【中央時評】人間尹錫悦、大統領尹錫悦を倒す
モスクワのトレチャコフ美術館にはロシア写実主義の画家イリヤ・レーピンが描いた名画がある。「イワン雷帝とその息子」という1885年の作品だ。息子の妻の問題で息子と言い争いになり、瞬間的に怒りを抑えられなかったツァーが息子の頭を棒で殴った後、後悔して倒れた息子を抱き上げながら絶叫する場面だ。3日後に息子は死亡し、雷帝と呼ばれたツァーも失望の末3年後に亡くなった。1581年に発生したこの事件は結局、王朝の没落につながった。権力者の憤怒調節障害が呼んだ史上最も有名な悲劇だ。 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の非常戒厳宣言は現代政治史の最も大きなミステリーとして記録されるほどのものだ。憲法上の戒厳宣言要件は「戦時・事変またはそれに準ずる非常事態」だ。尹大統領が政局状況を本当にそのように考えたとすれば、数日後の談話で戒厳を『警告性』と意味を縮小しなかったはずだ。極右勢力を結集しようという政治的な計算だったというのも疑わしい。1次弾劾議決が推進された7日、尹大統領は気勢が折れたように「任期を含む政局安定案をわが党に一任する」と述べた。しかし2次弾劾議決を控えて「立ち向かって争う」と立場を変えた。支持勢力の結集を意図したものだというには説得力が落ちる。 結局、政治的自殺のような劇薬処方を使ったことは、感情的で即興的な性情を切り離して説明するのが難しい。不正選挙を暴くために選挙管理委員会を占拠する試みは正常な思考能力を疑わせる。ダン・アリエリー米デューク大教授は新刊『ミスビリーブ』で間違った信念の重要な要素の一つに「個人の性格」を挙げた。いくらユーチューブで陰謀説が広まっているとしても、すべての人がそこに巻き込まれるのではない。 一人の統治者のあきれる行動は先進国の敷居を越えたと自負する大韓民国をあっという間に45年前に戻した。建国後の1年ほどにすぎない内閣制の実験を除いて大韓民国国民が維持し続けた大統領制度に対する信頼を裏切ってしまった。「人間」尹錫悦が「大統領」尹錫悦を倒した瞬間だ。 尹大統領の2年7カ月の任期は彼の個人的なスタイルが制度としての大統領を脅かした時間だった。「平凡な人たちには期待できない知性と知識、理解力と同情心、人格を備えた象徴的存在」という大統領の徳性(ロバート・ダール、『アメリカ憲法は民主的か』)は全く見られなかった。検事出身の大統領の限界を如実に見せ、人事・政策などで自ら失敗を繰り返し、理解できない衝動的な冒険で一瞬にして没落した。対策なく叫んだ医学部定員拡大は国民の苦痛を呼び、動物世界の「アルファメール」争いをほうふつさせるほど政敵(李在明、韓東勲)との葛藤にエネルギーを消耗した。その間、大韓民国の政治は一歩も前に進めなかった。 「人間」尹錫悦のリスクを拡大したのが政治制度だ。勝者が一人占めする権力構造は予測不可能に近い彼の「個人性」に増幅器を提供した。制御できない大統領の帝王的権力は12月3日夜、非常戒厳を控えた国務会議の場面が赤裸々に見せた。いわゆる87年体制以降、大統領の末路は一様に悲劇的だったが、尹大統領の場合はあまりにも映画的だ。 嘆かわしいのはこうした「突出的個人」に依然として捕獲されている与党の姿だ。指導力の限界を見せたとはいえ最初に戒厳に反対して弾劾を主張した韓東勲(ハン・ドンフン)代表を引き下ろした。大統領の違憲・違法的な非常戒厳の結果がむしろ与党の「親尹単一隊列」とはこれほどのアイロニーもない。不正選挙陰謀という代案現実でさまよった大統領に劣らず、現実感覚を失った政党だ。こうした与党を国民が果たして1年ほど経過すればすべて忘れるかは今後を見なければいけない。 87年体制は強力な大統領リーダーシップと強力な民主化の熱望の間の妥協だ。しかしその不明瞭な妥協は5年任期の帝王の悲劇を生んだ。民主化成就後、概して「公義の大統領」にはるか及ばない資格が疑わしい指導者がその場を占めてきたが、ついに尹大統領がハイライトを見せてしまった。執務室の机上に置かれた「すべての責任は私にある(The Buck Stops Here!)」という札が色あせるように、捜査を避けながら極右勢力の結集に期待する姿だ。イワン4世は自身の行動が失敗と悟って絶叫したが、尹大統領には後悔する兆しもなく、むしろ自身の行動を「意志の表象」と言い張っている。 問題は今の悲劇が最後になるとは誰も断言できないという事実だ。尹大統領の失脚で次期大統領に最も近づいたという評価を受ける李在明(イ・ジェミョン)代表も人格・人間性に対する各種非難がある。いわゆる保守の「李在明フォビア」も結局は制度が個人を制御できないという恐れだ。権力分散による最高権力者の個人リスク最小化が87年体制克服の本質だ。 イ・ヒョンサン/論説委員