センバツ高校野球 石橋、粘り最後まで 初出場、堅守見せ堂々と /栃木
第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)第4日の21日、石橋は能代松陽(秋田)と対戦し、好投する相手投手に2安打に抑えられ0-3で敗れた。七回まで1失点に抑え、最後まで粘り強い試合を展開した。春夏通じて初の甲子園で正々堂々戦った選手たちに、アルプススタンドを埋めた約3000人の応援団から大きな拍手が送られた。【鴨田玲奈、井上知大】 昨夏の甲子園にも出場した能代松陽に対し、終盤まで堅守を発揮して、互角の戦いを見せた。 先発の入江祥太は一回裏、犠飛で先制されたが後続を打ち取った。父利昌さん(47)は「落ち着いて最少失点で抑えてくれた。腕をしっかり振って、息子らしい投球をしている」とたたえた。二回裏、2者連続三振を含む3者凡退に仕留めると、三塁側アルプススタンドは「おおー!」とどよめいた。 三回裏2死一塁の場面では、マスクをかぶる山下諒太が相手の盗塁を阻止。試合後、「二塁への送球は常に練習していたので、冷静にできた」と振り返った。父の俊美さん(47)は「あんな姿見たことなかった。成長しましたね」とほおを緩めた。 八回裏、無死一、二塁のピンチを迎えると、藤巻翔汰へ継投。三振を奪う力投を見せ、藤巻の父秀夫さん(56)は「心臓が止まりそうだった。難しい場面だったけれど、よく頑張った」と目を細めた。 能代松陽の主戦、森岡大智の球威に押され、石橋打線は攻めあぐねたが、三回表に意地を見せた。先頭の亀井将広が内野安打で出塁し、山下の犠打などで三進。亀井の父宏明さん(48)は「ドキドキしながら見ていたが、1本打ててよかった。明るく楽しくやってもらえれば」と同点のチャンスに期待を寄せたが、得点には至らなかった。 その後は好機を作れないまま、試合終了のサイレンが鳴った。こみ上げる思いを胸に選手たちが駆け寄り、整列して一礼すると、バス20台などで駆け付けたスタンドの大応援団から「よく粘った」「ありがとう」と歓声が上がった。 七回まで1失点の好投を見せた入江は「コースを突いた投球ができた。立ち上がりと終盤まで投げ抜く体力を鍛え直して、また甲子園の舞台に立ちたい」。母優子さん(47)は「良い投球ができたことを自信にしてほしい」と話した。主将の横松誠也の父隆さん(52)は「甲子園で戦う姿が見られてうれしい。よく頑張ったと伝えたい。感動しました」と目に涙を浮かべた。 ◇懐かしの応援歌も ○…二回表の攻撃では吹奏楽部が石橋の応援歌を披露した。この応援歌は1955年、地区大会を突破し、県大会に出場する力をつけ始めた野球部を応援するために作られた。近年は新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり演奏されていなかったが、野球部OBの強い希望で、今回演奏されることとなった。作詞をしたのは当時3年生だった鈴木輝久さん(85)。この日は小山市の自宅から応援したといい「まさか甲子園で演奏してもらえるなんて想像していなかった。頑張っている選手たちを見ることができてうれしい」と声を弾ませた。80年度卒の野球部OB、倉井克之さん(60)は「『春爛漫(らんまん)と咲き誇る』という歌詞がセンバツにぴったり。甲子園に連れてきてくれた選手たちに感謝している」と話した。 ……………………………………………………………………………………………………… ◇在校生ら200人、PVでエール 下野市石橋の石橋高では、市がパブリックビューイング(PV)を開催した。会場の体育館には在校生や卒業生ら約200人が集まり、「石橋」とプリントされたオレンジ色の帽子とマフラータオルを身に着け、甲子園で吹奏楽部が奏でる音楽に合わせて応援した。 1980年度卒で、高校時代は応援団長だった同市の公務員、横田隆さん(61)は、1週間かけて応援旗を準備し、学ラン姿で応援に駆けつけた。試合前に応援歌を披露し、「フレー!フレー!石高」とエールを送った。 試合が始まると、攻撃時やピンチをしのぐ好プレーのたび会場にメガホンをたたく音が響きわたった。試合に敗れても、スクリーン越しに選手らに喝采を送った。 2年生の大内天禅さん(16)は「結果は悔しいが、最後まで全力で、諦めずに戦う姿に感動した」。両親と訪れた同市の自営業、和田啓子さん(56)は、子どもが石橋の吹奏楽部に所属していたといい、「野球部のファンになりずっと応援していた。甲子園に出られただけで胸がいっぱい」、母・小島良江さん(81)も「楽しかった」と笑顔だった。友人と観戦したOBで同市の大学生、稲葉司帆さん(20)は「選手みんな格好良かった。甲子園に出られて良かった」と感慨深げだった。【渡辺佳奈子】 ……………………………………………………………………………………………………… ■ズーム ◇ひるまず投球、飛躍誓う 石橋・藤巻翔汰投手(3年) 「俺の出番だ。ようやく甲子園に立てる」。背番号「1」を背負い、八回無死一、二塁のピンチに笑顔でマウンドに上がった。 昨春以降、制球に苦しんだ。「ストライクが入らず、こんなの投手と言えない」。秋の県大会は、「自分が投げるしかない」とキレのある投球で4強入りに貢献したが、その後は思い通りの投球ができず苦しんだ。 センバツ出場が決まり、「考えている場合じゃない」と切り替えた。3月の練習試合で思い切り腕を振ったらストライクが入った。「びびらなければ良いと気付いた。緊張しても、思い切りの良い投球をしたい」と吹っ切れた。 能代松陽の主軸を邪飛と三振に仕留め、雄たけびを上げた。味方の失策で2点を許したが、最後は三ゴロに打ち取った。試合後、「自分が打たせなければ点は取られなかった」と悔やみつつ、「ひるまず投げられた。最高の気分です」と胸を張った。「マウンドに立った時の光景は絶対に忘れない。もう一度夏に戻って来たい」とさらなる飛躍を誓った。【鴨田玲奈】