも花岡のように、轟は自分の気持ちを素直に吐露していた。彼は、寅子に向かって亡き花岡に寄せていた気持ちを正面から語るのである。そうできるようになった背景には、よねの「あたしの前では強がらなくてもいい」という言葉があったからだった。 男性たちにかけられている「呪い」の中には、「強くあれ」とか「優秀であれ」とか「家を守れ」というものがあるとも思えるが、もうひとつ「心を見つめて言語化するのは女性のすることであるから、男性はそんなことはするな」というものもあるのかもしれない。 花岡も轟も、自分の心の声に耳を傾けて、その声を言葉にしていたシーンがあり、そこにいつも心を持っていかれた。それは彼らが「呪い」を解いたシーンだったからなのかもしれない。
西森路代