『ドラゴンボールDAIMA』声優“交代”の評価は? 長寿作品ならではの戦略を考察
長寿作品ならではの“声優変更問題”への回答
では、肝心の技量に関してはどうか。この点においても、完璧といって差し支えないだろう。例えばベジータ(ミニ)役の三野雄大は、オリジナルキャストの堀川りょうの溜める息づかいなどの演技の特徴を掴んでいる。ピッコロ(ミニ)役の山口智広も、オリジナルキャストである古川登志夫を彷彿とさせる声質を披露しており、ブルマ(ミニ)役の中原麻衣は、オリジナルキャストである鶴ひろみの、少し語尾を伸ばす演技などを継承している。『ドラゴンボール』キャラのモノマネをするお笑い芸人もいるが、本職の声優らしく、単なるオリジナルの真似をするのではなく、特徴を掴みながらも、幼い声質という点を意識して演技している。 筆者は以前に『ドラゴンボールDAIMA』の第1話を分析した記事内で、「原作前半の持つ冒険要素を重視したのでは」と考察した。それも間違いではないだろうが、むしろ各キャラクターが幼くなった制作上の意図は声優変更にあったのではないだろうか。『ドラゴンボール』シリーズを長い期間愛される作品にするためには、声優変更の問題から逃れることができない。 しかしここで幼いキャラクターを間に挟むことにより、新しいキャストたちと同時に、シリーズを愛するファンたちにも慣れる期間を与えてくれている。いつかは本格的にキャスト変更を行うときが来るのだろうが、その際も『ドラゴンボールDAIMA』の実績があれば、ファンからも受け入れられやすいだろう。 野沢雅子は2024年で88歳と高齢になるが、すでにシリーズの象徴でもあり、孫悟空の子ども時代も演じていたこともあり、簡単に変更ができない。また今作を観ていても、演技も不安がなく、本人も意欲がある中で、無理に交代しないという選択になったのだろう。いつかは考えなければいけない問題だが、今はまだその時ではない、ということだろう。 最後に、声優交代に対する筆者の思いを書かせていただきたい。それはアニメファンの中で「キャラクター=“オリジナル”声優」という認識が強くなりすぎると、見過ごしてしまう点があるということだ。一つは「視覚表現」への意識である。確かに声優はキャラクターの声を務め、音声において重要な要素を占める上に、役者なので華々しく目立つ。しかし、そのキャラクターをデザインし、あるいは動きを作画するアニメーターについて、言及するファンは決して多くはない。 もちろん、原画や動画などのアニメーターは、声優のように1人が担当するものではないので、わかりづらいということもあるだろう。しかし現在の声優に向けられるファンの視線と、実際にキャラクターをアニメに合うようにデザインし、生き生きと動かすアニメーターなどの専門職に向ける視線が同等とは決して言えない。声優に向けられる視線はファンの熱意として肯定的に受け止めたいが、その10分の1でいいので、アニメーターやキャラクターデザインにも向けるようになれば、よりアニメの楽しみ方の幅も広がるのではないだろうか。 もう一つ見逃してしまいそうなのは、複数の声優によるキャラクターの解釈の違いを楽しむ視点だ。たとえば『ゲゲゲの鬼太郎』のように、声優交代が多く、ファンによってイメージする鬼太郎の声が異なるというのは面白い。野沢雅子、戸田恵子、松岡洋子、高山みなみ、沢城みゆきなど、それぞれの声と演技の良さがあり、彼女ら一人ひとりによって鬼太郎の解釈は異なっているはずだ。オリジナル声優の声は長年親しまれるだけに、交代があるとイメージの変化などが生まれ反発があるのは理解できるが、新しいキャラクターの一面が見られる機会として、肯定的に受け止めることもできるだろう。 参照 ※ https://www.eiren.org/toukei/
井中カエル